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親への恨みを解消したい。
37歳。女。独身です。 私には、両親から「甘えさせてもらった」「大事にしてもらった」経験が殆どありません。 そして、この歳になっても、そんな親を許せません。 両親はカタチの上では、普通すぎるほど普通の人たちです。そんな親に文句を言う事は、世間的には何を文句を言うのだと叱られて当然かもしれません。 私は甘えているのだと思います。 自分が情けなくて、恥ずかしい・・・。この歳になってまで、なんて子供のようなことを言っているのだろう。オトナコドモもいいところです。己の情けなさは、重々判っています。 それでも・・・、それでも、どうしてもどうしても許せないのです。 本当は謝って欲しい。 私を愛さなかったことを。 大事にしてくれなかったことを。 母のゴミ箱の役割を果たしながら、尽くして尽くして、疲れ果てた今、とうとう関係を切ってしまいました。もう3年近く音信不通状態です。会ったり電話をしたりすることで、どんな感情が噴出してくるか・・・自分で自分が怖ろしくて、ずっとコンタクトとっていません。 両親のうち、父は昔から問題の所在そのものを無視していて、「●●(私)が、また拗ねている」といった態度をとりつづけているようです。母も、手をこまねいているだけで、取り立てて私に連絡を取ってくることはありません。年末の叔父死去の知らせも、イトコに出した年賀状がきっかけで知ったくらいです。 自分から関係を切っておいて、本当に矛盾しているのですが・・・、そんな両親が「冷たく」思えて・・・。 何回も何回も転職をし、色々なことに手を出しましたが、何一つ上手くいきません。 結婚どころか、友達も恋人もいない。 独りぼっちです。
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- sirayukihime
- ベストアンサー率30% (63/207)
御返事するの大変そうですね。無理することないんですよ。私のこのレスには御返事なさらなくて結構ですよ。とりあえず締め切ってから余裕のあるときにボチボチ御返事してもいいんじゃありませんか?じっくり考えをまとめながら・・・。 さて「いい子」というキーワードに苦しんでらっしゃる貴方に、もう一つのことばを贈ります。 「自分にとっての いい子」 を目指してください。 誰も愛してくれなかった、守ってくれなかった、気持ちを察してくれなかった。 そう思うのなら、これからは自分に、そうしてあげてください。自分だけは自分に、そうしてあげよう!誰もしてくれなかったこと自分だけはしてあげよう!それを目標にしてください。 自分というのも実は一つの人間関係なんですよ。自分だけは自分の味方でいて上げてください。 まず、栄養をつけて、ゆっくり、お風呂に浸かって、眠って、・・・とりあえず、できることから、最低限度のことからヒーヒーフーフー言いながら少しずつ少しずつ慣らしていってください。 思いっきり苦しんだ後でなければ掴めないものもあるんですよ。焦らないで。怯えないで。肩に力入れないでね。
- hoshimineko
- ベストアンサー率13% (132/996)
>いえ、立派なんてものではないのです。全く。 >自分が楽になりたいだけなのです。 あなたは決してバカではありません。 自分が楽になりたいのは,誰でも当然思うものです。 ただ,その「楽になる方法」が見つからずに苦しんでいるのではないでしょうか? 大丈夫ですよ,世の中そんな人の方が絶対に多いですから。 何もしないで「楽をしている」人って,本当はいないんじゃないかな? >でも、皆さんの優しいお気持ちにすぐに応えられない不甲斐ない自分がまた情けなくて。 >ごめんなさい。 >こうして文章を打とうとするだけで今精一杯です。 色々な方が,色々なことを仰っています。今のあなたには苦しい言葉もあるかも知れません。 でも,「自分を楽にする方法」が見つかれば,それも「他の人の考えだから」と流してしまえるようになります。 全てを受け入れるべきだとは思いません。先にも言いましたが,聞きたくないことは聞かなくて良いんです。見たくないことは見なくても良いんです。 今のあなたがのするべきことは,「あなた自身を楽にすること」です。 >そして、そんなこんなで皆さんの優しさに甘えようとしている自分。 >何だかんだ言って、回答者の方がたから、優しい言葉をもらおうと、同情してもらおうとしている・・・。 >嫌だ、嫌だ! 優しい言葉ばかりが来ている訳ではないですよね。かなり厳しいことを仰っている方もいらっしゃいます。 でもね,少なくとも私は「同情」してはいません。私とは違う形であれ,親子関係で苦しんでいる人がいるんだ,だったら私の経験を伝えることで「同じような人もいる」と,安心してくれれば良いな,と思っています。 親子関係に恵まれた人もいるけど,そうでない人もいる。そして何より,生きている。 そんな中で,苦しんでばかりいて何もできないのはもったいないでしょう?だからこそ,あなたが楽になる方法を探して下さい。それが病院で薬をもらうことだったり,カウンセラーと話すことだったり,ここに書き込むことだってりしても,どんなことでも良いんです。まずは自分が楽になってから,それからです。 そして何よりも,自分を嫌いにならないで下さい。あなたは,あなた一人しかいないんです。日本中,いえ,世界中を探しても,あなたはあなた一人なんです,あなたを好きになる人は複数いても,あなたは一人しかいないんです。そんな唯一の存在である自分を,嫌いにならないで大切にして下さい。 早く心が軽くなって,楽になりますように。
- pinkheel
- ベストアンサー率6% (1/16)
こんにちは、私も両親から愛されなかった者です。 少し自分に似てるかなと思って投稿しました^^ http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1261602 >両親から「甘えさせてもらった」「大事にしてもらった」経験が殆どありません。 そんな親を許せません。 まず、親は子供を甘えさせる、大事にする義務が あるのかどうかを考えてみましょうか (憲法で保障している教育を受けさせる義務等以外に というイミですが)どこまでが義務でどこからが 責任外なのか考えてみるとすっきりするかもしれません子供を生んで育てるというところに子供に食事や 教育を与えることに加えて「愛する」「甘えさせる」義務があるかどうか、、、(子供をかわいがる親は 多いと思いますが、子供を好きになれない親も たくさんいますから) >母のゴミ箱の役割を果たしながら、尽くして尽くして、疲れ果てた 残念ですがpregioさんお気持ちはお母さんに届かな かったのでしょうね。でも卑屈になる必要はないと 思いますよ。pregioさんのお母さんにはpregioさん の想いとその行動に感謝する【能力がなかっただけ】ですから。それにpregioさんにも母親のゴミ箱役を しなければならない義務はおそらくなかったでしょ う。pregioさんは優しいところがあるのかもしれませ んね。 >両親のうち、父は昔から問題の所在そのものを無視していて、 お父さんは問題の分析能力(原因と結果を直視する 能力)がないのだと思われますよ(無視ではなく)。 無視するくらいなら原因と結果を直視して解決する 方が早いし、気分がいいですから、それをしない というのは、おそらく分析解決能力がないのだと 思われます。 >自分から関係を切っておいて、本当に矛盾しているのですが・・・、そんな両親が「冷たく」思えて・・・。 矛盾していませんよ^^「冷たい」のではなく「能力 (人を愛する能力とか問題分析力とか)がない」ので しょう(残念ですが)。 >何回も何回も転職をし、色々なことに手を出しましたが、何一つ上手くいきません。 結婚どころか、友達も恋人もいない。 独りぼっちです。 ここは問題がすれ違っていると思いますよ。 転職をくりかえしまた友人恋人がいないのは pregioさんがご自分を分析して、より良く磨いていく こと、他者と共感することを怠っていた (気力がなくなっていたのかもしれませんが)結果だと 思われます(私にも痛い言葉ですが)。 とても不思議なのですが、私は先日ここに質問して からすごく体が楽になりました。皆様から回答をいた だいてから、両親とその親(祖父や祖母)との親子関係 や家庭環境を家系図や当時の社会状況を踏まえて想像 してみたのですが、なるほど、 ★私の親に「人を愛する能力が欠けている原因」があ ちこちに見当たりました(笑)。