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ちょっぴり切ない・・・『おやつ』の思い出。
今の子ども達は、小遣い持ってコンビニに行けばどんなおやつも手に入ります。 小銭(中にはお札も)を握りしめて、あれこれ迷っている姿は微笑ましいものです。 これが恵まれてると見るか、何となくさみしく見えるかは意見の分かれるところですが・・・。 私が子どもの頃の『おやつ』と言えば、『ふかし芋』が当たり前でした。 両親が仕事を持っていたこともあり、学校から帰ると台所のふかし釜の中から 芋を取りだし兄と食べたものです。それが当たり前だと思っていましたから。 私の時代(昭和30年代後半から40年代初頭)は「おやつ」を買いに行くという 習慣はありませんでした。母が用意してくれるものと思っていましたから、 あるものを食べるだけでした。(なんか、貧しい話しですが・・・) 夏になると『とうもろこし』がたまに登場するのですが、嬉しかったですね。 『あましょく』や『かんぱん』もよく食べました。 (ひょっとして私の家だけが・・・・?) ちょっと切なくなってしまいましたが、皆さんは子どもの頃どんな『おやつ』を 食べていましたか?お母さんが作ってくれたもの?買ってきたもの? 思い出してみてください。 懐かしいあの味をぜひ教えてください。 (おおよその年代も分かると、もっと楽しいかも?)
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私の住むところは子供の頃駄菓子屋さえないような,田舎でした。 それでも,自転車で20分くらいのところに,雑貨屋があり,お菓子も,ここへ買いに行ったものでした。 小学1年生の時に,自転車に乗れるようになり,自慢半分で親のうれしい顔を見たさにヨロヨロと姉からのお下がりの自転車で,この店にアイスを買いに行きました。 当時の自転車にはカゴがなく,店屋で入れてくれる袋もビニールではなく紙袋でした。 片手運転など出来ない私は,ハンドルとアイスの入った紙袋を一緒に持ち・・夏のセミのジンジン鳴く中を汗だくで家路に急ぎました アイスの入った紙袋はそのうちに濡れて破けて・・クリームはしたたりおち,紙が破けて途中で2回も袋から落としてしまい,最後には泥だらけになったアイスを抱えて,途中から自転車を押して唇を真一文字に噛み締めて・・。 家に着いた時は,アイスはあらかた溶けて,袋もそこいらじゅうが破け・・・ それでも土のついていない部分を「おいしいよ!ありがとね!」と食べてくれ,やさしく慰めてくれる,日焼けした母の顔をみたとたん,こらえていた悲しさが溢れわんわん大声でいつまでも泣いていました・・・溶けて無くなったアイスはホームランバー 大人になった今でも,店で売っているホームランバーを見ると切ない思い出が蘇ります。 カレーに肉が入らないほど貧乏だった我が家でのオヤツは母がつくる小麦を練っただけの少し甘い蒸しパン。それでも,ちっとも苦しいとも悲しいとも思わなかった。 ススキの原っぱで秘密基地をつくり暗くなるまで遊び「明日又ここで」といって家路に帰る。 春には春の,夏には夏の,季節毎に野山には自然のオヤツがありました 唇を真っ赤に染めて食べた 桑ズミ,吸うとチョット甘い花の蜜や・・ なによりも,心が裕福だったのかもしれない,二度と戻れない,でも戻りたい頃の話です。
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- suuzy-Q
