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人より劣っていて生きづらいのですがどうしたらいいで

人より劣っていて生きづらいのですがどうしたらいいでしょうか?ADHDと診断されており、仕事でミスが多く、仕事を覚えるのも遅く鈍臭くて周りから舐められています。コンサータという薬を飲むと頭がクリアになりかなり仕事はできるようになったのですが、食欲や性欲が全く無くなり、生きる喜びが減ってしまうのでやめました。 周りの空気を窺いながら生きており、いじられたり馬鹿にされたりすることも多いです。正直キャラのせいで言われすぎというか、サンドバッグ状態で上げ足を取られたりしている気もします。 道化を演じてボケたりしてギリギリ自我を保っていますが、ずっとやんわり鬱で苦しいです。 毎日家に帰ってから脱力し、ほとんど動けなくなります。頭の中ではその日のミスや言われた嫌なことが反芻し続けて苦しいです。 本当は楽しく生きたいですが、楽しかった記憶なんて本当に大昔で今はやんわりとした地獄にいる気がします。 なぜ自分は人と違うのか。人ができることができないのか。色んな集団ですぐに浮いてバカにされるのか。 無能のくせに自意識過剰で言われるのが嫌だからこんだけ言われるというのもわかります。 でも芸人さんでもないのに、いじられて金をもらえるわけでもないのに自分だけ必要以上に言われないといけないのか。 みんな礼儀を弁えて一定の距離感を保ち、リスペクトがあると私のような能力の低い人も変わり者ももっと生きやすくなると思うのですが。

みんなの回答

回答No.5

仕事のある日だけその薬を飲み、仕事のない日は飲まない。 それで、仕事のない日は食欲は出ると良いのですが。 あと、ユーチューブなどで同じ発達障害の方の仕事の仕方を徹底的に調べあげ、片っ端からやってみて、自分に合うのを見つけるとかされてみるのも良いかと思います。 あと、マルチタスクのある仕事は避けられた方が良いかなと思います。

  • karawane
  • ベストアンサー率19% (286/1500)
回答No.4

誰かが作った業界・業種ではなしに、 アナタ様自身で創り上げた独自のステージで、 アナタ様に与えられている才能を 活かして活躍しませんか。 〈天賦の才〉に関しては、自ら 探すことも含めて、見つけ出してくださる人 との出会いの機会が豊饒 & 豊穣になるように 日々、暮らすようにすることが 大事です。 [毎日が新しい一日  毎日が新しいスタート  (加山雄三)] [Tomorrow is always fresh with no mistakes in it. (Thomas Jefferson)] [Every day is a new day. (Ernest Hemingway 『The Old Man and the Sea』)] 強固な意志を持って進む者に 世界は道を開きます。 Buona Fortuna![=Good Luck! =薩婆訶(そわか)] Ciao.

回答No.3

「 自分の世界」、「自分の基準」で生きることだと思いますよ。 発達障害の人が健常者と同じように動くことは無理です。 ズレがあり誤解が生じて当たり前なのです。  むしろ周りと自分を比較するのはやめて「自分だけの基準」をつくりそれを達成できたら「これでいい」として「自分を肯定すること」が大切だと思います。  あなたはもう十分に頑張ってきたのですから決して御自分を責める必要はありません。  御自分を許してあげて下さい。  「自分の人生を生きること」が大切です。 ハードルは下げて仕事においても比較することよりもむしろ自分の「持ち味」、「個性」を生かした創造性な仕事をしてみてはいかがでしょうか?  「自分軸」で生きましょう。  

回答No.2

 いろんな考え方はありますが、まあADHDの本もいろいろ出ているし、その専門家もいるので、相談することが1番ではないでしょうか。発達障害という障害なので、どこまでできるかを自分で認識しながら。  個人的には、障害という意味で、「アルプスの少女ハイジ」のクララを、自分とも重ね合わせ、まあ歩くくらいまでは何とかできても、ハイジのように、牧場や工場の仕事を走り回るまでできるか、そんな感じもあります。あるいはクララがマラソンで完走できるか。まあ相当な苦労ですね。  クララが、牧場の社会的仕事をみんなと同じようにしたいけどどうしたらいい?と聞かれたら、1歩1歩訓練するしかないとしか言えません。

  • HeyXey
  • ベストアンサー率27% (141/519)
回答No.1

 まぁ現実は理想郷じゃないですからね、嫌な言い方をする人は必ずいます。ため息をつかれることも傷付くことでしょう。  では、目の前で言われたりするダメージを1としましょう。その場面を何回も思い出して、何倍にも増幅しいるのは自分ですよね。そのヒドい言い方をした人に文句を言ったとしてもキョトンとするのではないでしょうか。  自分に不都合な出来事があったとき、包括的に解釈していませんか?。何か失敗をしたとき、『何をやっても…』『いつも…』というのが包括的解釈です。この解釈の仕方だと努力や工夫の余地がなくなるんです。だって、何をやっても、ですから。  前向きに生きている人は解釈が反対です。限定的なんです。『あの時の○○は失敗した』『××さんには??のことで嫌われた』という限定的解釈だと対策が打てるのです。  希望というのは、今日よりあした、明日よりあさってが良くなること、そう信じられることです。だから、ギャンブルや宝くじには希望はありません。積み重ねを信じられるような生き方が希望のある生き方です。『この苦しみはずっと続く』という解釈から、『いつかは解決する』と思えるように。  他人がすべき反省をしてはいけません。他人に対し『こうであったらなぁ』と思うことは、すなわち、他人がすべき反省をあなたがしていることになります。  「悩む」=「考える」+「苦しむ」です。反省するとき、人は自然と「自責の念」を抱きます。それは、「記憶は感情と結びついた時に残りやすい」という性質を自然と利用するからです。人工的な感情である自責の念を生じさせ、記憶に留めようとしているのです。それ以上の意味はありません。反省するときは悩まずに「考える」だけにすれば、と思います。反省とは自分を責めることではなく、「次に同じような場面ではどうすればよいか」を見つけることに他なりません。  思考の “枠組み” を変えるヒントになればなぁ、と思っております。