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大学進学について悩んでおります。
進路のことで悩んでおります。これをご覧になってくださっている方々に、どうかお力添えになって頂きたいのです。よろしくお願い致します。私の生きる目的は、世界平和です。私のこの志はもしかしたら偽善なのかもしれませんが、これでも自分自身では真剣にそう思っております。今、世界は数え切れない問題に満ち溢れています。環境問題、犯罪、麻薬、飢餓、戦争…。これらの問題を解決するためには、私たち1人1人の認識が大切だと思っております。私たちはこれから、それらの問題とどのように向き合い、どのような生き方をすべきなのかが大切だと思っております。私の夢は、中学校か高校の国語の教師になることです。文学を通して、『命の大切さや愛しさ、尊厳』『思いやり』など、生きるうえで大切なことを生徒たちに教えると共に、私たちがどのような生き方をすべきなのかを生徒たちと一緒に考えてゆきたいのです。そのためにはまず、私自身の人間性を育み、知識を身につけ、そしてなによりも教員免許を取得するために大学に進学しようと思っております。私は金八先生のような素晴らしい先生になりたいのですが、素晴らしい教師になるために最も環境の良い大学はどこだと思われるでしょうか?東京学芸大学、埼玉大学、信州大学、早稲田大学(教育学部国語国文学科や第一文学部)、東北大学(文学部)、千葉大学などなどが挙げられるかと思いますが、どの大学が最も良いと思われますか?それぞれの大学の細かい違いがわからないので、大変困っております。また、あまりにも高いレベルの大学は、合格できない恐れも出てくるので、候補としていくつかお教えください。どうか、皆様のお知恵をお貸しくださいませ。よろしくお願い致します。
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質問者が選んだベストアンサー
現職の高校の教員です。あなたのような熱意溢れる教育者が仲間に入ってくることを心待ちにしております。 まず申し上げたいのは、お分かりだとは思いますが、「この大学に行ったから必ず素晴らしい教員になれる」というものではないということです。教員になるためには教科に関連する科目、教職科目(教育原理、教科教育法、教育心理学、教育史、道徳教育の研究など)などをしっかり学ぶことは重要ですから、たしかにそれらが十分学べない大学はどうかとは思います。しかし、どの大学にもすばらしい先生やすばらしい学生がいます。肝腎なのは、その学生がどれだけ前向きに学習に取り組むかです。 実際、私の周囲にいる同僚で考えても、出身大学は様々です。ある大学を出た教員は資質が高く、ある大学を出た教員はレベルが低い、などというものではありません。 すばらしい教員を目ざすのであれば、ぜひ教員になるための学問以外に、さまざまな体験を積んだり、さまざまな人との出会い、関わりをもっておくことをおすすめします。大学でのサークル活動も1つですし、アルバイト、ボランティア、社会体験などなど、人間の幅をひろげる活動を多くなさってください。教員はよく視野が狭いと批判されます。それも人によるかとは思いますが、現在生徒たちの多様化はますます進んでいます。個性、家庭環境も、価値観も実にさまざまです。ですから、多面的に物事を捉え、考えることができることは重要です。私事になりますが、受験で失敗した挫折感、強烈な失恋などもときには生徒と接する際に役立ったりしますよ。 あなたは文学を通じ、「命の大切さや愛しさ、尊厳」、「思いやり」など、生きるうえで大切なことを生徒たちに教えると共に、私たちがどのような生き方をすべきなのかを生徒たちと一緒に考えてゆきたい、とおっしゃっていますね。たとえば、どういう文学作品を通じてお考えになりますか。あなたが大学において重点的に学びたい作品や作家がいれば、それらの研究が思う存分できる大学・学部をさがすことの方が大事な気がしますね。大学名というブランドではなく! 回答にはなっていないかもしれませんが、ご参考までにと思い、記させていただきました。
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- cello1720
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No.3の補足です。回答に対するご質問にお答えします。 > 「『教職科目(教育原理、教科教育法、教育心理学、教育史、道徳教育の研究など)などをしっかり学ぶことは重要』とおっしゃいましたが、やはり文学部ではそれらを勉強することはできませんでしょうか?」 学部はあまり関係ありませんね。もっとも大事なのはあなたの姿勢だと思います。もちろん、教育学に限っていえば、教育学部の方が詳しく取り組めるのでしょうが、教職課程をとる場合には、文学部でも教育学部でも同じ程度で学べると思います。それに、教職課程で学ぶことよりも、実際に教員になってから学ぶことの方が多いのではないかと思います。人間として大きくなることが大切ですから、学部そのものはあまり関係がないかもしれません。 最後に。文学部の魅力は他学部にはない、独特のものです。どうか文学のおもしろさ、深さを多くの生徒に伝え、いろいろなことを考え、学ばせることのできる熱意あるすばらしい教育者(共育者)になってください。
