ドイツでは第二次大戦の戦争行為に関して日本で信じられているほどには謝罪も補償もしていません。こういうと信じられないかもしれませんが、日本でかくも喧伝されている事象は願望ないし何らかの作意が含まれています。多少実例をあげてみます。
1.ドイツはいまだ連合国側と講和条約を結んでおらず、戦後吉田茂の尽力で完全ではないながらもサンフランシスコ条約で講和を果たし、中ソとものちに平和条約などを結んだ日本とは事情が異なります。そのかわりなのか、旧ソ連は東ドイツからの請求権を放棄し、またほかの各国に関しては西ドイツ領にあった各種資産などを接収する形で賠償金代わりにはしたようです。ドイツ統合のドサクサにまぎれてドイツと連合国側との間に賠償問題が再発していますが、決着する見込みはありません。
2.イタリアやルーマニアなどの枢軸国はパリ条約で賠償金を設定されましたが、全額払うことはなく被害にあった国も請求を放棄したようです。
3.日本はサンフランシスコ条約により、実際に戦場にしたアジア各国と二国間交渉により賠償額などを決定しました。中国は請求権を放棄しましたが在中国邦人の財産を接収し、また現在に至るまで多額のODAによる援助を受けているためあまり困らなかったようです。韓国、北朝鮮においては当時朝鮮自体が正式な日本領だったこと、また日韓基本条約において互いに請求権を放棄することが確認されたため賠償金という形では支払われていません(経済協力として当時の外貨準備高の半分を支払済み。また請求権を認めると韓国側が日本に対し多額の金額を弁済する必要があるため)。
4.ただしドイツは連邦補償法や民間企業からの補償金を現在までに1000億マルク近い金を支払済み。もっともあくまで講和条約に基づくものではないため個別立法のないし国際協定形をとっている。
5.戦後40年にあたりドイツにおいてはヴァイツゼッカー演説により鮮やかな戦後決算を行ったとの評価が高いが、反ナチという戦後ドイツで厳格化されていたコンセンサスを改めて確認したというところ。戦争への反省というよりもナチスに国をのっとられたとの反省観がある(合法的にナチスは政権をとっている)。
6.日本においては戦争を開始した責任が誰にあるのかの究明はなされなかった。それは当時の天皇裕仁を死刑にしなかったのが悪いとかそうではなく誰に決定権があったのかわからないというのが現状。天皇は御前会議で承認したが最後まで開戦には消極的であったとの記録が残っている。なお当時の天皇には権限はほとんどない。また陸軍内部の開戦に対する情熱を阻止した場合、内戦が起こるほど国内が逼迫していたと戦後天皇の御付人が回想している。東京裁判において人道に対する罪や戦争責任を含めた戦争犯罪人が多数処刑されているが、裁判自体事後法による勝者の敗者に対するリンチであり、真相究明とは言いがたい。そもそも日本の政策決定プロセスから見て巧妙に誰も責任をとらなくなっていったと言える。
戦時中の各種不法行為について、確かに日本がすべて責任をとったとはいいがたく、また開戦責任自体ほとんど解明されていないのが現状です。天皇に責任をおっかぶせれば気楽なものかもしれませんが(不敬ですが)、実態として天皇に責任を取らせるだけの決定過程に参加していない以上困難です。この辺は日華事変、さらにその前の歴史から連綿と続くため解明を困難にしています。
なお先述のとおり、戦後賠償に関しては日本はほぼ完了しているとみていいでしょう。個人補償だの戦後責任の補償だのいろいろとみにいわれていますが(ほとんどここ十年のこと)、残念ながら個人の請求権は個人が属する国家の政府に請求することになります。なぜなら講和条約で個人の他国家に対する請求権の放棄がみとめられているためで、それでもなお個人補償となると講和条約を破棄し、日本側も請求権を行使することになります。この辺は近年日本の地裁判決レベルやカリフォルニア州の高裁などで条約を超えた請求権を認める風潮が出てきていますが、理論としては今のところ個別的に対応する必要はないことになっています。
ところで、正しい歴史というやつはやっぱり、異論も許されない歴史というものですかね。歴史に関わらず社会科学を学ぶ者は正しい価値観というものがいかに危ないかを叩き込まれるんですが。歴史は一つである。日本は他国を侵略して悪いことをした。だから日本は悪い。よって日本人は全員私と同じ歴史認識を持たなければならない。そのためにも日本政府は教育などによって全国民を思想統一して全世界に永遠に謝罪していくべきだ、というお考えならば、それを私は尊重させていただきます。まあ、きっと日本は南京で200万人殺して朝鮮半島から80万人の従軍慰安婦を奴隷がりし、毎日毎日女性をレイプしてから戦闘に入ったという楽しいファンタジーを楽しむ分には趣味の善し悪しに関わらず尊重されるべき思想信条の自由というやつですね。真実はいつも荒野で一人叫ばれるものであるとはゲーテでしたかね。