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『カッコーの巣の上で』チーフが病院に留まっていた理由(※ネタバレ)
名作『カッコーの巣の上で』に、耳の聞こえないインディアンが出てきましたよね。名前はチーフです。彼が、周りを騙してまで病院に留まっていた理由って一体なんだったのでしょうか?父親の死は映画中少し触れましたが、彼自身が病院にいる理由はわかりませんでした。自由な世界に出るのが怖かったのかなと考えたのですが・・・。複雑な問題なんでしょうけど、みなさんはどう思います?
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久しぶりにDVDで見てみました。 チーフについては、仰るとおり、病院に入っていることも、そこにとどまっていることも、理由ははっきりとは分かりませんですね。 DVDの特典映像に、チーフのカットされたシーンがあるのですが、黒人の看護士にモップや髭剃りで、いじめられている場面でした。本編の台詞とこれらのシーンから、次のように想像してみました。 チーフは、父親は大きかったが自分は小さい人間だと言っていました。体や力ではなく、精神的に気が小さいということですね。強かった父親を失い、守ってくれる人がいなくなり、周りの人から様々ないじめを受けてきたんだと思います。 「熊でも殺せる怪力男」と看護士が言っていましたが、ある日、耐え切れずに暴力をふるってしまい、捕まってしまった。しかし、一言もしゃべらなかったので、精神病院に入れられてしまう。 最後のシーンからわかるように、逃げる気になればいつでも逃げれたけど、逃げる勇気か社会に溶け込む勇気がなく、黙ってそこに留まざるを得なかった。 やがて、マクマーフィと出会い、心を開いていく。そして最後の夜、手術から戻ってベットに横たわるマクマーフィに、「出よう、今は俺もデカイ気分だ。」とつげる。 と、こんな感じに思いました。 ところで、『カッコーの巣の上で』というタイトルには、どういう意味があるんでしょうか?
私なりの考えです。うまく言えませんが。 健常者として一般世間でいろんな問題と戦うには相当の気力が必要で、質問者さんの言うように彼にはそれが失せてしまっていたのだと思います。 それが高じて… 主人公を含め、”狂人”扱いされてあの病棟に閉じ込められ自分の病気・障害に苦しんでいた患者に対して、チーフは逆だったのです。普通の考えでは自身を「障害者・異常者」と扱われる事を望みませんが、彼はそうなりきる事で自分を守ったのではないかしら?哲学的ですね…。 だから最後のシーン。ジャック・ニコルソン演じる主人公が自由を求めるあまりとうとう脳に手術を施されてしまったのを見て、外へ出る勇気(ちょっと陳腐な表現?)を得たのではないでしょうか。 と、私は解釈して観ました。 身内に心的障害者がいるので、深く考えさせられた映画でした。「障害って何だろう」「障害者って何だろう?」と。
お礼
>普通の考えでは自身を「障害者・異常者」と扱われる事を望みませんが、彼はそうなりきる事で自分を守ったのではないかしら? わかりやすい表現です。≪=意気地なし≫とは一概に言えない深みがありますよね。外の世界で生きるにはチーフは不器用だったんでしょうね。 ありがとうございました。
お礼
DVDの特典映像はぜひ見たいですね。 ありがとうございました。 >『カッコーの巣の上で』というタイトルの意味* カッコーは他の鳥の巣に卵を産みます。そしてそこで孵ったヒナは他の卵を巣から落として、他人の親鳥からエサをもらって育つそうです。≪自分の居場所ではない所=病院≫と例えて、ある者はそこに閉じこもり、ある者はそこで死に、ある者は力強く飛び立っていく・・・というような意味を持っているのだと思います。