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女子高生の言葉
ここ何年か(何十年か?ではないと思うのですが)女子高生の街中での会話を聞く限り、「野生化」しているようなのですが、なぜこんなことになっているのでしょうか。このトレンドな背景にはどういう理由があるのでしょう? 私が思うには、よりラフなスタイルがかっこよくなったからだということが思いつきます。しかし、彼女らの中身ももしかして「野生化」しているのかも知れません。 もちろん女子高生だけでなく、女性一般かあるいは一部女性の傾向であろうかと思います。某番組で見た、夜の女たちのののしりあいなど、なぜあれほど凶暴になれるのか、宇宙人を見るような感覚で見てしまいます。
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二、三十年前くらいの昔でも、女子校での内部事情と言えば、暑い暑いとスカートぱたぱたしたりして、結局、男の目がないので開放的に、いわば下品になるようです。 しかしいったん外に出れば、そこまでできず、普通に女性としての抑制のとれた行動をしていたように思います。 この十年来の若者は、総じて、仲間内で群れたがるようですね。価値観の違う大人などと会話するのは、シンドイからでしょう。 とすると、仲間内の価値観オンリーとなり、 若い女性の中では、その価値観オンリーとなっていくことは当然と思え、 そうなると、ほとんどそれしか彼女たちの中にはないわけですから、 それが拡大して、仲間内だけでなく、外の世界、つまり一般社会(公共の場)でも「仲間内言葉」をしゃべるようになる、というのは、自然な流れのように思います。 その「仲間内言葉」というのは、女子校の例で見た通り、極力しんどいことのない言葉づかいになるのは、楽をしたいのが習いの生き物として、これまた当然でしょう。 とすると、その言葉とは、いろいろな気配りや社会からの目や大人の世界に合わせるといったことのないものになると思われ、 かつ、シンドイのが嫌なんですから、意識して言わなければならないような言葉づかいも面倒になるでしょう。 ……という結果、おっしゃるように乱暴な「野生化」した言葉づかいが進んでいるのでは、と、勝手に推測します。 もちろんそこには、閉塞感や我慢できない心、イライラ、欲求の解放……といったこともあって、乱暴・狂暴な言葉づかい、行動となる、ということもあるでしょうね。 というふうに考えるので、私としては、 「時代の閉塞感や、子供を育てる親の幼さ、子供を取り巻く環境のいびつさ」などから、 我慢すること、他人とコミュニケーションを取ること、人に不快な思いをさせないこと、等々、普通必要とされてきたことが彼女たちの中で過小評価されるようになり、 その結果が言葉に出てきて、そして内面もそのようになってきている、 というような流れで考えています。 しかしそんな風でいられるのも、狂暴でいられるのも、今の日本がまだ平和で豊かだからですね。 もっと世の中がひどくなれば、物理的な力がものをいってしまいますから、彼女たちはあんなに野放図に向こう見ずにはいられなくなるでしょう。 ああした言葉づかいを男にでもしたら、どっかの国(世界の大方の国)なら、タコ殴りにされちゃいます。 彼女らの話し方、接し方は、もはや「ケンカ売ってんのか」のレベルですから。 そうでなくても、そうした言葉づかいをする女性、行動をする女性は、やはりレベルが低い(人間として、女性として、社会人として)ので、 将来自分が望むようないい仕事に就けるとは考えにくく、といって結婚して「永久就職」しようにも、やはりレベルが低い男しかつかまえることができず、後悔しながら生きることになる女性が大半となってしまうでしょう。 (もちろん、単に周りに流されてそうした言葉づかいをしているだけの子もいるでしょうが。しかしそうしたことをしていると、中身も伝染するものです) そんなこんなをよくよく考えて、 (ほとんどオーバーな表現ですが)悔い改めて欲しいもんだ、と思っています。 自分で自分の人生を損な方向に持って行ってるんですからねえ。 バブルの豊かな時代に育ってきて、今は違うんだということに気づいていないんでしょう(これは、男も同様)。 ちゃんと周りが見てあげないといけないんですが。 マスコミも、危機意識をあおるようなことをしないし、都会中心の報道で、地方がどれだけ悲惨なことになっているか、これからどれだけひどい世の中になるか、などが伝わってきません。 これでは、若い人たちの危機意識の低さも仕方ないか、と思えてしまいます。 知り合いにそうした若い人がいたら、ぜひぜひ、(反発を食わないように)教えてあげるといいと思います。
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- mekichan
