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難病の患者さん

今大学のゼミのほうで難病の患者会について調べています。 そして今度の日曜日(24日)に難病の患者会の集まりというか、シンポジウムのようなものに参加させていただけるようになりました。 そこで質問なんですけど、やはり触れてはいけない部分というのはあるでしょうか? 一応その集まりには病気とは無縁の人も参加可能で、患者会との交流の時間のようなものも設けられているので、外に情報などを発信しようとしている患者会の人達だろうとは思うのですが・・・ やはり避けた方がいい話題とかはあるのでしょうか? それとも一般常識の範囲内であれば大丈夫なのでしょうか? 質問の意図がわかりにくいと思うのですが、何かご意見ございましたらご教授願いします。 m(_ _)m

みんなの回答

回答No.3

患者側です。アドバイスはNO.1.2の方と一緒です。 あなたは医療関係?福祉関係?どちらでもいいのですが(笑)学生さんの参加があるのは嬉しい事です。 「交流会」と銘打たれた上で参加したいと思ったのなら、素直に参加したいと考えた理由について実行してほしいと思います。身体的特徴を見たいとか、患者の心のうちを知りたいとかあるハズですよねー。ただ「見せて」なんて言われるのは嫌ですが「勉強の為」だと言われたら納得できるかもです・・・誰だって教科書でしか知らないなんて医者にはかかわりたくないですからね(^^; もっとも無意味な感想を言葉にするのは避けてくれるとうれしいです。私も「頑張って」は嫌ですね。精神が不安定な時は「どう頑張れば良いのか....」と落ち込みます。 患者の側も、現状を訴えたいとか心のうちを話したいとか色々あるかもしれません。 あなたが不安なように患者だって(慣れてない人は)、同じように不安なんですから・・・まぁ心配はしすぎないで下さいね。 お互いの立場での率直な交流も良いと思います。私的には、「まじめに素直に熱意を持って」というのは決して嫌いではありませんし、例え「無礼な質問」でもあなたが本気で理解したい交わりたいと思っていると感じられたら、本気で答えようと思います。 ちなみに、過去に一度こういった会に参加した経験がありますが、患者ではない参加者の方に「あくびをする・ムダ話をする・嫌々参加した(職場の指示?)」ような方々がおり、とても悲しかったことがあります。それ以来参加はお断りしています。 回答しようと思ったのは、あなたの質問でまた参加するのもいいかも・・・なんて少し(^^)思えたからですが、あなたにとっても患者にとっても、実りのある交流会になると良いですね。

freewill
質問者

お礼

自分は福祉系の学生です。 「あくびをする・ムダ話をする・嫌々参加した(職場の指示?)そんなことがあったんですか。医療系であろうと、福祉系であろうと同じ人間を相手にする職業の人間にあるまじき行為ですね。悲しくなります。 始めはきっとおっかなびっくりになってしまうかもしれませんが、短い時間の中で実りある交流会になるようにしたいッス。 熱意ならもちろんあります!!!! 福祉分野で働こうと決意しましたから!! >回答しようと思ったのは、あなたの質問でまた参加するのもいいかも・・・なんて少し(^^)思えたからですが ありがとうございます。今一緒に大学で勉強している友人たちはみんな「熱い」人達ばかりです。福祉業界は前よりずっと良くなったって言われるような社会人になります!! ありがとうございました。 この場を借りて今回、回答してくれた皆さん、本当にありがとうございました。皆さんの回答を読んで明日に向けてますます意欲が出てきました。 そんな皆さんの回答に優劣を決めたくないので、ポイントの発行はやめさせてもらいます。ご理解ください。 最後にもう一度、本当にありがとうございました。

  • m038
  • ベストアンサー率28% (99/351)
回答No.2

私も患者側です。#1さんがほとんど回答された通りです。 常識ですけど健常者に「頑張って下さい」はやはり言われたくないです。あとお気の毒という顔、目ですね。 妙に深刻な態度はこちらが引きます。健常者と言われる方は結構病人に対して、えてしてそうですよね。 それは実際そこにいる同じ体験をしている人同志でしか理解し合えないと思います。 申し訳ないですが何を言われても薄っぺらく感じてしまいます。 意識しないでやはり自然にお願いします。 私が話したいこと、聞きたいこと、患者として欲してるのは自分の病気の状態うんぬんという話しよりも治療法のいろいろな情報、医療現場で感じている不満、この先の病状の進行による対処などそういうことに興味があるし必要だと思っています。そういう話しをするのであれば建設的に 普通に議論が進められていくでしょうから淡々とした感じでいいです。 その会がどういう趣旨かわかりませんが。 たぶんみなさん達観されている優秀な患者さんが集まるでしょうから質問者さんのイメージとは少し違うかもそれませんね。患者は告知から治療、経過観察.いろいろな段階に合わせて成長、変化していくもので、とても出来た考えで達観されている素晴らしい優秀な患者さんがいます。こういう方には教わることは多いですよ。こういう方は場数を踏んでるので多少の失礼も許されますから知りたいことは聞いて構わないかと思います。 話しの中で失礼があったとしても誠実で真剣な態度が伝われば問題ないと思います。変に気を回されているのって わかりますから難しいでしょうが患者同志の話しを聞かせて頂くという姿勢でいいと思います。