★ それからは、なんだか悩んでいた自分がいとおしく思 えて(間抜けというか、) ★自分ではどうしようもない遥か昔の過去から悩みの 種がでていたということに気が付く★と、、 「なんだ私が悩まなければならない悩みじゃないじゃんと思えて」、笑いがとまらなくなりました(笑)。 【ここにたどりつくまで相当悩みましたけど(笑)。】 そこで、私からpregioさんにささやかなアドバイスです。 (1)まずはご自分を分析すること(専門家に協力してい ただいてもいいし、ご自身で内省されるのもよいかと 思いますが)が必要でしょうね(残念ですが、私もここ が痛いところなのですが、pregioさんはご自分の感情 をリアルタイムで処理する能力が乏しいと見受けられ ます。優しすぎたり、我慢してしまったり、あきらめ てしまったり、訴える機会や手段を持とうとしなかっ たり、いろんな理由があると思いますが、、、この能 力さえ身につけられると事態は好転しそうな気配がし ます)。 (2)それから、ご自分を磨くことですね(ご友人をつく られたり、趣味をもたれたり、ボランティアされるの もいいかもしれません)。 (3)さらに余力があれば、ご両親を分析されてはいかが でしょうか。すっきりすると思いますよ^^、 ★ご両親の愛情が乏しい原因が【pregioさんが理由で はない】ことに気づくでしょうから。★ いろいろと悩み多きことと思いますが、あきらめずにがんばってみてください。
- hoshimineko
- ベストアンサー率13% (132/996)
#12です。 あなたのコメントを見て,気になりましたので・・・。 >お恥ずかしい話ですが、今現在、お風呂に入るのもおっくうな状態です。1ヶ月近くも入っていません(シャワーだけ)。洗濯をする気になれず、下着もなくなってきたので、昼間買っては捨ててます。毎朝、やっとベッドから這い出して、タクシーで出勤に間に合わせている状態です・・・。 >ホント、情けないです。 決して情けなくはないですよ。 様々な事情で仕事に行けなくなってしまう人は多くいます。そしてついに長期欠勤となり,解雇されるとか辞める人とか,あるいは治療して何とか元通り仕事ができるようになった人もいます(けど,かなり時間がかかります)。 でも,今の状態では,あなたの心の苦しさだけでなく,財政状況もかなり厳しいのではありませんか?それが心配になりました。 なので,一度,心療内科か精神科を受診されることをお勧めします。もしかしたら,あなたの苦しさから来る「シャワーだけ」「洗濯する気もない」「やっとベッドから出てタクシー出勤」は薬で多少改善するかも知れません。(薬の効果が出るまで少し時間がかかるかも知れないし,効果が出にくい薬や副作用が出る場合もあるでしょうが,それは医師と相談すれば改善するでしょう) 私自身も,仕事に行くのが困難になるような状況になりました。それで,心療内科に行き,薬を処方してもらい,何とか仕事に行けるようになりました。と言っても,そこに至るまでに副作用でかなり苦しんで薬を何度も替えたし,そこの医師の判断で病院を替えたし(一応紹介状を書いてもらいましたけど),医師の態度に不信感を持ってしまい主治医を替わってもらったり,そこからまた副作用が小さく効果がある薬をあれこれと試しながら選んだりして,それだけで結構時間がかかりました。 でも,今でも仕事から帰ったら,あるいは休日は,何もする気がしません。 ずーっとそういう状態で,特に酷いのが室内。誰も来ないのを良いことに,もう散らかり放題です。(^^;;; 他の方も仰っていますが,精神科には「通院医療費公費負担制度」というのがありまして,その制度を受けたいと思えば,医師に言って診断書(無料)を出してもらい,市役所等に提出します(どこに出して良いかわからない場合は,上記制度を利用したいと受付の人に言えば案内してもらえます。福祉関係の窓口だと記憶しているのですが)。その日から,精神科の医療費が5%となります。 また,病院によっては専門のカウンセラー(臨床心理士)またはソーシャルワーカーがいる場合があり,カウンセリングを受けることもできます。 それから,カウンセリングはなくても,良心的な医師であれば,話が長くなってもきちんと聞いてくれます(私の現在の主治医がそうなんですが,予約しても待ち時間が長くて・・・(^^;;;) 早く良い医師に会えれば良いのですが,精神科医にも相性があります(と言うか精神科は医師との相性がかなり重要です)。 まずは,医師に相談してみることをお勧めします。