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あるテレビ番組で、意外にも今時の女子高生が「群れていてもなにげに孤独」といったことを言っていました。私が若い頃はどちらかというと「個性」や、しっかりとした自分なりの考えを持っていたり、生き方をしているほうが「カッコいい」と思っていましたが、今の若い子たちは「みんなと同じにしてないとダサい」といった感覚を持っているように感じられます。そこから彼女たちの流行が生まれ、そして短縮言葉で通じ合う会話がなされる。今よくありがちな「変な日本語」をマニュアルで教えこまれても、全く違和感を持たない。 そんな言葉が日常の中心として使われる影には、やはり親、教師といった大人との会話がない、先輩、後輩の区別もない、といったことも挙げられると思います。大人も、彼女たちを「何を考えているのかわからない」と無視しているからではないですかね。 同時にNo.2さんが言われているように、「女らしさ」というものが忘れられている...死語のようになっているのも、女子高生に限らず、言えることだと思います。私の友人はとても周りに気が配れるいわゆる「女らしい」と思えるのですが、彼氏がいないことについて「○○ちゃんは、気を使いすぎなんだよね。重いんだよ」というのが何人かの共通した意見だというから驚きました。女らしさというのは勝手に男が決めたものかもしれませんが、それだけでなくその人らしさや、個性、というのを重んじない今の風潮が若い世代をそうさせているような気がします。群れていても自分は同じ種類の一部に過ぎない・・・そこに、なにげに「孤独」を彼女たちが既に感じ取っているのかもしれません。 全然回答になっていなくてすいません・・・。
- mekichan
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あるテレビ番組で、意外にも今時の女子高生が「群れていてもなにげに孤独」といったことを言っていました。私が若い頃はどちらかというと「個性」や、しっかりとした自分なりの考えを持っていたり、生き方をしているほうが「カッコいい」と思っていましたが、今の若い子たちは「みんなと同じにしてないとダサい」といった感覚を持っているように感じられます。そこから彼女たちの流行が生まれ、そして短縮言葉で通じ合う会話がなされる。今よくありがちな「変な日本語」をマニュアルで教えこまれても、全く違和感を持たない。 そんな言葉が日常の中心として使われる影には、やはり親、教師といった大人との会話がない、先輩、後輩の区別もない、といったことも挙げられると思います。大人も、彼女たちを「何を考えているのかわからない」と無視しているからではないですかね。 同時にNo.2さんが言われているように、「女らしさ」というものが忘れられている...死語のようになっているのも、女子高生に限らず、言えることだと思います。私の友人はとても周りに気が配れるいわゆる「女らしい」と思えるのですが、彼氏がいないことについて「○○ちゃんは、気を使いすぎなんだよね。重いんだよ」というのが何人かの共通した意見だというから驚きました。女らしさというのは勝手に男が決めたものかもしれませんが、それだけでなくその人らしさや、個性、というのを重んじない今の風潮が若い世代をそうさせているような気がします。群れていても自分は同じ種類の一部に過ぎない・・・そこに、なにげに「孤独」を彼女たちが既に感じ取っているのかもしれません。 全然回答になっていなくてすいません・・・。
お礼
世代を超えた交流が薄いということで、年長者にも非があるということがいえると思います。「世代間」というのが鍵になっている気がします。 そして、結局それと付随して「個」が希薄な風潮があるということなのでしょう。 それと「だらしねぇ」言葉がどう関連しているのか、考えても仕方ありませんが、なにか理由を納得したいものだと思います。それは既出のご解答とミックスすればできそうです。
- juzube
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時代が「荒れる」前には、享楽の時が訪れるようです。 ヒトラーの現れる前のドイツは、社会風俗が乱れ、享楽社会(爛熟)となっていました。 ローマの末期、フランス革命の頃、江戸時代末、……似たような傾向がよく見られます。 現代日本で言うと、バブルの頃からしばしが、これまでの人間社会になかったくらいの「享楽」の時代でしたね。 そして今は、「荒れる」時代になっている、と認識しています。 総理大臣からしてまともな言葉づかいをしていませんね。 (論理的な対話をしようとしない。せずともマスコミが大して批判もしない。「公約違反は大したことではない」「人生いろいろ」など、かえっておもしろおかしく伝える始末) 政治家に特に顕著に見られますが、荒い、激しい言い分をする人が多くなっています。また、それが好ましく受け止められる傾向も見られます。 イラク邦人人質へのバッシング、ライブドア騒動、中韓問題など、似たようなニオイを感じるのですが。 2ちゃんねるなど見ると、暗澹たる思いになりますよ。強硬・自堕落発言のオンパレードです。 その裏には、人々の閉塞感があるのだろうと思っています。 今の若い子達は、右肩上がりの上昇時代には育っていません。つまり、努力した分だけ自分の生活が上がる時代に育っているわけではありません。 