freewill
質問者

お礼

ありがとうございます。 自分も今の難病を抱えている人たちの周囲の環境というものについて知りたいというか、学びたいというか・・・今の医療現場に対してどういうことを考えているのか、これからどういうふうに変わっていけばイイのか、ということを聞いてみたいと思っています。 変に意識をしないで、自然にですね。 参考になりました。 本当にありがとうございました。 そして、お遅れて申し訳ありませんでした。

noname#8094
noname#8094
回答No.1

患者の側の立場からご意見させていただきます。 一生治らない病気と向かい合う、というのは、かなり重いことです。気分も上下します。 私の経験から言わせてもらえば、私は以前、健常者には、どうせ本当には、わかるはずはない(自分の苦悩を)と、思っていました。それは、どうしようもない壁なのだと思います。こちらの側が、その壁をこえて、心を開くよりほかに、方法はないように思います。 それから、「かわいそう」と思われるのが嫌いでした。かわいそう、なんだけど、「かわいそう」と思われるのは、いやでした。病気とは無縁の方は、患者を前に、きっと、どういう態度をとればいいのか、どう言葉を発すればいいのか、わからない(いろいろ考えて、気を遣ってしまう)ですよね。何か役に立ちたいと思っていても、患者の側が、「同情なんかいらん」とおもっていれば、それは永遠にかみあわないことと思います。 自分が、自分の病気のことを受け入れられないと、どうしても、反発しがちです。 病気も含めて、自分なんだと思えると、どんな話題でもOKです。 結局、患者の側の心の問題なのだと思いますが(同じ内容でも話せる人と話せない人がいるように)、患者の側としては、「今、そこにいるだけですごい」のだと、私は思います。今までに、いろんな葛藤があったと思います。いろんなことを、ものすごい密度で考えて、子供でも、はやく大人になってしまうことがあります。 悲しいこと、辛いこと、たくさんあったでしょう。「死」を考えることも、あったと思います。 それでも、生きてそこにいるのは、それだけですごいことなんです。中には、今まさに、自分の病気と向き合おうとしている方もいるでしょう。ひとりでも多く、仲間をみつけたくて、苦しみを分け合いたくて、来ている方もあるかもしれません。 私にわかることは、死んでしまいたいと同じ強さで、また、生きたい、自分の存在意義を見つけたいと思っているということです。最近思ったのですが、病気を抱えているがゆえの悩みも、健康な人が抱える悩みも、悩みにはかわりない、どこか通じるものがあるということなんです。なぜ生きるのか、って、病気じゃなくても真剣に考えるひと、いますよね。結局は、生きるということに対して、皆同じなのだと思います。命をかけるものが、病気であるか、会社であるか、好きな人であるか、その違いだけなんだと思うのです。あとは、そのそれぞれの人生に対して、どれだけ考えるか、です。同じ病気の人同士でも、わかりあえないことがあります。要は、どれだけ考えたか、なのだと思います。 病気の人も、今健康な人も、みんなみんな、「今、ここに生きているだけですごいんだ」と思ってみてください。おのずと、話すことは決まってくると思います。 それぞれの人をよく観察して、話をよく聴いて、言葉を聴いて、心を想像してみてください。病を受け入れ、今を精一杯生きている人ならば、どんな話でもできるでしょう。 私は、わりあい、誰にでも(同じこと、考えてる、と、言葉の端でわかるのです)質問するほうなのですが、根底には、どうやって苦しみを超えたのか、どうやって病気である自分を受け入れたのか、それを知りたい、そして、自分も精一杯生きたい、そのために、いろんな話を聴きたい、そんな気持ちでした。 …そういう気持ちは、伝わるものです。自然体でいいと思います。 自分の生き方を見つめなおせる、よい機会だと思います。freewillさんにとっても、意味のある時間であってほしいと思います。

freewill
質問者

お礼

>自然体でいい この言葉を聴いて少し安心しました。 同じ人間なんですよね。もちろんそのことはわかっていました。ただ「特別」な配慮が必要なんだ。と、頑なに思ってしまって、じゃあどうしよう?と悩んでいました。 でも「特別」って言葉をつけてはいけないと、思いました。(ん~、うまく言葉になりません。すいません) 明日会う人たちと、真剣に向き合ってこようと思います。 本当にありがとうございました。 そしてお礼遅れてしまい申し訳ありませんでした。