- kaiu
- ベストアンサー率20% (65/315)
こんばんは。 他の回答者様への丁寧な回答を読む限り、pregio様は生真面目な方だと感じました。 親に対し理不尽な思いを抱えて育った人間は多いと思います。 私はpregio様と違い身勝手で頑固な性格なので、 一人立ちする年齢になったらとっとと家を出ました。 5年間音信不通にしました。 その間何度も親不孝だのと他の人間に責められました。 色々な人間と触れ合い、他の家庭を見、ようやく家に帰りました。 兄弟にも見放された親が老けて見え、私を小さい頃育ててくれていた人も亡くなっていました。 確かに親を憎んでましたが、その時そのまま親も死んでいた事を考えました。 一生憎み続けるのは、果たして自分の為になるのだろうかと。 親が死ぬのは勝手ですが、一生憎しみ続けなければならない こちらの気持ちは一体どうなるのかと。 せめてこちらの憎しみが消えるまでは生きていて欲しいと願いました。 現在私は親が私を生んだ年になります。 人間なんて信じない、結婚もしないと思っていました。 ですが、今普通に働いていて昨年結婚もしました。 死を選ばずに生きなければならない限りは、やはり親は尊ぶべきではないでしょうか。 私はそういう風にはとても思えませんでしたし、pregio様もそうだと思いますが、 少しでも今日は良い事があった、良い人と出会えた、 それはpregio様のお人柄と共に、あなたのご両親が有るからなのだと思います。 私的な事ばかり書いてすみません。 ですが音信不通状態であったという私の共通の経験から何か お役に立てられるものがあればと思い書かせて頂きました。 こんな掲示板では何の励ましにもならないかも知れませんが、 どうかpregio様が少しでも前向きに生きていただける様、心からお祈りしております。
- hamanasu_2005
- ベストアンサー率61% (27/44)
#13です。 世の中、結構捨てたもんじゃない。少しはそう思って頂けているかな。 少し顔を上げると色んな物が見えてきて、自分と同じ経験や 気持ちを持っている人は結構近くに居たりして。 私は自分自身の事を質問者様に向けて書き込みましたが、 質問者様へ向けながら自分へ向けての言葉でもあった。 質問者様の事を思って書きつつ、自分自身の問題や感情と 再び向かい合い、新たな物を知り、得たと感じています。 私は質問者様のこの投稿を見て、出会いが沢山ありました。 苦しみは自分だけの物ではない、分け合ってもいいのだと改めて 思わされます。私も私一人じゃないと思いました。質問者様から 色んな物を頂けました。 質問者様のサバイバー期、回復を求める生存者の時期はそろそろ 終わりではないかと思います。回復を願っているのですから次の 段階へ行ける筈です。今回のこの投稿がきっときっかけで、縁でしょう。 今度はウォーリアー期、回復の為にあらゆる事を駆使して戦う時期に 上がる時が巡って来ているんだと思います。過去と戦えるのは自分だけ、 これだけは自分でやらねばなりません。戦うのですから苦しいし、 傷つく事もあります。甘い事だけでないのが戦いです。でも皆、戦っています。 私もです。私は戦う為にカウンセリングの門を叩きました。 #17さんが書かれていますね、「シスター・フッド」。 私もシスター・フッドが出来ました。決して一人ではありません。 見える所にいなくても、傍にいなくてもちゃんと居ます。 進む力をありがとうございます、そして前へ進める事を願っています。
- frau
- ベストアンサー率28% (56/199)
これまでの回答とお礼を読ませていただいたのですが、とても穏やかな方だなという印象です。 「>全て親との関係のコピーのような気がしてなりません」とおっしゃるのをみて、ご自分をきちんと客観視できる聡明さも感じられました。 でもご自分の感情に対してそこまで否定をしないでいただきたいと思いました。 親への義務感を見受けられますが、これはあなた様の純粋な優しい気持ちからきているものでもあり、またその親から躾けられた「良心」の部分かもしれません。ただこの後者の部分が強すぎると自分の感情を罰する傾向となり、ますますその呪縛から逃れられなくなります。 他の回答者の方が上手に説明なされていますが、「感情」そのもののは人間らしい自然な感情です。むしろ不感でいることの方が問題です。