バブルの爛熟期(つまり、最高の時であり、停滞期)を中心に、その後はずっと落ちるだけの世界に生きてきています。 ほとんどの親の生活は悪くなっていき、社会のことをよく知らなくても雰囲気だけで、「将来良くなるはずがない」と思えるような環境です。 そうした中で、若い人たちは、希望や意欲などもてるでしょうか。 持てたとして、せいぜい「勝ち組になってやる」くらいな話、しょせんは金(快楽・見栄)で、心が大切という視点は、なかなか持ちにくいでしょう。 そんな環境ですから、苦労したりしんどいことをする意味が見いだせないのだと思います。 だって、それだけの見返りがないのですから。しかも、史上最大の「享楽の味」をしめてしまっているのですから。 といったことで、今の世相を反映したものが、若者、特に若い女性の言葉に表れているものと思います。 若い女性はまだ、「結婚すれば」という幻想を持ちやすいから、より甘えた生き方をしがちになるのは仕方ない現実と思いますので、特にそうした人達に顕著に出ているのでしょうし、また目立つのでしょう。 さて、そのような言葉づかいが世間で通るようになると、それがまた「世の標準」になります。荒れた世相が標準となります。 そして、力や金、はなはだしくは暴力がもてはやされるようになります。 初めに書いたように、こうした現象は、世が乱れる予兆だと、歴史が教えてくれています。 現実に、どんどん世界はキナ臭くなっていますよねえ。 日本はほとんど回復不能なまでに堕ちていますが、世界的に見ても、かなりヤバイです。 あまり安穏としていられる件ではないと思っています。
お礼
私はもはや若い世代ではないので、この時代に育つということがなんとも想像つかないのですが、私が高校生だった時代はもはや右肩上がりという感じが崩れかけていた時期だったので、あまり努力したからどうのと実感が無いのですが、今はそんなに違ってきているのでしょうか。社会的雰囲気に人々はそんなにも影響されるものなのですか… 確かに、雰囲気的にかわりつつあります。それは逆に自己表現できてきたいい方向なのでと思うこともあるのですが、逆に行き過ぎて暗澹たる思いにもなる、両面性があるのが仕方ないのか名とも思います。是か非かと問われれば、やはり非ですが。 こんな時代に「おしとやか」言葉が復活するのは、富士山の頂まで木に覆われるほど(たとえがめちゃくちゃですが)実現性が無いことなのでしょうね。 荒れることが「標準的」意識とは確かにやばいです。それは、表面のきれいさ便利さと、実は表裏一体なのではないかと、今回頂いたご回答ともあわせて感じました。
- izuna111
- ベストアンサー率0% (0/1)
言葉やライフスタイルは時代の流れと共に変化して然るべきだと思いますよ。 仮に、平安時代の禁中や江戸時代の大奥の奥女中の言葉を「淑女」の言葉だと定義すれば、現在の教科書やNHKの女性キャスター等が使用しておる女言葉は、大いに乱れてることになりますからね。 ライフスタイルにしても江戸時代の武家の子女が最低限たしなむべき、ライフスタイルマニュアルである「女大学」に書かれておるような、女子であっても主君に対する恩と忠義に応える為、いざ戦時となった場合に備え常日頃薙刀の訓練を怠らないという、当時であれば当たり前の常識も現在は常識として定義する人は少ないとおもいますしね。 また、主権が在民にある以上、今の若い世代の女性達が使用しておる言葉を、今の若い世代の女性達が標準語として教科書等に使用するように政府に求めた場合は、当然政府としても、今の若い世代の女性達が使用しておる言葉を標準語として教科書等に使用するように勤めなければならないでしょうし。
お礼
そういうお考えもあるのだなと思いました。 逆にそうなった場合、アナウンサーが「…ねぇーよ!」と放送しなければならなくなるので、なにか違和感があります。 庶民の言葉というのは、やはり宮中や政治の場ではだめなのではないでしょうか。というか、基本的には上から下へ、降りてくるのが「標準語」という宿命が歩きがします。それが是であるとはちっとも思いませんが。 ただ、受ける印象が非常に荒れすさんだものとなるので、それが問題です。
言葉、行動、態度、人相、すべて心の延長線上のものです。心、つまり価値観です。 女子高生の言葉や某番組がどんな内容か解りませんが、「凶暴」という言葉からはずれていないと思います。 心の教育というかみんなが気持ち良く生きようとする社会体制が失われつつあるのかもしれません。 差が見立つ社会、差を利用して商売を推し進める社会、 優越感と劣等感の中で生きて、そういう価値観を持つものは、常に優越感を持ちたがる。優越感を求めれば相手を罵倒し、相手をけなし、自分の優位性を守ろうとする。 大人と違って建前がいらない子供達は本音で生きているのかもしれませんね。
お礼
