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[いい日旅立ち]が暗い曲の理由
故 谷村新司さんの[いい日旅立ち]ですが、jrの旅行プロモーションのために作られたそうですが、なぜ暗い感じの歌にしたのでしょうか?親が亡くなって孤独になった若い女性の歌詞のようですが?
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まずは山口百恵という歌手のキャラクターが少し憂いや陰りのある曲が抜群に似合うという点。また当時の日本人はこういうマイナー調の曲が好きだった(いまもそうかも)ということがあります。 いい日旅立ちが発表されたのは1978年。そのころは中学校を卒業すると集団就職で都会に出てきた人や、都会にあこがれて、あるいは田舎で暮らすのに疲れてほとんど夜逃げのように体一つで都会に出て働き、そのまま都会に住み着いた人がたくさんいたんです。そういう人にとって旅とは少し郷愁や旅愁を感じるものでした。 あと北方面への旅はどこか暗いイメージがあります。同じ時代の名曲として石川さゆりの「津軽海峡冬景色」、中島みゆきの「ホームにて」はどちらも1977年リリース。こういう流れの影響はあったと思います。
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- staratras
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旅をテーマにした楽曲で日本で人々に親しまれ長い間歌い継がれている作品の大半は暗い感じあるいは落ち着いた感じの作品です。この傾向は昔の「旅愁」(訳詞:犬童球渓)から現代の歌謡曲まで共通しています。 「いい日旅立ち」が世に出たのは1978年ですが、それより前の1970年に当時の国鉄提供で始まったテレビの紀行番組「遠くへ行きたい」のテーマ曲としても使われた「遠くへ行きたい」(この曲の発表自体は1962年で国鉄とは直接の関係はありませんが)も暗い感じの楽曲です。 余談ですが、転勤族だった回答者は異動の送別会の2次会でカラオケ店に行き、締めにこの「いい日旅立ち」を全員で歌った記憶があります。「あゝ 日本のどこかに 私を待ってる人がいる」この部分を強調すれば確かに転勤族の歌のようにも聞こえますね。
- eroero4649
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私も「当時はそういう曲がよく売れた」説に一票入れたいと思います。 「いい日旅立ち」が出た年の前後のヒット曲を見ると傾向があります。 「津軽海峡冬景色」「かもめはかもめ」「酒と泪と男と女」「わかれうた」「あんたのバラード」「失恋レストラン」「あずさ2号」「人間の証明のテーマ」「いとしのエリー」「ガンダーラ」 あえてそういう系統のヒット曲ばかりピックアップしましたが、マイナー調のバラードがかなりヒットしていますね。 同時代の明るい調子のヒット曲である「銀河鉄道999」も、歌詞の内容は「あの人はもう思い出だけど」「別れも愛のひとつだと」とメーテルとの別れですからね。 「別れ」がウケていた時代だったんですね。
- ts0472
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楽しい旅行 というキャンペーンでは無かったと思っています 採用されなかったが海援隊(武田鉄矢)の「思えば遠くへ来たもんだ」もキャンペーン用に作っていた曲だそうな 企画の段階で「別れ」という事も含まれていたのかも知れません
- mimazoku_2
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キーワードは、成長・進化・自分探し、こういう事かと思います。 それが、当時の人達にマッチしたのでしょうね。