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愛のセンチンメンタル劇場 第二話 時は、better-lifeな時代…… 小学二年生になったばかりの夏ちゃんの住む アパートに、六年生になるお姉さんが、引っ越して 来ました。名前は、奈美ちゃん。「二人、なっちゃんね」 と、いう小母さんに、二人は、にっこり。 奈美ちゃんが、越してきて、一ヶ月位たった頃、 学校で、夏ちゃんは、六年生の男の子たちに 取り囲まれました。「お前、ホントに奈美の妹かよ」 遠くのほうで、奈美ちゃんがみています。 夏ちゃんは「そうだよっ」って、男の子たちを 突き飛ばして、逃げ出しました。 その日の夕方、奈美ちゃんが「お風呂に行こう」 って、誘いに来ました。(ベランダにお風呂。の 大流行は、もう少し後のおハナシ) いつもなら、妹も連れて行きなさい。っていう ママが何にも言わないで、お風呂代をくれました。 いつもは、夏ちゃんが、お姉さんで、妹の面倒を 見なくちゃいけないのに、奈美ちゃんと一緒だと 奈美ちゃんが、アレコレ面倒を見てくれます。 ママに「耳の後ろ」って言われると、頭にくるのに 奈美ちゃんに「耳の後ろも洗うんだよ」って言われると 「はーい」って、お返事できるのが、不思議な 夏ちゃんでした。 お風呂の帰り。奈美ちゃんが、「アイス、食べてこ」 って、言いました。夏ちゃんは、ドキドキ。 ママに、買い食いはいけない。って言われているんです。 奈美ちゃんに、そういうと、「ウチはいいんだよ。 二人でいる時は、平気だよ。姉妹だもん。」 夏ちゃんが、ドキドキしたのは、秘密のお姉ちゃんが 出来たからでしょうか? アイスが食べられるから だったのでしょうか? 奈美ちゃんが、選んだのは、バナナアイス。 バナナが二本、並んだ形のアイスで、棒も二本 ささっています。他の10円アイスより、ずっと お徳な感じです。奈美ちゃんは、さくっと、 アイスを、二つに割って、二人は、こっそりな 美味しい時間を、共有したのです。 夏ちゃんが、三年生になった時、奈美ちゃんが、 引越しの挨拶に来ました。いつもと違う お嬢さんみたいなワンピース姿の奈美ちゃん。 何も聞かされていなかった夏ちゃんはびっくり。 奈美ちゃんは、何も言わずに、夏ちゃんの手を ぎゅっと、握ると、出て行ってしまいました。 小父さんも小母さんも赤ちゃんも、引越ししないのに 奈美ちゃんだけが、消えたナゾは、夏ちゃんが、 六年生になった時、ママが教えてくれました。 (子供心に、聞いちゃいけないような気がして、 六年生になるのを待っていたんです) 奈美ちゃんの、本当の両親は亡くなって、 親戚の家に、一年ごと、世話されていたんです。 バナナアイスを、見ると、奈美ちゃんには あの後、妹は、できたんだろうか? 出来てたらいいのになあ。って、思う夏ちゃんなのでした
お礼
suuzy-Qさん、ひどいよ~、こんな話を聞かせるなんて~。 ホントに私の弱点なんですよ、このての話は・・・。 私の心を見透かしたように、ツボにズドンと来てます。 はあ~~~~~~。 しばらく一人にして下さい・・・・。 ありがとうございました・・・っと言うか、これ以上いじめないで・・・・。
>満足したけどお腹も壊した?というところでしょうか。 学生相手の商売ですから変なものを出すと営業不振になります。この店では腐ったものは食べませんでした。 >edogawaranpoさんは、窃盗団?には入っていなかったのですね? 入れるだけの元気はありませんでした。結核療養所暮らしですから。 >もちろん「カエル」の肉も食べなかった? 食料の豊富で.狩猟ができる地元の人間は食べません(養殖カエルは別)でした。疎開の連中だけです。疎開の人々は入会権やぎょうぎょう権を含む水利権を持ちません。だから.共有地で狩猟をしたり.野生の食べ物を取ったり.釣りをすることができませんから.どうしてもかえるなどになってしまいます。ヨーロッパの貴族以外の主要な蛋白元はカエルの肉であるとの話がルソーの関係した本のどこかに書いてあったかと思います。
お礼
edogawaranpoさん、こんにちは。 詳しい御解説を頂きまして恐縮です。 お腹を壊した?とは、ついつい食べ過ぎて・・・と言う意味でございます。 誤解を招いてしまい申し訳御座いません。 カエルが貴重な蛋白源との話は私も聞いたことがあります。 鶏肉に似た味であるとも伺っておりますが、私は食べたことがありませんし、 今後も食べることは無いと思います。 結核でいらしたのですか?現在はすっかりお元気でいらっしゃるのでしょうね。 どうも有難う御座いました。
