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いまやらないとだめだと思って無理してしまう

ずっと前、中学生からの傾向です。 病的なことではありません。 気分が落ち込む、だるい、元気がないといった精神状態のときに、無理して精を出そうとしてしまう癖があります。それが今も直りません。 気持ちを素直に大事にすれば、じっとぐったりまったりしていればいいのです。しかしそうやっていると、人から遅れてしまう、将来困ったことになる、人生の無駄遣いをしてしまうといった「焦り」がいつも働いてしまいます。 ピアノの練習をかならず8時から一時間やる、ジョギング筋トレをやってから寝る、読みたくない本でも、教養をつけなきゃと思って無理に読む、そういう類のことがやめられないです。 結果もあまりよくありません。 こういう性向をどういう風に考えたらよいのでしょう。「上昇」脅迫という感じだと思いますが。

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  • Syo-ya
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回答No.5

再度の登場です。 しつこくってすいませんm(_ _)m 私も成育歴が問題だらけで、アダルトチルドレン概念に大変救われたんです。 自助会にも参加したり、生まれてから今日までの記憶を遡っていくこともしました。 そうやって、得たものは「自分の被害者性」と「自分自身への客観性」でした。 ですから、もし、興味があれば勉強してみるといいと想います。 ただ、私の場合も、親への憎悪が止まらなくなります。 ですから、余計に体調を崩す危険性もあるので注意してください。 で、このAC概念にも出てくるのがインナーチャイルド・ワークというものなんですが、未だに癒されていない幼かった日の自分を癒して抱きしめてあげよう・・というものです。 http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/iyasi/2001/imano.html こういう癒しの言葉を自分自身に投げかけることで癒されていくんです。 ・・で、よく考えてみてください。 自分に向かって癒しの言葉を投げかけられるのは「平常心」なんです。 「平常心」以外にこれらの仕事をできる「心」はないんです。 で・・私が言っているのは2500年前の仏教の考え方なんです。 http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=1402277 (こちらの#4も一読ください) 「平常心」というのは、今も昔も普遍のキーワードなんです。 「原因と結果の法則」の第二巻にも書かれてましたが、恐怖、不安、疑念、心配、嫉妬、絶望、焦り・・・を想っている時というのはマイナスのこと(悪いこと)に心を奪われているワケですから、つまり「悪魔を崇拝している瞬間」「悪に服従している瞬間」なんです。 これらの自己破壊的な思念が原因となって、悪い結果につながるんです。。。。 「じゃあどうすればいいのか?」というと、自分を統制すればいいんです。 悪魔は絶えることはありませんが、それに打ち勝つ心を養えばいいんです。 例えば、嫌いな上司に嫌味を言われてカッ!としそうなときでも、 その言葉に反応しなければ、悪魔に服従しなくてすみます。 (逆にカッ!としたら憎悪が生まれますので、それは悪魔への服従なんです) ですから、カッ!としそうな自分に気が付いたら 「この憎悪は、私を護り育てるために働いているんだ・・・・、   憎悪の感情よ、ありがとう!    でも私は、もう大丈夫、悪魔には服従しないんだ」と 自分自身に投げかけるんです。 たった、これだけのことで、 インナーチャイルド療法になりますし、平常心もドンドン育っていくんです。 これは「憎悪」以外でもあらゆる発想、感情が突き詰めれば「自分自身を護り育てるため(利己的)」に働いていますので、普段から、自己観察、自己洞察をしていく練習も必要なんです。 そして、決して、嫌わないで、感謝と寛容を与えるんです。 ピアノだって、繰り返し練習していくうちに弾けるようになります。 弾けなかった頃の自分と、弾けるようになった自分の何処が変わったのかは本人には判りませんが、繰り返し、繰り返し続けることで、確実に弾けるようなります。 平常心を育てるのも、毎日、やっていれば、自然と出来るようになってしまうものなんです。 筋肉の発達と同じです。 「あがり」も、もしかしたら不安、疑念、心配・・・・等々の日頃の「悪魔崇拝」の影響かも知れませんよ。 虐待する親たちだって、悪魔を恐れているから、心に悪魔を住まわせて、結果、我が子を虐待するのだろうと想うんです。 悪いことを思えば、それが原因となりますが、そんな弱い自分の姿に気が付いて、感謝と寛容の念を送るだけで、平常心が育ち、悪魔に魅入られなくてすむようになるんです。 私も仏教(お釈迦さま)に救われたんですが、 質問者様の前にも偉大な教師が現われると良いですね。 長々とお邪魔しました。m(_ _)m

