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大学の現状と今後の役割
大学の今の現状と今後の役割についてどう考えますか?これからの時代に大学に必要なことはなんでしょうか。大学はどう地域に貢献できるのでしょうか。私立大学はどう運営していけばいいのでしょうか。また国立大学はどうでしょうか。教えて下さい。
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大学に勤務している者です。 Q 現状 経営悪化している大学は、皆、生き残りを賭け必死にもがいている状態です。 毎年のように学部・学科名が変わったり、改組転換しているところは危ないと思って下さい。 改組転換の意義は、古い学部・学科を時代の要請・需要に合ったものに変えることですが、実際には人が集まらないので、新しく名前を変え、学部の種類を変え、出直そう!というのが殆どです。 文科省も、新しい横文字の学部や学科名を認可するようになりましたね、ちょっと聞いただけでは怪しげな冠(名)が付いているところもたくさんあります。 そういう大学は、もがいている訳です。つぶれたくないですから・・・ Q 今後の役割 大学の役割は、今も昔もこれからも「高等教育の場」であると思います。全入時代に突入すると言われていますが、入学者に高等教育を与える場であることに変わりはないでしょう。 Q これからの時代に大学に必要なこと ハッキリ言って私には分かりません。国(文科省)も提言しにくいところではあるようです。方向性を間違って示してしまうと、またマスコミから叩かれますからね(^-^;) 個人的な意見ですが・・・必要なものより不要なモノはたくさんあると思います(^-^;) 経営陣、教授陣の自己保身・固定観念を打破していかねば、今の悪い状況を脱することが出来ないと思います。悪い状況とは・・・経営難のある大学は、という事です。自分のことしか考えていない理事・教授陣では、本来大学の大義である「教育の場」としてふさわしくありませんよね。 Q 大学はどう地域に貢献できるのでしょうか 地域貢献と称して、一般に施設を開放する大学が多いですが、必ずしも、オープンにすることが地域貢献ではないと思います。あくまでも高等教育機関ですから、専門的な学問の場である訳で、一般の人たちと混じって何かを共有するのはごくごく一部でいいと思います。本当に地域貢献するなら、より専門性の高い知識と情報を有した卒業生を多数、世に輩出することだと思います。 Q 私立大学はどう運営していけばいいのでしょうか 難しいですね。既に経営難になっておりあがいている大学が多いので、今更って感じですが(^-^;) 経営陣が現実を見るよう、公平な目を持たなければダメでしょうね。前述しましたが自己保身ばかり考えるようじゃ、終わりです(>_<) Q 国立大学 全くもって未知の世界です(^-^;) 法人によってバラバラですからね・・・もちろん私立もですが・・・ 模範を示したくとも、全てが実験的な訳ですから(独立法人化等)文科省もさぞ、あたまを抱えている事と思います。
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国立大学が法人化してマジで困ってます。 免除の枠も減らされたと思うし。 おかげで今期は半額免除でした。 免除していただけるだけでありがたいのですが。。。 大学が地域に貢献なんてできるのかなって思います。 むしろ、学生が増えると、地域が汚くなるのではないでしょうか? 過疎地に超一流大学を作るとか?そうしたら活性化したりして(>ω<;)
あなたがどういう経緯でそれを問うているのかが分からないので、返答は的はずれになるかもしれませんが、私の思うところを述べてみたいと思います。 大学は教育機関として焦点になっているといっていいでしょう。ゆとり教育というと、わたしたちの頭からなんとなく大学の存在が消えてます。テレビをつければ、小学校、中学校がゆとり教育という対象として紹介されます。 確かに実質的に大学はゆとり教育には関係しませんが、しかしあがってくる学生が「どのような学生か」ということは極めて重要です。大学関係者から声に共通するのは、昨今の学生は年を経つほど「質」がおちているといいます。 それは学力もあるでしょうが、それいじょうに人間的に幼稚で、ものごとへの反応が弱い。逆にいえば、免疫力がない。たとえば、怒られれば、人格攻撃のようにとらえてしまうという事態があります。 このようなことは大学にとって危機です。なぜなら、教育機関として腐敗の傾向を辿るからです。受験勉強に疲れ果てた学生たちは、大学に入ると、その自由度の高さのゆえに、堕落します。勉強以上に、バイト、ファッション、恋愛など、その能力は別の方向へと流れていきます。このような事態は、日本の危機でもあります。 一方でエリートは存在します。ですから、教育格差という問題が生じてきます。今の大学に学生の意識づけをやれ、というのもなかなか酷な話です。学生の質じたいが落ちているので、熱心な教師は非常に頭を悩ませています。 大学が地域に貢献するどころの話ではない、というのは私の答えです。学生を地域に貢献させる、ということは活発に行われてはいますが、同時にただでさえレベルが落ちている学生が、ますます馬鹿になります。 地域に貢献するとはいっても、その大部分は遊びなのです。物事が終われば、酒を飲む。社会的な能力を身につけるなどというのは、妄想です。そんなものはそこでつけるのではなく、前提でなければなりません。ですから、自分を成長させる、自己実現という言説じたいが危険なものです。 社会的連帯の崩壊は、国が自ら分かってやったことです。有る程度、将来観測ができたはず。若者の新聞離れ、政治離れなどは、自己実現という政府スローガンが生み出した産物だと私は思います。 そもそも高校教育に政・経のしめる割合が過剰に低いことが、何か恣意的ですらある。歴史の誕生物語、とりわけ日本という観念を必死に学ばせることはナショナリズムの条件です。だからといって、人々の政治的意識を破壊して、大衆化させることは権力側の策略です。 大衆化とは、政治的無関心などの現象を引き起こす。20世紀前半の現象です。 ともかく大学は、西欧との比較のなかである程度改革が必要なことは間違いありません。ゆとりではなくばか学生を減らすことを目指すべきです。当面は、大学の卒業を厳しくするシステムをとり、ゼミナールの比重を高めることをめざすことが切実な必要です。