感情は厄介な生き物のようですが、これがあることによって問題解決への意思、もしくは「生きる意志」にも繋がるのだと思います。 また、ANo.8さんが「サバイバー・オリンピック」という言葉を挙げてらっしゃいますがまったくそのとおりです。確かに世界にはたくさん不幸な人で溢れています。しかしそのときの自分の世界は比べようもないほどの苦しみで溢れています。自分のと「もっと存在する不幸」を比較対象にして自分の苦しみをないがしろにする必要はないのです。その苦しみを経て自分と近似した経験者への思いやり、または自分とは違う経験者の苦しみを想像ことができるのですが、それと曖昧な不幸比較とはまったく違うということをわかってください。 一部の回答にはそうした「比較」やまたは「問い」「押し付け」がみられますが、一般論やある種の理想論はこうしたケースの場合逆効果です。掲示板などでご相談することも、同じような経験や苦しみは自分だけではないことを明確にするものですが、きちんとしたカウンセリングにかかったほうがよいかもしれません。治療過程の中では「傷つけた人と傷を受けた人のどちらが悪い」、とか「~せねばならない」とか、「こうした方がよい」などの押し付けはありません(もしされたのであれば三流の専門家です)。 また日記をつけて心を整理するのもよいのではないかと思います。 古傷をいじるのは確かに辛い。カウンセリングにかかるのも同じことです。自分と向き合わなくてはならない。そうした「覚悟」も必要です。 私にとっての「心の整理」とはそのように日記をつけることと心理学を勉強することです。逆説的ですが葬り去りたい過去を生かすためです。皮肉ですが、かつて親に押し付けられただけの「学問」は、そうした様々の体験を経て今こうして「生きた学問」となっております。 最後に。 自分のこと話すことはやめようと決心したのですが撤回。通りすがろうと思ったのですが、つい立ち止まってしまいました。だからあなたや抱く苦しみや、感情は決して特有のものではないことをまず分かってほしい。回答者である私も、他の温かい回答者様によって自分も励まされたような気がします。 長文失礼しました。 ここまで読んでくださり感謝いたします。
- bascavil
- ベストアンサー率25% (72/277)
pregioさんの書き込みが、私の元を去っていった婚約者にとてもよく似ているので、傍観者でいられなくて何か書かせてもらいます。 ちょっと長いですが、私の事例を書かせてください。 とにかく、ご両親の感じが元婚約者にあまりにそっくりなんで・・・・。 少し違うのは、私の元婚約者の家は非常に経済的にも不安定で、大学にも行かせてもらえなかったところでしょうか。 彼女は私と暮らし始めてから、毎晩毎晩、過去のこと、親への恨みを延々言い続けるか、黙りこくって泣きながら布団にもぐりこんで泣き続けていました。 たまに、彼女の実家の母親と電話をするときは、いつも感情が爆発するようで、とにかく怒鳴るかくってかかるようにしか話せないようでした。 家の中はいつも雑然としていて、家事もできないので、妙に浪費が進んでいました。 一緒に暮らすまで、この側面は本当に分からなかったです。とにかく、外見はしっかりしていて、頭もよかったので。ただ、今思えば、早い時期に両親に安心感を与えられなかったので、人一倍気を使うようになっていただけかもしれません。 一緒に暮らすようになって、私は非常に困惑しました。ただ、よくよく思い返してみると、彼女は能力は高いのに、仕事がぜんぜん続かないのです。 どうも、最後はヘトヘトになって辞めてしまう。 鬱状態が軽いときは、いろいろな計画を思いつき手を出すけれども、いつも失望で終わっていました。 私は彼女の話をひたすら聞き続け、分からないなりに背景の理解に努め、どうやらこれまで、そういう彼女の「親への恨み」については、いろいろな人から「批判」や「説教」を受けてきたらしいことが分かったので、私は批判や説教をせずにただただ毎晩毎晩聞き続け、なんとか二人で幸福な将来を作ろうと促しましたが、どうしても心のトゲが解消できないようでした。 彼女のこうした傾向は、とうとう一緒に暮らしている私にも向かうようになりました。 私に尽くして(尽くそうと心を労しすぎて)、一方的にヘトヘトになり、最後は「疲れたの!」と泣き喚き、出て行き、音信不通になってしまいました・・・。 