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トイレのなぞ
先ほどトイレに入っていました。そこでふと思ったんです。 「どうしてここはこんなに落ち着くのか?」 そこで家族に聞いてみました。あなたたちの一番落ち着く場所は、と。 すると皆から同じ答えが帰ってきました。 「トイレ」 と。 人によりそれぞれ、ほっとできる場所というのは違うものでしょうが、トイレがそうであるという人は意外に多いのではないでしょうか? そこで、私なりにトイレが究極の癒しスポットである理由を考えてみました。 ・部屋は適度に狭く、四方を壁に囲まれ、また、ドアは施錠されているから。 ・下半身が露出されているから。 ・くしゃみなど一般に生理現象は快楽が伴うものが多く、排泄もその一種だから。 ・芳香剤に含まれる物質に癒し効果があるから。 最近は癒しブームなどといわれて癒しビジネスが盛んですが、トイレにこそ大きなビジネスチャンスにつながる何かがあるような気がします。 しかし私が上にあげたいくつかの理由が、そのリラックスの諸因だとしても、まだ納得できません。 そこで皆さんにお聞きしたいのですが、一体トイレにはどういうカラクリがあると思いますか?
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とても面白いご質問ですね。 ご指摘になった要素にひとつ付加というか、まとめを入れたいのですが、それは 「見られたくない、聞かれたくない、臭われたくない、全て隠したい」 という理由で普段はできない行動が、トイレの中では思う存分に大っぴらにできるから解放感が感じられる、つまりホッとするのではないでしょうか? たとえば、たった一人である情況では下半身を晒そうが何しようが、自分以外の人の目は気にする必要はありません。 人間は常に自分以外の人間からどのように見られているか無意識に緊張感をもって注意を払っていると思います。 トイレではそんなストレスからまず解放されますよね。 第二に糞便を排出する時の音なんて、トイレの中だったら、仮に他人に聞かれてもある程度はいいですよね。 普段、日常生活の中でオナラをするのでも他人に 「臭われないか、音が聞かれないか、誰か気付いた人はいないか」 オナラひとつをするのでも結構ストレスを感じているように思います。 あるいはトイレに入るまでずっとオナラを我慢し続ける人もいるでしょう。 トイレの中ではそのようなストレスはありません。 これらを考えると 「トイレの中では普段ストレスを感じながら我慢している事が思う存分できる状態になるから、ホッと落ち着く」 と思うんですね。 もしたとえば、山の中の一軒家でたった一人で生活をしている人で、どんな事をしても他人の目を気にする必要がない人の場合、トイレに入った時に我々と同じようにホッとする、あるいは落ち着くという事があるかどうか、興味深いところだと思います。 ストレスという意味では、排便感をずっと我慢してきてトイレでドバッ、その時には内臓がストレスから解放されるので、一種の快感を感じるように思います。 芳香剤による効果もあるでしょうが、多分上に挙げたような理由がほとんどかなと感じています。
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- sacristain
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#1の方の回答があまりにもお見事なので、思わずうなってしまいました。 私なりに思ったことを羅列しますね。 1.昔はトイレ(というより厠、はばかり、雪隠等)は、排泄のための「臭い所」でしたが、 現代ではトイレをいかに快適な空間にするか、という工夫がされて トイレ=リラックスできる心地よいスペースになっている 2.定員1名の自分だけの空間で、他人の目をきにしなくてすむ 3.排泄時の爽快感がある(それだけ排泄という行為は人間にとって大切なこと、 という証明だと思います) ただ、閉所恐怖症の人にとってトイレは大敵のようで、 家のトイレを使う時はドアを開けっ放しにする、という人もいるようです。 私は閉所恐怖症じゃなくてよかった~!って思っています。
お礼
なるほど。 1については、#2様もおっしゃっているように昔の快適とはいえないトイレであっても人々のの憩いの場となっていたそうです。また、私の自宅のトイレはリラックスできるような工夫は特にないかなと思います。掃除を怠っているせいであまりきれいでもありません。しかし快適です。不思議です。 2については、なるほど、そうですよね。トイレは本当の意味でパーソナルスペースだと感じられます。自分の部屋は自分のみが占有することが確定しているのにあまり落ち着かず、家族全員で共有しているトイレでは落ち着く、これまた不思議です。 3について、大切なことという証明ですか、なるほど、とても考えさせられます。 トイレを開けっ放して使う人がいるというのは貴重な情報でした。私は高所恐怖症ですが幸いに閉所恐怖症ではありません。本当によかったです。 回答ありがとうございました。大変参考になりました。
- HPLC
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心置きなく無防備になれる場所。 もしくは無防備になることを許される場所。
お礼
そうです。そうなんです。簡潔に表現してくださりありがとうございます。すっきりしました。
- kaitaradou
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寺田寅彦の随筆の中に瞑想にふけるのに良い場所として、枕上、馬上、厠上を三上という話が出ています。この寅彦随筆は、馬上が現代の交通機関に相当するということをテーマにして書かれていますが、昔のそれほど居心地の良くなかったトイレ(子供のころは便所と呼んでいました)でも当時の人にとっては落ち着く場所だったようです。是非寅彦の随筆を読んでみて下さい。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、とても興味深いです。 青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person42.html で、寺田寅彦氏の作品がいくつも公開されていますが、kaitaradou様がおっしゃっている随筆はどの作品のことでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 とても整理されていてよく理解できました。納得した部分もありますが、まだわだかまりが残ります。そこでもう少し自分なりに考えてみました。 ビートたけしがいっていたそうですが、たけしは自分の食事を絶対に人には見られたくないそうです。食事という行事は公然と発露してよいものではなく、もっと原始的で本能的で、決して綺麗なものではないと。確かに、食事をするときの人間というのは、非常に醜いものだと思います。目はどんよりとあらぬ方向を向き、一心不乱に箸やフォークを振り回し、くちゃくちゃと噛む音、無思慮に嚥下される音、誰もが自らの欲望をいかんなく発現しているその姿は思わず目を背けたくなります。そういう意味では食事と排泄は本来、同列に扱われてしかるべきと考えます。 しかし食事と排泄の間には深い断絶があります。たとえば、食事は複数ですれば楽しいものとなるが、排泄においては悲劇的です。レストランでも食事をする各ブースは低いついたてで仕切られていますが、トイレは高い壁に阻まれます。ドラマでも食事のシーンはストーリーに彩りを添えますが、排泄シーンは放送禁止処分をくらいます。 この二つの間の溝には何らかの社会的な意図を感じます。明らかに人々の排泄や排泄物に対する嫌悪感は後天的に獲得されたもの、無理やり植え付けられた幻想だと考えます。人間が最も好む匂いは、自らの排泄物の匂いだそうですが、であれば他人のものであってもそう大差がないはずなのです。つまり、社会的には臭いとされている排泄物も、個人の領域に立ち返ってみれば、芳香剤以上の効果があるのではないでしょうか。私たちが排泄物の匂いを臭いと思うとき、ひょっとするとそれは自分に嘘をついているのかもしれません。 話がむちゃくちゃに思うかもしれませんが、私なりのトイレが快適である結論を書きます。 つまり、「トイレとはマトリックス」なのです。 このマトリックスは映画のマトリックスと同義です。我々が普段いる世界は偽者で、トイレに入った瞬間に、ネオが受話器をとるときのように、やっと本当の世界に存在できるのです。あの安心感はいってみれば、「故郷への帰還」だったのです。 飛躍してしまっていますが、なんとなくこんな感じかなと思いました。