国際法上の慣習「アムネスティ条項」では、平和(講和)条約が発効して国家間の戦争状態が終われば、敵国による戦犯裁判の「判決」は効力を失い、服役中の「戦犯」は釈放されるとあります。
19世紀末までのヨーロッパの戦いは、敗者を勝者が辱めたり、正義の名で裁くことをしなかった。だからこそ、戦争の勝敗が明らかになれば、無駄な戦争を続けなかったのである。日清・日露の両役も、同じパターンであり、日本にも勝ったからといって清国の責任者やロシア皇帝を裁くという発想は全くなかった。
ところが、第1時大戦の時、主としてイギリスの「ロンドン・タイムズ」などが中心となり、これに安っぽいジャーナリズムがくっついて、ドイツを悪者にした。
戦争に正義を持ち込むという、きわめて危険な考え方、すなわち宗教戦争的な考え方がヨーロッパに再び入り込んだ。正義といっても、勝った方が裁く側に回るわけだから、本当は「力は正義なり」という原則を、偽善的に表現したにすぎない。
これ以降、負けて裁かれると決まっている人間は、どうせ殺されるのなら、とことん戦って殺される方がマシという観念が生まれることとなった。