お礼
ありがとうございます。 私自身の姿勢が大事だということは心得ていますが、やはり『環境は人を変える』と言うように、大学や学部の違いというものは大きいと思っておりました。ですが、いざ大学を卒業された方や在学中の方にお聞きしますと、さほど関係ないようです。それでも、『偏差値の高い大学には、深い考えを持った人や素晴らしい志をもった方が集まりやすい』という考えは変わりません。あと1年あるので(正確には1年ありませんが)、私立文型コースに入って、しっかり勉強して早稲田大学の教育学部国語国文学科を目指そうと思っております。ありがとうございました。
- kissmyknife
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NO.1から3までの方の回答はすばらしいです。ただ同じ教員として意見を言わせて下さいね。 『命の大切さや愛しさ、尊厳』『思いやり』など、生きるうえで大切なことを生徒たちに教えると共に、私たちがどのような生き方をすべきなのかを生徒たちと一緒に考えてゆきたいのです・・・とありますが,これは国語の範疇とは少し異なると思います。これは「道徳」の部類に入ります。これを生徒に伝えたい気持ちは非常にすばらしいですが,あえて国語にこだわる必要はないと考えます。 もう1つ,生徒に伝えたいのに大学は関係ないはず。挙がっている大学はすばらしい大学ばかりですが,そこでそんな勉強は絶対しません。もし高校の先生がそんな進路指導したのなら申し訳ないですが何らかの意図があると思います。 最後に何処へ・・個人的で言いますとICUを考えます。理由は多くの外国の人とふれあう機会があり,その国の人達の考えが学べます。「思いやり」は相手の気持ち・立場を理解することから始まるからです。つたない回答ですが参考にして下されば幸いに存じます。
お礼
少し変わったご意見ですが、貴重なご意見でした。ありがとうございます。私は、「これは国語の部類!それは道徳の部類!」と、分ける必要はないと考えます。国語の問題でよく問われるのは、『誰々の気持ち』です。相手の気持ちを想像し、相手を思いやるために私たちは日々、国語の勉強をしているのだと思います。もちろん、自分の意思を伝えるためのコミュニケーションをする力を身につけるのも大切ですが、私はあえて国語は道徳的な内容に踏み込むべきだと思います。そうでなければ、『走れメロス』や『高瀬舟』や『大人になれなかった弟たちへ』を勉強する意義は何処に存在するのでしょうか?また、「国語にこだわる必要はないと考えます」とおっしゃいましたが、どどういった意味でしょうか?他の教科の教師をすすめて下さっているのでしょうか? 私は、やはり偏差値の高い大学の方が、偏差値の低い大学よりも素晴らしい人々に満ち溢れていると考えます。素晴らしい人々に満ち溢れた大学は、それだけで環境が良いのです。また、私があげた大学では「そんな勉強は絶対にしません」とおっしゃりましたが、「そんな勉強」とは何ですか?道徳的な勉強ということでしょうか?大学では道徳的な勉強はしないのですか?1つ思ったのですが、あなた様は国語の教員の方ではございませんね?私とは考えがあまり合わないようです。英語の教員の方ですか?ですが、とても参考になりました。今までになかったご意見でした。感謝いたします。少々熱くなってしまって申し訳ございません。
- masa072
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高校生ですか?とても立派な考えをお持ちだと思います。 大学というのは、自ら考え自ら行動するところです。人間性を育み知識を身につけたいということですが、どんな知識を身につけたいのでしょうか。学問の知識であればどんな学問をしたいですか?どこの大学にも同じようなことを選考している人がいるわけではないので、それによって大学は変わってきます。もしいろんな経験から学んで知識を得たいのであれば、大学は関係ないと思います。どこの大学にもさまざまな部活やサークルがありますし、その集団の中で人間性が育まれ、雑務を含めた経験を通していろいろなことを学べると思います。 ちなみに、いろいろな経験をしたいのであれば、学園祭実行委員か生協学生委員会をおすすめします。
お礼
