新快速は昭和46年に登場し、昭和47年3月から昼間時間帯に設定し15分間隔運転に大幅増発しました。当時は国鉄で、変な規則があり、外側線は、東京本局が主導権を、内側線は大阪局に主導権があり、新快速は大阪局独自の電車で、東京局から見ると非常に特殊な電車でした。そのような電車を大阪局で独自に走らせるには、外側線の使用は認められなく、内側線を走行することで、増発が可能となりました。
JR移行に伴い、そのような変な規制を受けなくなり、本格的にラッシュ時にも新快速の運転が可能となり、昼間も外側線に移行し、大阪~三ノ宮間のスピードアップを図りました。またこれまで大阪駅では両方向とも、新快速に続行して2分後に快速が発車していましたが、運転間隔を平均化し、快速が発車すると13分後の新快速まで待っていたのが、快速を7分後に設定したことで、待ち時間を改善しました。
また、新快速から各駅停車(又は逆)の乗り換えの利便性や、従来の新快速と同一ホームにすることで、混乱を避け、新快速の乗りやすさを優先しました。
また「大阪~新大阪」のみの利用の場合も、同一ホームに統一することで、わかりやすい方法です。新大阪で別ホームにすると、どのホームの電車が大阪先着?と考える必要がなくなります。
当時の新快速は高槻や芦屋は通過しており、三ノ宮や神戸では、番線が違っても同じホームですので問題はありませんでした。
ただラッシュ時間帯はダイヤの関係で、外側線の走行になります。
快速の外側線の運行は、随分昔からで、各駅停車が4分間隔で運行しており、走行速度が下がります。さすがの国鉄もラッシュ時のおいては、変な規制を緩和していたようです。現在は朝のラッシュ時では、新快速・快速が外側線を走行し、所要時間の短縮化を図り、他の私鉄に対抗しています。
高槻(昼間)では、高槻止めの各駅停車が到着してから、快速(高槻から各駅停車)が到着します。快速はすぐに発車しますが、高槻止めの各駅停車は、すぐに引き上げ線に進入出来ないこともあり、暫くそのまま駅で停車します。快速が発車した後、新快速が到着しますが、各駅停車が新快速のホームで停車したままなら、新快速がスムーズに入線出来なくなります。
芦屋では、芦屋止めの電車がなく、快速と接続する各駅停車と、新快速と接続する各駅停車とでは、違うホームに到着します。