数珠回しは「百万遍念仏」の一種で、浄土往生・追善回向・除災招福のために百万遍念仏を唱えることで、唐代の迦才の『浄土論』に百万遍念仏が往生の業とされています。平安期以降、個人が特定の期間に唱えるものと、多数で唱える融通念仏の2種あります。「融通(ゆうずう)念仏」は、良忍(聖応大師)が永久5年(1117)5月15日に阿弥陀如来より感得した「一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行、是名他力往生、十界一念、融通念仏、億百万遍、功徳円満」という教えに基づきます。これは念仏を多数で唱えるとそれがお互いが融通して、現世、来世の利益が莫大になるという教えです。
宗派としての融通念仏宗は、大阪の平野区「大念仏寺」が本山で、現在はそれほど大きな宗派ではありませんが、各地の寺院の歴史や民間信仰に与えた影響は大きいです(特に多数参加した方が利益が大きいという考えは「踊り念仏」にも関係します)
大数珠が用いられるのは起源ははっきりしていません。また浄土宗では元和元年(1331)に知恩寺8世善阿(空円)が百万遍によって疫病を退散させたので、後醍醐天皇より弘法大師筆とされる「利剣名号」(南無阿弥陀仏の筆跡が剣のように尖った名号)と「百万遍」という寺号を賜ったといいます。
念仏は初期大乗の基本的修行で「仏を念じる」という観想(瞑想)の一種ですが、その方法として「仏の名を唱える」「仏の姿を見る」「仏の誓願を想う」などがあります。特に「阿弥陀如来」の念仏は極楽往生の修行とされたので、さらにその念仏の一つである「仏の名を口にする」という「口称念仏」が特に中心となりました。そのため「念仏」=「南無阿弥陀仏(阿弥陀如来に帰依し奉る)」と一般に理解されるようになりました。
なお浄土宗・浄土真宗は「専修念仏」といい“観想としての念仏ではなく、ただ名号を唱えるのみでよい”という教えであり、これは現世での仏事作善を否定する異端思想と捉えられたので当時布教を禁止されたのであって、念仏そのものは禁止されてはいません。また当時は念仏はあくまでも修行の一種であり、それそのものが独立した教え(宗議)を持つものではないとされていました(禅も同様です)。そのため真言や天台・華厳など専門の宗派を学びながら、往生のために念仏も行っていました。また民間信仰では念仏による滅罪と鎮魂によって除災招福という現世利益を受けるいう考えもあり、いわゆる宗派としての念仏とは微妙に異なります。
お礼
有難う!! 『各地の寺院の歴史や民間信仰に与えた影響は大きいです(特に多数参加した方が利益が大きいという考えは「踊り念仏」にも関係します)』 鎌倉時代に入り、法然らの浄土門(念仏宗)が勃興する前から、教信沙彌、空也、良忍らによっても、浄土門が庶民に広がるインフラがあったということは言えるんじゃないでしょうか? ついでの質問になってしまいましたが、上記以外のもので、庶民への浄土門のインフラに影響を与えた僧がいれば、教えていただければ、有難いです。 良忍っていう人は、全く知らなかったものなので。
補足
ああそうか・・・・仏事作善なければ、専修念仏だけで、OKとなれば、仏教のお寺そのものの存在基盤、お寺に寄付もしなくてもとか、たいそうな儀式となるような仏事が不要になるかから、浄土宗以外の宗派から、危険思想とみられたということか・・・・・・・・・