参考URL:
http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=1402277
noname#32495
質問者

お礼

大変真心のこもったお返事ありがとうございます。 ご紹介のご回答も読みました。仏教的に救いが得られたというご体験は、私にはまったく未知なものなので、「通り過ぎ」てしまうお話なのですが、それは残念ですね。なんとかすぐ効果を出したいものです。 ただ、昔と比べていまは救われていると思います。「焦り」「苛立ち」「惨めさ」「寂しさ」その他もろもろのマイナス感情から、かなり抜けつつあります。もちろん新たな憂鬱は発生しますけれども、今はかつてない穏やかさを感じている時期であると思います。 親が変わりましたね。余裕と年の功なのか人間が丸くなりました。だから、私も救われた気がします。なぜ20年前からこうなってくれなかったのかと、かなわぬ希望もありますが、人間の条件とはほんとに厳しいものなんでしょうかね。 それと、私自身が成果を得られたこと。これは「焦り」があったればこそではないかと思えます。普通とは違った情熱でやりましたから。体も壊しましたが、でものんのんとやっていたのでは、楽器が3つもできるようになったり、日帰り可能な博物館をくまなく回ったり、ボウリング190アベレージになったり(なったけどやめた)はしないのではと思います。 バランスですね。養生訓のような。怒り悲しみ苛立ちからなるべく遠ざかり、平静に生きる。でも情熱は失わない。こういう均衡に達することができれば、あとはなんとかしましょうと思いました。 また、ご回答お待ちいたします。

その他の回答 (4)

  • Syo-ya
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回答No.4

お返事ありがとうございます。再度の1です。 ちょっと、その前に・・・ >>自身と関連付けられないと素通りしてしまうんですね。 >>結局向こうもこちらを素通りするというか、容易には交わって何らかの作用をするというのが難しい。 >>ある程度時間をかけないとならないでしょう。 この一文には鳥肌が立ちました。 今、まさに私が疑問に感じていたことを、的確に表現していると思ったからです。 本当のこの通りだと想います。 古い言葉には「生徒の準備ができると、教師が現われる」とあります。 私もこのことを痛感してたところなんです。 不思議なんですが、タイミングってあるんですね。。。。 「原因と結果の法則」という本は、とても仏教的な本なんですが、「この世のあらゆることは原因と結果の関係にあり、この宇宙の大原則は絶対に不動である」とあります。 今、心の中で思っていることが「原因」となり、必ず、その「結果」が現われる・・・と。 だから、私たちは、思ったとおりの自分になっているんだ・・・と。 自分を取り巻く環境さえも、実は、我々自身の想いなんだ・・とあるんです。 生まれ育った環境や、生育歴でさえ、必ず、原因があるというんです。 なぜならば、原因がなければ結果もないからです。 で、もし、今、自分の生まれ育った環境を憎悪する発想をしたとします。 そうすると、必ず(!)それが原因となって、何らかの結果に繋がるんです。 ですからこの本には「環境と戦うな」と書かれています。 例えば、質問者さまの場合なら、戦った結果が「焦り」なんでしょう。 心に在る想いが原因となり、結果となるんです。 ですから、今後からは、生育環境に対する恨みや、憎しみに対しても「ありがとう」といえる心を養うと良いんです。 憎悪の感情だって「自分の利益になる」と信じて湧き上がる感情であり、味方だからです。 (何も憎い相手を許せと言ってるのではありません。「感情」に感謝するんです。「感情」に振り回されずに、逆に、感謝して、平常心で対処するんです) そうすると、その感謝と寛容の心が原因となって、必ず(!)素晴らしい結果に繋がるんです。 そうして、心のステージ(?)があがると、何処からともなく次の教師が現われてくるんです。 憎悪も焦りも、苛立ちも、あらゆる感情に「ありがとう」というんです。 全てを許して、認めて、受け入れてあげるんです。 そうすれば、その気持ちが原因となって、今までとは違った結果になるんです。 この「原因と結果の法則」においては、自然は絶対にミスを犯さないんだそうで、 例えば「リンゴの樹」という原因から、「桃」という結果は絶対に出てこないんです。 焦れば、焦ったなりの結果(体調不良、精神不安・・)しか出てこないんです。 おそらく不安心理でしょうから、不安からは不安しか収穫できないんです。 でも、きっと、感謝や寛容の心からは、健康や幸福・富が収穫できると想います。 そうすると、また、今までとは違ったことと、自分とが関連付けれていって、次の成長段階に入っていくんでしょうね。 ちょっと哲学的ですが、お薦めの本ですから、図書館で借りてみてください。