- mitchel
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たびたび失礼します♪ 今度は家族に聞いてみました。 母は昭和19年の生まれなのですが、子供の頃のおやつといえば、1個5円で買えるニッケ玉だったそうです。 母の母(私の祖母)が病弱で料理などがあまりできなかったそうで、手作りのおやつの思い出はないそうなのですが・・・ 父も母と同世代ですが、熊本出身の祖母(父の母)が時々作っていた「いきなりだんご」が一番好きだったそうです。(砂糖が貴重だったので、なかなか食べられなかったそうですが・・・) いきなりだんご、ご存知ですか? 白玉っぽいモチモチしたお団子生地の中に、あんことふかしたサツマイモが入っていて、今でも熊本に行くと土産物屋の店先なんかでよく作って売ってあります。 姉(昭和40年代後半~50年代前半)に聞いてみたところ、私もいくつか共通で思い出したお菓子がありました!! ・明治の「ツインクル」:小さな卵型のチョコレートの中に、麦チョコや小さい砂糖菓子のようなものが入っているのが5個セットになったお菓子でした。特に、小さな卵味のチョコが入ったものがお気に入りで、宝物のように大事に食べていました♪ ・ペロティチョコ:表面に「ドラえもん」などのキャラクターが書いてある2個入りのチョコレートバー。値段も手ごろだったので、よく母が買ってきてました。 ・アポロチョコ:「アポロ11号」の形に似ているからアポロチョコ。(え、みんな知ってたの?!私はつい最近知りました・・・(¨;))1こずつ大事に食べていたな~・・・ ・ピッコリーナ:粉末ココア。中に白くて甘い玉が入っていて(その正体は今では分からない・・・)、その玉がいくつ入っているかでよく姉とケンカしてました・・・ ・ロッテの「ジューシーフレッシュガム」:黄色い包み紙のガムで、割と最近まであったのに、突然姿を消した・・・あれがガムの中で一番お気に入りだったのにー!! あと、小さい頃家の庭にあった「ザクロ」!! 15年ほど前に家を改装したときに植木屋さんが間違えて切ってしまって以来、食べてないザクロ・・・あの味が忘れられない・・・ 植木屋・・・うらめしや・・・(-_-メ;) ちなみに、usa-rxさんが書かれている「メロンアイス」は、今現在自宅の冷凍庫に入っています。 でも、better-lifeさんがおっしゃるように、味がちょっと違う・・・・ アイスと言えば、小学生の頃、近所のプールに行った帰りに買っていたオレンジ味のカキ氷アイス。 真ん中にバニラ味のアイスクリームが入っていて、周りはオレンジのカキ氷でした。 他にもイチゴ味のカキ氷の真ん中にイチゴ味のアイスクリームが入ったのとかありました。 これらは当時の私にしてみれば「ちょっと高級なアイス」で、いつもはその半額くらいの棒つきバニラアイスを買っていました。 でも、たまーにお小遣いに余裕があるときなんかに、この「カキ氷アイス」を買って食べると、ちょっとリッチな気分に浸れて満足したものでした・・・(^^; ところで、 >ところで「コオロギ先生」の件なんですが・・・ >mitchelさんとは、今後も良いお付き合いを続けて行きたいので >あえてコメントはしないことと致します(お察しください・・とほほ・・) 既に締め切られた質問ですが、「トホホな一言」に付け加えてよろしいでしょうか・・・(ToT)トホホ
お礼
mitchelさん、たびたびありがとうございます! 御家族にまで聞いてくれたんですか?お手数おかけしました。 無理なお願いをしてしまったかと、少々反省してます。 「いきなりだんご」・・すごい名前ですね! 残念ながら聞いたことがありません。私の母は長崎出身ですけど、 同じ九州と言っても広いのですね!母の口から聞いたことはありませんでした。 お姉さんの食べていたお菓子・・・殆ど馴染みがありません。 ましてmitchelさんが食べていた物となると、世代の違いを感じずにはいられません(この質問は失敗だったか・・・) 無理なお願いにも拘わらず、協力して頂きましてほんとにありがとうございました。 新たな「とほほ体験」がまたひとつ増えてしまいましたね! でもmitchelさんに対する好感度は変わりませんよ!大好きです♪(やっぱり迷惑?) 近々、mitchelさんが絶対に答えずにはいられない質問を発しますのでお楽しみに! ありがとうございました。