夫婦同然の関係なんだから、行き違いや、いさかいもあれば不満もあるだろうから、そのたびに喧嘩しながら修復しつつ、自分たちの文化を創っていけばいいんだと私は考えていたものですから、本当に困惑しました。 彼女が出て行くまでの数週間は、私にとって、ひたすらどうしていいのか分からない日々でした。とにかくもう、修復とか育成とか、そういう可能性が彼女の心に浮かばない。「疲れた」という一点張り。 最後の引き金は「わたしの人生は失敗だった」という彼女の言葉にたいする私の言葉でした。 「いい加減にしてくれ。毎日毎日昔の話。失敗って、じゃあ俺の立場は何なのよ?」と、結局無意味な説教を私もしちゃったんですね。 彼女にしてみたら、「止まり木」を失ったんでしょうか。もう、あとはどうしようもなかった・・・。 それで、ここからがアドヴァイスというか「お願い」なのですが、どうか「ゆったりと」した人生観をもってください。みんな本当に適当に生きています。 いろんな人がいますが、中にはその心ごと受け入れる気持ちのある人、衝突しながらもあなたに寄り添う意思を持つ人もいるのですから、そういう人を見つける意味でも、あえてあなた自身をさらけ出して暮らしてみてください。 あと、人にたいする「見切り」、物事にたいする「見切り」をあまり急がないでください。無理に尽くそうとするのではなく、他人との関係を「育む」ことを考えてください。ヘトヘトになる必要はないです。思い切って自分の生きやすさを半分くらいは貫いてみてください。本当に心に触れると、他人は予想外なほど、あなたに歩み寄ることがあるものです。
- frau
- ベストアンサー率28% (56/199)
(今私の傍にあなたがいたら抱きしめてあげたいです) 「家族システム」という概念があります。 家族には役割(またそのイメージ)があります。例えば「エリートで仕事人間」の父、「家を守る昔気質」の母、しっかり者の姉、外交的な妹というタイプだとします。しかしそれぞれがお互いの関係の中において役割を演じることもあります。例えば父親に「共依存」している母に代わり、妹が姉と父親との諍いを調停する役割というように、その役割はいったん成立したら同じ役割を担ってバランスを取ろうします。しかし問題は安定した状態が、健全なものか、病理性が高いものかなのです。家族の病理性が高い場合、家族メンバーの中で最も弱いところに、家族全体の病理性が現れる可能性があります。この関係においては仮に姉が居場所のなさから神経症になり、妹は調停役としての葛藤をもつことになるでしょう。 これはひとつの参考程度に考えてください。 私の「図式」はこうです。 両親共々高度経済成長の申し子、私は第二次ベビーブームのひとりです。時代はバブル到来の少し前、そんな時代性もあってただひたすら高学歴を求めら続けました。それが親の教育論です。ただそれだけでした。でも私は親の「コピー」ではありませんから、個人としての「理論」というものを持っています。 その頃の私は学校で、いや、世間でというふうに枠組みを広げた方が誤解がないかもしれません。何もかもが上手くいかないときに、親は私の苦しみを無視してとにかく「よき学歴、よき就職、よき結婚相手」があればとりあえず「幸せ」になれるという持論でした。新しいこの時代の価値観と比べると笑われてしまうかもしれませんが、彼らは、本当にそう言った、のです。学校とは逆方向の電車に乗る私を探偵のように追いかけてくる父のおぞましい執念は実際そう断言しなくても、言葉以上に私に押し付けてきた価値観でしょう。 子供は成長し、世間と対峙しなくてはならなくなったときにも様々な困難が生じます。これが自分の力で克服できる困難だったらよいのですが、私の場合このような問題を抱えたままですから「アディクション」や現実の人間関係では悪循環を繰り返すということになります。 個人を輪の中の核とすると適度な距離を保ちながら親兄弟などの家族がその次の円、友人や恋人などの円、学校や地域社会や職場などの円、そして自分が持つ家庭の円などと輪が広がっていきます。これを標準としましょう。しかし私の場合それぞれに持たせうる役割すべてが混乱しているのです。例えば「父親」の代わりとなる人を年上の既婚者に投影したり、暴力に「共依存」したり、安定した職場につけず引きこもりがちになったり。… 私は親にとって問題児だったのです。でも親からすれば言うことを聞かせるのは簡単です。