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よい考察を書くには?
レポートや論文を書く度、考察以外のパートは社会系にしろ理系にしろ「よくまとまっていて文章表現も美しく、非常に解りやすい」と評価されます。ですが、詰めが甘いのか、頭が悪いのか、いつも考察部分でこけるんです。創造力や応用力を発揮するどころか、勘違いな意見や文献解釈をもっともらしく論じてしまうらしいんです。そうでなければ、まったく当たり前の解釈など。プレゼンや口頭試問で尋ねられる応用的質問にもまともに答えられません。とりあえず紙面にしたため提出したものでいっぱいいっぱい、という感じで・・。今も論文の考察を書いていますが、案の定行き詰っています。また勘違いしてるかもしれない、と思うとこれ以上書くことを躊躇してしまいます。 毎回、相当のエネルギーと時間を費やしますが、文章を慎重に選びながら書き上げていくこと自体は昔から好きでした。考察は最も難しい部分という意見が多いですが、自分の苦しみは人一倍な上、それに見合ったものが出来ません。「よいレポート・論文の書き方」なるものもいろいろ読んではきたのですが・・。文献読解力などの能力が元々伴っていないのかもしれませんが、それでも良い考察を書きたいです。どうしたらよいのでしょうか。教えてください。
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生物系で論文指導していたことがあります(現在はアメリカで働いており指導はしておりません)。理系の立場から主に英語論文を書くときのお話です。 私は論文を書いたり指導したりするときには参考文献を熟読することを勧めております。これは単に「ちゃんと読みなさい」ではなく、引用文献の5倍(本当は10倍)の論文を精読することです。そうするといま書いている論文の位置が全体のどこにあるかわかるはずです。今までに最高で550本の論文をたった一本の論文のために読破したことがありました(この論文は完成まで7年の歳月を要しました)。 いくつかの参考論文がありませんか? ひとつは「歴史」:いままでにどんな問題点が議論されていたか。 次に「疑問点」:なぜ著者(montseさん)は議論すべき点があるのか?何が疑問であるのか? 「賛成意見、関連意見」:自分の導き出した意見をフォローしてくれる論文とじぶんの意見の関係を述べます。 「反対意見」:反対意見を述べている論文との違いを検討します。時には素直に自分の弱いところを認めます。 最後に「詰め」:自分がたどってきた解釈をまとめます。つめ切れない残された疑問点なども書きます。 わたしは上記のように、なるべく理詰めで詰め将棋のように論文を書いていきます。指導のときに一番多くて困るのは参考文献をつまみ食いしているだけの論文です。多くの論文を読み、各論文の主張を書いて表やグラフを作り上げ(これらは実際には使わないことが多いのですが)、自分のやった研究の位置を明確にしてから書き上げます。大きな紙に参考文献リストを切って相関関係を作ったこともあります。インプットを十分行い、自分の中で熟成させるのです。インがあって初めてアウトプットできるのです。 文面からはmontseさんは論文作成は今回が初回ではないと思います。私も論文作成には非常に苦労したタイプです。厳しいですが、その苦労から逃げないことです。迷って迷って、努力を続けていくとその先に絶対自分のスタイルが見つけられるはずです。私は英語論文の2,3本めのころは、ただただつらいだけでしたが、そのあとふと霧が晴れたような気がしました。構造がわかった、というかつぼがつかめた感じです。でも私はまだまだ業績も実力も十分ではなく、未だに四苦八苦しております。 ご参考になりましたら幸いです。頑張ってください。
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- sunasearch
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考察以外の部分は、説明など、客観的事実を述べる部分です。 それに対して、考察は、自分の考えや意見など、主観的なことを述べます。 ですから、なんでもそうですが、自分がどう思うかという、自分の考えをいろいろな場面で主張するようにされてはどうでしょうか。 もちろん、主張するにしても、根拠が必要ですから、自分の意見を客観的な事実と組み合わせて、表現する必要があります。 なので、まずは、自分の意見を明確にすること。 それから、その意見を後押しするような事実やデータはないか、ということを考えて、組み合わせて記述できれば良いかと思います。
お礼
ありがとうございます。普段から周囲に流されやすい意見なしなので、さらっと自己主張するのがなかなか困難です。情けないんですが、どうも自信がなくて・・。
- jyamamoto
- ベストアンサー率39% (1723/4318)
>よい考察を書くには? 文章表現の問題で捉えるよりも書くべき内容の問題ではないでしょうか。 「考察」とすべき結論、解釈の熟成度の問題の方が大きいと思います。 「考察」には、「結論」と「(積み残し)課題」の確認の両面があるのではないでしょうか。それをどうしても「結論」づけたい、「結論」でまとめたいと思うのが人情ですね。 その壁を越えて、「事実」を「事実」として、まとめれば少しは違ってくるのではないでしょうか・・・。
お礼
ありがとうございます。確かに文章表現を気にしすぎて、内容がお粗末になってしまうこともあったかもしれません。そして、結論にならない結果を無理に結論付ける傾向もあるかもしれないです。ご指摘ありがとうございました。
お礼
どうもありがとうございます。自分の研究の位置づけをする、というのが大切なんですね。私はまだまだ論文一つにつき50本程度の文献が限度です・・。文献つまみ食い、というのも耳に痛いです、はい。私も早く晴れ間を見ることが出来るよう精進したいと思います。