- gomuahiru
- ベストアンサー率37% (593/1595)
再び、失礼いたします。 ヨコヤリを入れて申し訳ないのですが 「もこもこアイス」の名前は森永の「マジックアイス」です! 説明書どおりにやって2回膨らまなかったので、未だにふか~いウラミを抱いております(笑) http://homepage2.nifty.com/dia_nao/minor_f.html 丸川製菓の「オレンジフーセンガム」とカクダイ製菓の「クッピーラムネ」(子供の頃はグッピーと間違えていました)はわが愛知県の誇る、偉大な駄菓子です。 うちの子供も子供会のおやつでよく、食べていましたがなんと30年以上もパッケージは変わっていません。懐かしいのでのせちゃいます! 私は歯医者を一回ガマンすると一袋買ってもらえました。 その点だけは本末転倒な親でした(笑) http://www.carayoko.com/window/item/1113.html
お礼
gomuahiruさん、ありがとうございます。 やはり同世代ですね? かなり遠い記憶なのに、こんなにハッキリと憶えていらっしゃるんですね! よほどインパクトが強かったか、単に頭の良いお子様だったのか。 メーカー名まで御存知とは、恐れ入りました。 「同窓会やりますか?」と、思わずお誘いしたくなる回答でした。 ありがとうございました。
連チャンで失礼します。 私の書いた風船入りアイスというのは、皆さんの書かれている「怪獣たまご」や「たまごアイス」と同じもののような気がします。ただ、usa-rxさんとは食べ方が違ってるみたいです。あれは中味をベロンと出してから食べるのが正しかったんでしょうか。私はチューチューしかやった事ないですが、これは私の生活環境のせいかもしれません。上品とは縁遠いところで暮らしておりました。 そういえば、珍しく女の子の家に遊びにいった時、出してもらった牛乳がマグカップに入ってて、温かかったのに感動した事があります。そのうえに甘くてとっても美味しかった!砂糖が入れてあったのではないかと思います。 私は牛乳というのは瓶のフタを爪でこじ開けて直接飲むものだと思ってましたのでカルチャーショックでした。それ以来、その女の子はいいとこのお嬢さんに見えて光り輝いてました。自分の家庭のガサツさがちょっと劣等感になったりした記憶があります。 で、「クッピーラムネ」を忘れてました。ラムネ菓子なのですが、ポケットティッシュよりやや小さめの、リスだかタヌキだかのイラストのある袋に白い錠剤のようなのが沢山入ってました。何個か色つきのがあって、それをどのタイミングで食べるかが無意味な頭の使いどころでした。 「ピーピーガム」というのも買ってました。「ホイッスルガム」という商品名も見た事がありますが、丸い、まん中に穴の開いた、吹くとピーピーすごい音がするやつです。これはひたすら遊ぶ為のガムで、いいかげんに飽きて疲れてはじめてガリッと噛み潰してガムとしての本来の役目を果たしてもらってました。 その他、カルミンとか、同じ包装の仕方の穴開きドロップ、ややあって、プラスチック容器入りの「ジューシー」などが私のお馴染みさんです。動物の口から吐き出される容器の四角いペッツとかは私の後の世代です。 やっぱ better-lifeさんとは同世代ですかね。ちなみに私の同級生で東京タワーくんなんかは有名なようです。長嶋さんが巨人に入ったのを生まれ立ての私は記憶しています。 最後に、Rikosさんの「もこもこアイス」は、ズーム(ZooooM)とかって名前だったような気がしますが。テレビCMで見たようなかすかな記憶があります。ものすごく興味をひかれたのですが、残念な事に食べ逃して今日まで生き長らえてしまいました。
