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「もしも世界が100人の村だったら」の原作者は?

「もしも世界が100人の村だったら」の出生についての疑問です。 日本語訳は2001年3月に受け取った英語のチェーンメールを日本の方が翻訳されたようですが< http://www.romi-nakano.com/100.html >、原作はもともと日本人で千葉の中学校の先生だったという朝日新聞の記事を読んだ記憶があります。 簡単に原作者に辿り着けるかなと思って検索を始めましたが、なかなかヒットしません。一秒を争う問題ではありませんが、自分の中で未解決なのが気持ち悪く、ご存知の方がおられましたら情報をお願いします。

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回答No.1

おはようございます。 紹介して頂いたサイト(中野裕弓のページ)にも 書いてありましたが、 環境学者の Donella H. Meadows さんが 新聞のコラムに発表したものが原作とされています。 これ↓がそれです。 http://www.redrat.net/thoughts/global_village.htm ---------------------------------------------- 1990年に活字になったメドウスさんの原稿には 100人ではなく1000人の村の様子が描かれていました。 それが人の手を経るうちに100人サイズに縮小され、 ある部分削除され、 また後半の部分は誰かに書き足されているのです。              中野裕弓さんの記事   「100人の村」との関わりについて(2002年2月)                   より引用 -------------------------------------------- 千葉の中学の先生というのは 千葉県市原市の市立五井中学の生稲勇教諭 だそうです。下記参照↓。 http://www.waterpyramid.com/nils/100-village.html 参考になれば幸いです。

kazuyamakazuo
質問者

お礼

詳しい御回答をいただき感謝しています。 御紹介頂いたURL、及び < http://www.trendnavi.jp/kako/r2.09.htm#1 >, < http://www.books-ruhe.co.jp/recommends/2002/06/sekaigamoshi100ninnnomuradattara02.htm > を見た結果、「原作はもともと日本人、、、」というのは私の勘違いであったことが判りました。 1990年のDonella H. Meadows さんの原作から発したチェーンメールを2001年3月に中野裕弓さんが和訳され、2001年9月に千葉県市原市の市立五井中学の生稲 勇教諭が学級通信メールで取り上げ広まった、というのが正しい順序のようですね。 解決しました。ありがとうございました。

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