noname#32495
質問者

お礼

何気ない実感を「鳥肌」立てていただきまして感激です(笑)予期しない作用ってあるものですね。 私はむしろ、原因から自由になるために努力する結果的に「焦る」というパターンです。それなくしてはその流れから脱せないのではと思うのです。 そこで、客観的にストレスの塊のような自分や周りを見て、プラス感情で処理する、これはこちら http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1400580 で、「あがり」について質問していますが、回答してくれた方が、それについて克服は無理だという見解を示していまして、残念ながら同意せざるを得ないかなと思います。それと似たもので、マイナス感情を「感謝」に持っていくのは、人前であがらないで済ますのとどうも似ているか、似ていないかもしれないが同じ困難の気がします。方法としては私もそれが理想と思いますが。 でも、もしそれが不完全ででもできれば、焦り不安で固まっているより、よい結果が望めるというのはありますね。それは「客観性」「理性」が保てて、よりよい解決法を選択でき得るからであろうと思います。

  • taioukei
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回答No.3

ある種の粘り強さ、簡単にあきらめない、決めたことをやり遂げる、などの良い性質をお持ちなんですね。 でも・・・結果があまりよくないとのことで、・・・焦りの気持ちからなさってなおかつそれが大して益にならなかった・・・というのは板ばさみですね(泣) 満足感とか喜びがあまり感じられなくなるかもしれませんね・・・払っている努力にみあうだけの。 安全な範囲で質問者様とは違う価値観の世界を見てみることをお薦めします(身を持ち崩すようなところには行ってはダメですが) 図書館などで個人旅行記(特に海外に行った人)をご覧になるといいですよ。 時間を有効に使おうと思うあまり一種の脅迫観念になっているならなおさら心をほぐし、他の視点で見つめなおすことができます。 嘘だと思って試してみてください!! もし可能でしたら実際に海外に旅に行かれると一番よいのですが・・・人間としての幅と世界と交友が広がり、一点集中型状態の欠けたところから受ける影響を別のものに変えていくだけの力はあります。

noname#32495
質問者

お礼

ありがとうございます。 違う価値観というのは、結構行っていましてでも自身と関連付けられないと素通りしてしまうんですね。結局向こうもこちらを素通りするというか、容易には交わって何らかの作用をするというのが難しい。ある程度時間をかけないとならないでしょう。 「旅行」というキーワードがあるようです。前はずいぶんヨーロッパなど行ったのですが、それも焦って「なるべく吸収する」という姿勢になってしまっていました。 結局こうなる前の体験がまずいようで、足を引っ張られています。どうも「自分はどこにいたらいいんだ」という気持ちでばかりもう中学から続いてます。 素直に人並みにやっていればよかったのですが、いろいろあったようで孤立してなんとなく居心地悪いというのが続きまくって、ああやっぱり俺は生きる甲斐がない…という意識が出来上がってしまっている感じです。それで、がむしゃらに何かできるようになることに救いを求めてきたというパターンなんですね。