お礼
vitamin-powerさん、ドンピシャです! 先日行なわれた43年ぶりの同窓会に「東京タワー」君も来てました。 長嶋さんの入団発表は生後2ヶ月の頃、父と街頭テレビで見てました(??) マグカップでミルクと言えば、「ロンパールーム」って覚えてますか? 「うつみ みどり」が進行役だったあの番組です。 その中でひとしきり遊んだあと、子供たちがマグカップで何やら飲んでるんですよ。 それが気になって気になって、しかたなかったですね。 「クッピーラムネ」「ホイッスルガム」、共に懐かしいです! なんだか嬉しい、better-lifeでした。 ありがとうございます。
母親の手作りおやつ、というのは、覚えているのは「パン」くらいです。 メリケン粉に膨らし粉(重曹)と砂糖を混ぜて、フライパンで焼いただけのものです。子供心に店で売っているパンと似てないのが不満でした。ピザみたいに切って、マーガリンなんかをつけて食べてました。ずっしり重くてたいして旨くもなかったけど、まあ、お腹だけは一杯になりました。 両親共働きで、平日は駄菓子屋に必ず顔を出してました。どんなに遊ぶのが忙しくても、その日に貰った20円の小遣いを家まで持ち帰る事は無かったように思います。 駄菓子屋でのお気に入りは「オレンジガム」。パチンコ玉くらいのオレンジ色の丸いガムが4個入って5円だったと思います。角から2番目の下側が「アタリ」が入っている確率が高く、5円で4個獲得した事もあります。 それから、クジの甘納豆。一等が当たるとホンモノの大粒の甘納豆ですが、末等はねずみのフンのような黒い粒が20個ほどしか入ってないヤツで、硬くてあんまり美味しくもなかったです。数年通ったはずですが、一等にあたった記憶がないです。2等には当たりましたが末等と同じものが大量に入っているだけでした。 「紙」も食ってましたねー。ニッケ紙というやつ。パステルカラーに染められた短冊状の紙には味が染み込ませてありました。短冊の束から、これは!というヤツを引き抜くと、お城の絵が書いてあったりします。これ、当たりでもう一枚です。案外味も好きでした。 アイスクリームのお気に入りは、風船のようなものの中にシャーベットを丸く固めたようなやつ。名前は忘れましたー。手のひらの体温で温めて溶かしながら、チューチュー吸いながら食べます。食べ終わったら、まん中が膨れた指サックのようなものが残りますが、これに水道の水を入れて「風船爆弾」を作ります。一瞬で終わる戦争ごっこの主力兵器でした。 チョコレートは今も好きですが、有名メーカーの板チョコはダダをこねて親に買ってもらうものでした。山本直純の「エール」や高級感溢れる「No.1」、「アーモンドチョコ」などというのはヨソイキの高級品でした。自分で買うはチューブチョコが多かったです。フルタとかフルヤとかいうメーカーだったと思います。このトラウマで、絵の具に食欲をそそられたのは私ばかりではないと思います。 1日20円で思いっきり楽しめた時代。貧乏だという気はあまりしなかったですね。こういう思い出は少し切なくて懐かしいです。 今思いっきり楽しもうと思うとするとお金がかかって仕方ないのは、スケベになったせいでしょうか。
お礼
vitamin-powerさん、こんんちは。 ひょっとしたら、vitaさんも同世代でしょうか? まったく同じものを食べてるんですが・・・。 「パン」・・・と同じ物を私の家では「ホットケーキ」と呼んでいました。 ぜんぜんふんわり感なんか無くて、ずっしり重いものでした。 「オレンジガム」でしたか!私は「みかんガム」と下の回答欄に書いてしまいました。 「食べる紙」・・思い出しました!なんであんな物が美味かったんでしょうか? 「風船に入ったアイス」・・これも思い出しました! 溶けたぶんだけちゅうちゅう吸って、だんだん小さくなっていき、 最後に自分の意思と関係無く「ちゅるん!」と出てくるんですよね! いや~、懐かしいですね~。 やはり同級生でしょうか? 懐かしいお話、ありがとうございました。
