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自我不確実感??
外来文化との接触、受容に際し、日本人の精神構造の基底にある自我不確実感はどのように働きますか?
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- alidon
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回答No.1
〇真新しく、何処かに馴染みがあるような物に対しては積極的に受け入れ、違和感を感じない。 例・利便機器、道具等。生活の補助に優れている物や、従来の生活利便向上に役立つ物。 〇新しい概念、新規の発想に対しては、その時点での自分にとって有利になりそうな物や、楽しそうな物、面白そうな物、それを取り入れても世間の批評を受けそうにない物ならば積極的に取り入れ、利用する。 例・民主主義(特に民族等の平等性)、芸術作品、クリスマス等の各種イベント(神に祈らねば生きてゆけない、生存事態が厳しいという状態から遠ざかっている現在の日本では宗教もこのカテゴリーに含まれると思います)、カッコいい横文字系のシステムや概念、ファッション等(ファッションについては周囲の批判は範疇外) 〇諸外国の圧力→政府の思惑→しょうがないか・・・となる物 例・消費税、金融政策、対某大国に気に入られるような様々な政策を根源にする様々な法制、制度、慣習等。 等が主な所でしょうか? 結局自我不確実感の根源は戦後教育の賜物だと思われます。それまで強固に築いてきた民族意識、仲間意識が180度変わり、一気に国民性の隠蔽に傾いた為、全ての事柄に対して自我と呼べる物が不確実になったのだと思います。結果、接触する外来文化のタイプが、今までの生活と大きな相違が無いものや、世界的に悪しき物、取り入れて自己の権利縮小にはならない場合は早々に受け入れ、世界や某大国の不興を買う物には不快感を示す・・・と言う所でしょうか。いや、勝手な想像ですが。