経済的、肉体的、精神的暴力。「すべてはお前のため」「誰が育ててやっているのだ」「ここは俺の家だ、いやならば出て行け」云々…。親という権威、あるいは親の義務、勘違いの愛情を持ち出せば容易に私が凹むと思ったのでしょうか。精神的な疾患は小学校の頃より発症したのですが、自分の考えや意思だけは狂わされなかったのです。 自分では「家族戦争」と称していますが、軋轢が生じてから長い間葛藤の日々でした。その数々はフラッシュバックとなって寝ている間も起きている間も苛みます。例えばトラウマによるフラッシュバックは、時間や空間を問題にしません。あなたの「年齢」についての意見がでていますが、心の問題は年齢とはまったく関係ないでしょう。いや、年齢を経た分の治療時間は必要とされます。歳をとるのは自然の法則です。しかし心の問題は解決されない限りもしかしたら墓場まで持ち込むことになりかねません。もしくはそれによって「退行」、子供返りするのが心の世界の法則であり複雑さであり不思議なことなのです。 「虐待の連鎖」は世代交代を指しますが、未解決の心の悪循環もまた同様、その人生を巻き込んでその世界の中でいつか打ち切らなければならない「連鎖」でしょう。 バブルが崩壊して終身雇用制度も学歴も幻だった、登校拒否児や引きこもりは年々増加し、精神疾患者が市民権を得るこの時代を待つよりも私は両親も一部の代表者となって子供達に切迫したおかしな時代性に対して私は断固として拒否できたことがいい意味で反抗できたと思います。私はただの一例なのですがこれらは学歴社会のひずみだという学説があります。環境問題と同じですね。科学万能主義(高度学歴主義)を過信しているときは何を犠牲にして成り立っているか見ることができません。いや、見てしまったら進歩できない、立てた目的の意味がなくなってしまう。なので臭いものにはフタをしろとしてきたが、淘汰されつくしたとき、犠牲にしてきたものの悲鳴が聞こえてきた。耳を塞いできた自分も傷を負っていることに気がついた。あらゆるものを犠牲にして作り上げたものは正体をみせはじめるが当然「まがいもの」であるから崩壊するしかない。残されたのは大量の不燃ゴミと精神的肉体的病理なのでしょう。 生まれたての乳児は親という存在しか頼りにできません。健全な自我の成立は親の愛情と信頼感を得てから育まれます。 「アマラとカマラ」という狼に育てられた子供の話をご存知だと思います。それを発見した人間たちによって「人間らしく」育てられましたが結局失敗に終わりました。アマラは発見されてから1年足らずで死亡してしまい、カマラは約9年間生き続けたのですが17歳で亡くなるまでに3~4歳の知能の発達と30語ほどしか話すことができませんでした。 つまり「三つ子の魂は百まで」なのです。これは格言でもなんでもなく、発達心理学では実証に基づいて定義されていることです。子は親を選べません。その子を産む意思と責任や覚悟を決めたのは親です。「同時に親も子を選べない」という意見もありますが、単に言葉上の弁証です。 子供がまっさらなカンバスだとしたらそれにある程度の色彩をつけていくのは親です。そうして自我の成立の時期になると子供の自ら「個性」という色彩を新たにのせていきます。 とくに古来より血縁の濃さを重視してきた日本文化は家族=より濃密に密着していなければならない関係という思いというか課題というか、定義というか、それが人類的遺伝としてリンクされてきたのです。しかし近年の核家族制度の増加により核家族特有の問題の他に、「遺伝」の問題も顕在化されてきたのでしょう。 私は血の濃さは信じません。作家の宮尾登美子さんが好きなのですが、その体験から生涯一貫したテーマとなっている「生さぬ仲」を私小説でのテーマとしてもいます。乳児は必ずしも「母親」を愛着の対象とするのではなく、自分とより密接に繋がった相手を愛着の対象とするという報告もあります。…と自分に言い聞かせているのですが、私の愛着の対象、それはすでに肉親「だった」のでしょう。だから負った傷というのはこんなふうにやっかいなんですね。 長くなりましたので二回に分けて投稿します。
- Freezia_72
- ベストアンサー率40% (6/15)