私の頃は.えんとうとかちょうえんびぶりおの関係で.露天の販売品やなますしだけは食べさせてもらえませんでした。 それで.大学に入って外食のときに.学校前の食堂で焼き蕎麦を食べて.まんじゅうを食べて.カキ氷を食べて.サイター(ラムネ)を飲んで...。 今でこそ.衛生条件が良くなりましたが.昔は.下手に食べると即.食中毒ですから。日常生活では.母と私が台所を占領していまして.食べるものには事欠きませんでした。 同世代の近所の人は.窃盗専門です。農家の子供たちですから.餓鬼大将の指導の下集団で農家の畑を襲い.食べられそうなものは何でも生で食べていました。唯一の例外は.ジャガイモです。これだけはまずくて食べられなかったとか.自宅からやかんを持ち出し.山の空き地でたき火してゆでて食べていたとか。近所に疎開していた子供は.カエルです。親が大地主のもとで下男として働き.草むしりに従事していました。当然.カエルが出てきまして.これを捕まえて.煮て.子供には「鶏肉」と説明して食べさせていました。
お礼
edogawaranpoさん、こんにちは。 お話を伺うかぎりでは、私より上の年代でしょうか? 衛生面では、まだまだ大変な時代だったようですね。 大学に入られてから、一気に爆発ですか? 満足したけどお腹も壊した?というところでしょうか。 edogawaranpoさんは、窃盗団?には入っていなかったのですね? もちろん「カエル」の肉も食べなかった? 勉強になりました。ありがとうございます。
- gomuahiru
- ベストアンサー率37% (593/1595)
遅くにこんばんは。 私は昭和3●年生まれなので、バッチリ子供時代はbetter-lifeさんと重なっています。(以下のことを細かく読めば●のところも大体分ってしまうかもしれません・・・笑) 母親が何でも手作りし、添加物やインスタントが嫌いな人でしたので、駄菓子屋さんへの出入りは固く禁じられていました。ちょっとさみしかったかな? 私は牛乳がニガテで、あまり飲まなかったため、家ではビン入りの配達のがどんどん溜まっていくのでした。 何とかしてチビの私に飲ませようと、母はその頃珍しかったアイスクリーマーを使ってよく、手作りアイスを作ってくれました。霜だらけの冷蔵庫の分厚い扉を通して聞こえるウイーンという騒音はいまでも耳によく残っています。 同じく作ってくれたプリンも懐かしい味です。 その一方、友だちのうちに出入りし、手作りではない市販のお菓子もよく食べていました。「鉄人28号」のイラストがアルミに印刷された板チョコはボーイフレンドの家の常備品でしたし、ちょっと小さいこの口には大きすぎる「サイコロキャラメル」も美味しかったです。「かっぱえびせん」を食べた時の感激は今でもわすれられません! あ、その頃の私にとっての「高級品」はぺコちゃん、ポコちゃんのイラスト入りのミルキーの¥50の大箱でした。なんといっても持ち手がモールなのがミソ! 何か特別な時にしか買ってもらえませんでした。 もっと高級といえば、裕福な叔母が半年に一回くらい持ってきてくれる自由が丘、フランセのケーキ(特にモンブラン!私は栗そばケーキと呼んでました)が楽しみでした。包装紙の「東郷青児」の絵を見ると、反射的によだれが出てしまいます(笑) 「泉屋」のクッキーも子供心をそそる高級おやつでした。 ファンの方がいれば是非「あなたはどれが好きですか?」と聞いてみたいです。 私は、ワニの背中のようにギザギザのついたチョコレート味のとベレー帽を二つ合わせたようなやつ(これがグレードの高い大箱でないと入っていない!)がお気に入りでした。 あ、飲み物だと春日井のシトロンソーダもありました。 何とも言えず、チープな色とレトロな味! CMソングのメロディーも未だによく覚えています。 ♪町にメロンがやってくる~シトロンソーダがやってくる~♪ better-lifeさんもご記憶ないですか?