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.1

焦りの感情以外でも、心の働きは「自分の為になる」「自分の利益になる」・・等々 必ず、何らかの「欲望」に従っておきているんです。 嫌悪も、渇望も、最終的には「自分のため」だと信じてやっていることなんです。 ですから焦り、心配という感情も、基本的に「味方」なんです。 人を罵倒する気持ちも、落ち込む気持ちも、反省するのも、焦るのも・・・・ ちょっと持て余し気味の感情達でさえ、喜怒哀楽の全ては「味方」なんです。 ですから、まずは、焦りの感情に気がついたら「ありがとう」と言える心を養うことです。 焦っている自分に気がついたら自分に向かって「ありがとう、心配してくれて、ありがとう、でも大丈夫だよ」と言える心を育てるんです。 そのように言える心というのは「平常心」です。 何時でも、落ち着いて、冷静に対処できる心は「平常心」なんです。 焦っている時に「焦っている・・」と気が付けるのも「平常心」ですし、「ありがとう」と言えるのも「平常心」ですし、「大丈夫だよ」と自分に言い聞かせることが出来るのも「平常心」なんです。ですから、上記の作業をすれば「平常心」がドンドン育っていくんです。 逆に言うと、現在の質問者さまは平常心が欠如しているから、焦りに任せてしまうんです。 心配や、焦りや、欲望で、頭がのぼせ上がってしまっていると想います。 そんな自分をクールダウンさせるのも「平常心」の役割なんです。 ですから、焦りや心配という感情を嫌わずに、まずは、そんな自分に気がついてから、「ありがとう」「大丈夫だよ」と自分に言い聞かせるように癖付けていると、心も落ち着いて、穏やかになってきます。 大切なのは、自分の感情と対立しないことです。 自分の感情と対立すると、心の中が戦場になってしまうので、 ますます焦ったり、心配したり、・・・となってしまうからです。 それよりも穏やかで、冷静で、おおらかな「平常心」を養うと良いと想います。 そのためにも、普段から自分で自分を許して、認めて、受け入れる態度を養うことです。

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.2

焦りの感情以外でも、心の働きは「自分の為になる」「自分の利益になる」・・等々 必ず、何らかの「欲望」に従っておきているんです。 嫌悪も、渇望も、最終的には「自分のため」だと信じてやっていることなんです。 ですから焦り、心配という感情も、基本的に「味方」なんです。 人を罵倒する気持ちも、落ち込む気持ちも、反省するのも、焦るのも・・・・ ちょっと持て余し気味の感情達でさえ、喜怒哀楽の全ては「味方」なんです。 ですから、まずは、焦りの感情に気がついたら「ありがとう」と言える心を養うことです。 焦っている自分に気がついたら自分に向かって「ありがとう、心配してくれて、ありがとう、でも大丈夫だよ」と言える心を育てるんです。 そのように言える心というのは「平常心」です。 何時でも、落ち着いて、冷静に対処できる心は「平常心」なんです。 焦っている時に「焦っている・・」と気が付けるのも「平常心」ですし、「ありがとう」と言えるのも「平常心」ですし、「大丈夫だよ」と自分に言い聞かせることが出来るのも「平常心」なんです。ですから、上記の作業をすれば「平常心」がドンドン育っていくんです。 逆に言うと、現在の質問者さまは平常心が欠如しているから、焦りに任せてしまうんです。 心配や、焦りや、欲望で、頭がのぼせ上がってしまっていると想います。 そんな自分をクールダウンさせるのも「平常心」の役割なんです。 ですから、焦りや心配という感情を嫌わずに、まずは、そんな自分に気がついてから、「ありがとう」「大丈夫だよ」と自分に言い聞かせるように癖付けていると、心も落ち着いて、穏やかになってきます。 大切なのは、自分の感情と対立しないことです。 自分の感情と対立すると、心の中が戦場になってしまうので、 ますます焦ったり、心配したり、・・・となってしまうからです。 それよりも穏やかで、冷静で、おおらかな「平常心」を養うと良いと想います。 そのためにも、普段から自分で自分を許して、認めて、受け入れる態度を養うことです。

noname#32495
質問者

お礼

ありがとうございます。 大変理にかなった客観的なご回答、頭がすっきりしてきます。 焦りを否定すべきでないとのこと、すごく安心できます。 ただ、平常心が不足しています。焦りが深い動機から来ていて、容易に平常心では抑えられないようなのです。 やはり、物心ついたときから、ここは俺の居場所じゃないと思い続けざるを得ないようにしか、自分を処せられなかったことが、後の「遅れ」を取り戻さなきゃの動機になってしまっているようなのです。