とても参考になるアドバイスをありがとうございます。私は高校生です。私など、まだまだ口ばかりで何もできない人間です。大学に合格して、4年間でなんとか使い物になるように頑張りたいと思っております。どのような知識とおっしゃいましたが、まずは教える力です。教育学部を卒業するのと文学部を卒業するのとでは、授業の教え方が若干変わってくると思います。私は、文学に深く携わった方が、より魅力ある授業が展開できるような気がするのです。その点、何かご意見がございましたらよろしくお願い致します。次に、知識と言えるかどうかは分かりませんが、さまざまな状況に対応できるようになるための判断力、相手の気持ちや相手の痛みを理解できるための想像力、忍耐力、決断力…、さまざまな力を身につけたいのです。それらの力を身につけるには、たくさんの素晴らしい文学に触れ、経験をすることが第一だと思っております。皆様は、教育学部と文学部のどちらに進めばよりよい経験を積むことができるとお考えになりますか?また、文学部で定評のある大学は、やはり早稲田大学でしょうか?よろしくお願い致します。
- wagamamacat
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素晴らしい目的を持っていらっしゃるようですね、今後もその目的を持ち続けてもらえるといいと思います。 教育学科を卒業した者の感想なのですが、「素晴らしい教師になる」ための環境というのは誰かにわかるものではないと思います。「ダメな教師にならない」ための学校選びなら経験上わかる人もいるかもしれません。 技術とか知識とかを身に付けたいのならば有名大学も良いかもしれません。 現場の先生の話だと、某大学(県の名称が付いてる)の学生は教育実習では「使えない」、逆に偏差値55くらいの某大学(私立)は子どもへの教え方がうまい、と言っていました。 前者の大学の出身者は校長教頭などの管理職向け、後者の大学の出身者は実際に子どもへ教える教師向け、と印象を持たれたそうです。 このような傾向が一部にあるのかもしれませんが、どの大学にいてもダメな人はダメだし、良い人は良いのです。だから偏差値で選ばない方が良いかもしれません。(ただ、同じキャンパス内に偏差値の低い学部学科があると、それなりの環境だと思います。注:私の出身大学での経験) それから、YK0616さんの考えは素晴らしいもののひとつだと思いますが、それを子どもに押し付けるのは良くないですよ。自分がやりたいものと、学校が求めるものと、子どもが求めるものはいつも一致しているとは限りません。 また、金八先生は人情味のあるいい先生だと思います。でも、その過剰なまでの人情味を嫌がる子ども保護者もいます。現代の学校ではあそこまでできないという部分もあります。 今回のように発達障害や知的障害の子どもが入ってきた場合、過剰な関わりが逆効果になったり、周りのサポートが過剰すぎて社会に出たときにサポートが激減したために適応できなくなるという一面もありえます。 特別支援教育の対象となる子どもには、金八的な人情や気合や理屈のアプローチではなく専門的な知識を持って将来を見据えた適切なサポートが必要となってきます。 今、現場の先生方は発達障害児への対応ができずに苦慮しています。そういう対応もできる先生になってください。 長文になってしまいすみません。
お礼
お忙しい中、私めの質問にお答え頂き誠にありがとうございます。私の考える「素晴らしい環境」ですが理想としては「良き出会い」のできる大学が私の考えている素晴らしい環境です。素晴らしい講師の先生との出会い、信頼・尊敬のできる友との出会い。素晴らしい出会いによって、人は大きく成長できるものだと耳にしたことがあります。「偏差値の高い大学の生徒や教授は、必ず素晴らしい人間である」などとはもちろん言い切れませんが、少なくとも偏差値の低い大学よりは、より深い考えを持った素晴らしい人間が集まると思います。偏差値の高い大学の方が、きっと良き出会いに恵まれるのではないでしょうか?また、早稲田大学の第一文学部は歴史があってとても有名だと聞きます。それならば、より素晴らしい講師の方たちに満ち溢れているのではないでしょうか?もしどなたかご存知でしたら、教えていただきたいのです。よろしくお願い致します。
お礼
大変素晴らしいご意見に深く感動いたしました。本当に、ありがとうございます。『教職科目(教育原理、教科教育法、教育心理学、教育史、道徳教育の研究など)などをしっかり学ぶことは重要』とおっしゃいましたが、やはり文学部ではそれらを勉強することはできませんでしょうか?正直、私は今文学部に惹かれております。『文学を深く学ぶことによって人間として大きく成長でき、生徒を惹きつけるような授業ができるだろう』と、私の尊敬するお方がおっしゃっていたからです。もちろん教育学部にも大変興味があります。ご意見がございましたら、どうかよろしくお願い致します。大学に晴れて合格しましたら、積極的にボランティアやNGOに参加してゆきたいと考えております。4年間という短い期間で、いかに教師としての資質を身につけるかが、大学生活での大きな課題となるでしょう。私は現時点では中学校の教師に憧れているのですが、やはり心に残るのが中学校で習った「走れメロス」や「高瀬舟」、「大人になれなかった弟たちへ」などです。中学生という心を育むべき大切な時期に、これらの文学を通して友情や思いやり、命の尊厳や戦争の苦しみを学ぶということは、生きるうえで最も大切なことだと思います。