お礼
gomuahiruさん、こんにちは。 (他の質問・回答欄では大変失礼いたしました。) gomuahiruさん、同級生かも? 完璧に記憶が蘇りました。高級な「フランセのケーキ」と「泉屋のクッキー」以外は。 「サイコロキャラメル」好きでした。子供の口には大き過ぎるんですが、 それだけに頬張った時の満足感は大変なものでした。 無理に奥歯で噛むと、歯にくっついちゃって取れないんですよね! シトロンソーダの唄、憶えてます! やっぱり同級生かな? ありがとうございました!
- kayako2
- ベストアンサー率38% (19/50)
20代前半です。 うちは幼稚園に入るまえ、フレンチトーストを柔らかめに焼いて 耳を取り除いて、細かくしたものを母がよく作ってくれました。 離乳食みたいな感じでしたが、とっても甘くて、懐かしい思い出です。 もっと大きくなると駄菓子屋に行って 紐がついている砂糖漬けの飴や、(といったら東京の人に知らないといわれました。地方限定!?) ビニールの棒に白い甘い粉が入ったもの、などを食べてました。 でもフレンチトーストの方がいい思い出です。
お礼
kayako2さん、こんにちは。 おやつがフレンチトーストとは羨ましい♪ お母様の優しさと年代の差を感じます(笑) どんなお菓子もお母さんの手作りにはかないませんよね! 愛情と言う名のエッセンスが効いてますから! kayako2さんも、素敵なお母さんになってくださいね! ありがとうございました。
- suuzy-Q
- ベストアンサー率12% (83/664)
おいらの子供時代はどうやら、完璧、 better-lifeさんと、重なりそうだ。 水曜日か木曜日が、おとっつあんの、お土産の日 だった。絶対、おっかさんが、買ってくれない マーブルチョコや、プリッツ、グリコの、お土産。 プリッツは、ちょうど、その頃知った、 世界で一番、大きな木、メタセコイアに、 見立てて、妹と、うちの木は、まだ、何本あるもん。 とか、言い合って、ちびちび、食べていたっけ。 グリコ(キャラメルね)も、ずいぶんオマケを ためていたんだけど、引越しの時、消えた… カムバック!!オマケ~ (床屋のイスもあったんだぜ) アトは、叔父貴が、話してくれたホラ話 「俺が子供の頃は、一銭で、こおんなでかい (指で直径5cm位の輪ッカを作る)アメ玉が 買えたんだぞオ。もう、でかいから、舐めるのも 一苦労で、(舌でほっぺたを膨らまして) こっちから、こっちへ(ぽんっと、反対側の ほっぺたを膨らます)移動させるのにも、 テクニックがいったんだぞオ。」 ぽんって、ほっぺたが、膨らむのが、見たくて 見たくて、どうやら、うそらしいと、わかっても、 「アメの話、してして。」って、まとわりついてたよん。
お礼
suuzy-Qさん、やはり同年代でしたか! 共感できる部分が多かったので、あるいは?と思っていましたが。 マーブルチョコといえば、上原ゆかり・・・ グリコ・バタープリッツと言えば、塩味・バター味・・・ グリコ・・・・・・一粒300メートル! >「アメの話、してして。」・・・ suuzy-Qさんも、子供の頃は純粋で可愛かったんですね! 少し安心したbetter-lifeでした。
お礼
konojiさん、こんにちは。 何故だか、目頭が熱くなってしまいました。 konojiさんのお話しに、共感を覚えるかたも多いかと思います。 ごめんなさい・・・・・・・涙が出てきちゃって・・・ 上手くお礼が言えません・・・。 >二度と戻れない、でも戻りたい・・・・ ホントにそう思います。 心に染みる思い出をありがとうございました。 こういうお話し大好きなんですが、私の弱点でもあります・・・。