やはり「心」ですね。 凶暴方面にながれるのが心地よいのか、何か引っ張られるものがあるのでしょう。 しかし、ご回答を拝見しまして、なにか希望のようなものが見えてきました。 表向き、いろいろ便利な世の中になり、バリアフリーだオンラインショッピングATMだと、なにか快適きれいさが確かに普通になってきたようですが、人の心が比例してきれいになっていくはずも無いので、相対的に荒れというのが目立っているのかもしれない… みなが気持ちよくって言っても、所詮本心から出たものでないなら無意味でしょう。 今の時代ってそういうドライな価値観になってきたのでしょうか。 むかしなかった本音がいまやっと噴出しているとすれば、それだけは希望になるのかなとも思えますが、なにせ、しんどいですね。見るだけでも。
- ss79
- ベストアンサー率33% (258/765)
私は一種の流行病と見ています。 一定の年齢に達したら自然に治ります。 その証拠にガングロ、コスプレなどに熱中してもある年齢以上まで持続しているのはいません。 彼女らのメールの内容は私達の判らない記号、隠語、略語で一杯です。 これが流行というものです。 彼女らは流行に遅れまいと努力しているだけです。 もちろんそのような状態を持続してしまう事もあるでしょうが、それはそれで仕方ないことです。 これは家庭内の会話が成立していないか、その時間が不足しているからではないでしょうか? 言葉使いは咎めるのではなく、教えて身につけるものだと思います。
お礼
流行の傾向が確かにありますよね。 ファッションと絵文字と共通するところがあると思います、。 ただ、なぜにああいう言葉スタイルが今流行するのか、ほんとに「楽」な方向だからそうなのか、なかなか本人たちになってみないとわかりません。
- pluto001
- ベストアンサー率18% (32/171)
縦のつながりがなくなったからだと思います。 昔は子供の頃から、近所の上から下までの子供社会があったり、クラブ活動が現在より活発であったり、地元の行事ごとがあったり、多様なつきあいがありそこで人と出会って人と知り合うという事があったわけですが、今は同い年で仲のいい、似たようなファッションをした友達とのみとつきあいます。 今は、子供社会というほどの子供社会が存在せず(同時に常に大人の監視下にある)、そういう土壌で育ち、人とのつきあいが同世代以外は経験がほどんどない上、知っている大人は親と学校の先生しかしらないなんていう子供までが増えています。 そういう環境で育った子供が、高校生ぐらいの年齢になり、自らの判断で行動ができるようになると そうなる ということでしょう。
お礼
やはり、昔と比べてそうなりつつありますか。 核社会化というか… ただ、そういう閉塞感が直ちに「だらしねぇ」モードを生み出すというのが、わかりそうでわからないところです。
- nemutaiazarasi
- ベストアンサー率25% (777/3052)
1さんのように難しいことはいえませんが、一番大きなのは「女らしさ」が忘れられているからではないでしょうか? 女らしい細やかな心つかいや優しさとか そういう面が忘れられている・気にかけない人が多すぎ・・じゃないでしょうか? 言葉ってその人の育ちを表すと思います って言っても馬鹿丁寧な言葉が良いといっているのではないですよ。 人柄は言葉ににじみ出るものだと思います。 ですから、凶暴化してるといわれるのはそれだけとげとげしい毎日をすごされているからなんでしょう。 またそういった凶暴化した・してる時の自分ってどういう顔をしてるのかとかご自分で知られ、また自分を女だとおもわれているならそういうことができないはずじゃないでしょうか? 見当違いの書き込みでしたら失礼しました。
お礼
「女らしい」というところではっとしたのですが、それがあまりもてはやされなくなったのでしょうかね。女の気持ちはわからないですが、本能的に持っているやさしさみたいのがあるのでしょうか。強制でなく自然に現れるものが失われ傾向にあるというのは、もったいないのではと、利己的に考えます。 こういう問題を考えるとき、大事なのは、やはり外側から見るのでなく、当事者さんたちに登場していただき、われわれ(?)年増と語ることが重要と思われます。
お礼
大変ご丁寧で長文なご回答、ありがとうございます。 しんどくない言葉に流れる土壌、必然性があるとのご見解、まったく納得します。できれば当の女子高生さんたちに登場願って、動機と成り行きをうかがえれば一番なのですが、外から見るほうがよりわかることもありますし。 「仲間内言葉」で、しんどくないのが、なぜ野生化した言葉になるのかというのが疑問なところですが、それは音節の関係とかでしょうかね。それと、「だらしねぇ」というのが格好いいという価値観も絡んでと思われますが、当事者でないので、なんとも推測の域をでません。ですので、教えていただけたらうれしいです。 しかし、なぜいま閉塞感やいらいらなのか、それが昔と比べて格段に増えているのか等、わかりません。複合要因なのでしょうが。 内面と環境、それを許す環境、大きいですね。外側からも無関心ですね。それがめぐりめぐってきているのですね。また人間レヴェルの差はあるのでしょう。教養は結局それだけにとどまらない、人間的な問題も相関してきます。そういう現実のいやさがあるかもしれません。日本も末なのか、希望の胎動なのか、終末なのかわかりませんが、たいへんクリアーなご見解ですっきりしてきました。