No#15です。 追記です... 精神科で医療費の公的補助制度があるのをご存知でしょうか? 地方自治体だったか国だったかは忘れてしまったのですが、 補助の対象となる病の場合、申請すればかなりの割合で医療費が安くなります。 私の強迫神経症はこれが適用されました(対象とされるかどうか微妙だったらしいのですが) 以前はごく限られた症状のみだったらしいのですが、数年前に適用範囲が広がったと聞いています。 すみません、このことを思い出したのがついさきほどだったので、詳細を病院に確認できませんでした。 ただ、カウンセリングは別かもしれません。 ほんとに病院によって対応も値段もさまざまなのです。 最初に受けたところは、病院が場所を提供している別組織といった感があり、 料金相場はあるのかもしれませんが、続けるとなるとかなりキツイものがありました。 2度目のところは、「うちでは、別途料金はいただきません」と言われて驚きました。 今はどうかはわかりませんが、数年前に読んだ書籍に 「カウンセラーという資格はない」 という一文がありました。 主に医療関係者が本業とは別に行っている といった状態のようです。 私の母は、家庭環境がものすごく複雑で、貧しく家庭の愛情を知らずに育ったと、 繰り返し繰り返し聞かされました。 父は父で、兄弟が多かったので常に競争だったことを差し引いても、 家族の愛情には恵まれていたと思うのですが、精神的には大人になりきれない子供のままです。 姉は私より10年年長で、私が物心つくころに反抗期突入でした。 結果、3人が3人とも満たされない思いを私に求めたのです。それこそ4才の子供に。 無条件に自分の味方であることを。精神的庇護を。 私はそれに過剰反応してしまったようなのです。 20歳過ぎるまで気づかなかった自分もどうかと思うのですが、 疑問には思っても深く追求することはあまりなかったように思います。 自分の存在意義にかかわるから、無意識のうちに蓋をしていたのかもしれない。 姉の荒れようが凄まじくて、私が入る隙なんてカケラもなかったから、 世間で言うところの「反抗期」もなくきてしまいました。 でもことあるごとに疑念は膨らむばかりで、私の年齢とともに3人の矛盾だらけの要求もエスカレート、 それでも家族内では私の立場は一番弱いから、いつでも諸悪の根源にされてカタつけられ、 さんざんやつあたりされて、それでもすべて許す寛容さも要求されて。 20歳過ぎて、いつ何されるかわからず怯え続ける日々に、どうにも矛盾だらけの要求に疲れ果て、 長年の疑問をぶつけてみましたが、かえってくるのは模範解答。第三者の感想みたいです。 それでも事あるごとに証拠突きつけ、過去の例を挙げ、疑問を投げかけてきましたが、 「だっておまえが精神的に一番強いし大人だもの」「そういう運命だと思って諦めれば?」の言葉に ついに忍耐も堪忍袋そのものも破裂してしまいました。やはり「都合の良い化け物」扱いだ と。 精神科にかかり、カウンセリング受けて、たしかに楽にはなりました。 でも、彼らを許そうとは思いません。許せるとも思ってません。 私がまったく傷ついてない苦しんでない と、本気で信じてる彼らを許せる日がくるとは思えません。 彼らには彼らの事情があり理由もあります。 ですが、それらは私の責任でもなければ、私が押し付けられるべきものでもありません。 金銭的にはほかの家庭に比べさほど不自由してはいませんでしたし、短大まで出してくれました。 家族のため働きつづけた父は、社会人としては尊敬します。 ですが、父親と思うことはできません。すべて私に責を負わせ、逃げ続けた彼を父とは思えません。 姉も、「姉」ではなく「戸籍上姉と呼ばれる他人」と思うことで、精神の安定を得ました。 家を出た今、精神的にも距離を置き、世間一般でいうところの家族の愛情や感情はありませんが、 他人よりは近い親戚くらいの感覚ではいます。 せめて、これ以上憎むことだけはしたくない と思います。 過去は許せないけれど、今のところ憎悪の感情に囚われることからは解放されたように思います。 私自身の記述が長くなってしまいましたが、 ご自分を大切にしていただきたい と思います。 No14さんも仰っていますが「自分を守れるのは自分だけ」です。 今、私は「自分探し」をしています。 長年家族に尽くして、自分を殺してきてしまった。 失ってしまった自分を取り戻すべく、置き去りにしたままの自分と向き合う時と思っています。 質問者さまも、どうかご自分の人生とご自分自身を大切になさってください。 無理しないことが解決への一番の近道なのかもしれないです。