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私の性格について

高校2年生男子です。私の性格・態度は「相手の私に対する態度」によって変わります。私に対して傍若無人、厚顔無恥に接する人に対しては私も悪態をつきますし、丁寧に接してくれる人、仲良くしてくれる人にはできるだけ誠意を尽くしているつもりです。 そのような性格のせいで私は部活の幹部と仲が悪く、新メンバーを迎え入れるとかも「アイツは性格悪いよ」と吹聴されます。幹部らにそう言われるのは私がそういう態度をとっているので仕方ないです。しかし、それは幹部らの私に対する態度が悪いからであって、新メンバーにあたかも「私は誰に対しても性格が悪い」と吹聴されるのは癪に触ります。人によって態度変えるのも性格の悪さだとは思いますが、「お前らと一緒にすんじゃねえ」と思っていて、すごいモヤモヤします。 正直、自分が何を相談したいのかよくわからないです。何かこの悩みを聞いて思ったことあれば、ご意見お願いします。

みんなの回答

  • karawane
  • ベストアンサー率18% (263/1393)
回答No.4

私の時代には、相手によって態度を変える人は、 信用できない人物とされていました。 まぁなんであれ、前にも書きましたが、 ドクターになって、アナタ様の知力で 多種多様な難病を、1つでも多く、 治療 or 治癒可能に してください。 All the Best.

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20251/40149)
回答No.3

性格というよりはあなたの「主義」なんだと思う。丁寧な相手にはこっちも丁寧に。ちょっと雑味を感じたら、こっちも雑に返してやる。基本受け身で日々を過ごしているあなた。丁寧に接して「くれる」相手には、先に丁寧に接してくれるなら・・・喜んでこちらからも丁寧返しをしたい。自分がぞんざいに扱われていると(受け身で)そう感じた時は、直ぐに臨戦モードになって対抗するあなた。あなたに「無い」選択とは、たとえ相手から雑味のある対応をされても、こちらは変わらずに(相手によって変えずに)誠実に関わっていこうというスタイル。あなたにとって重要なのは生産性。自分が優しくしたのに、こっちにその見返りが無い状態はストレスだ。相手が優しくないなら、こっちも優しさなんて出さないぞ。先に優しくしてくれたら、こっちも安心して優しくするぜ(先にこっちを安心させてくれよ)性格が悪いという印象もあるけれど、それ以上に器が小さいという印象の方が強いんだと思う。器が小さいが故に包容力を感じない。基本相手任せ。相手の出方を伺ってから自分の位置を決めたがる。伺われている感が、周りの言うところの性格の悪さ(の印象)にも繋がっている。お前と一緒にすんじゃねえ。あなたを嫌う人たちもそう思っている。あなたと同じにされたくない。だからこそ、違うんだと敢えて差別化を図ろうとしてくる。一緒にされたくないと思っているのはお互い様なんだと思う。あなたにとって一番遠い選択とは、対価を求めない懐深い対応。幹部の対応が仮に悪いと感じても、即目には目を(歯には歯を)をやらない包容力。あなたはやるタイプ。主義としてやるタイプ。しかも、自分から積極的に丁寧に接していこう、進んで仲良くしていこうという自発性も少ない。あくまで相手待ち(任せ)。先にそっちが優しくしてくれたら(それがこちらで確かめられたら)、それを安心材料にしてこっちも優しくするよ。実は自分に自信が無い人が選びがちの対応でもある。丁寧さの空振りや、優しさの肩透かしを異常に嫌がるのもあなたの特徴。スタイル的には無駄を出したくないという節約型だけれど、結果としてこうしてモヤモヤと不毛に悩んでいる時点で、あなたは人よりもエネルギーを「浪費」している事になる。一見シンプルな主義を持っているようで実は、人よりも消耗が激しい日々を過ごしている。他者から過剰に吹聴されなくても、器が小さく融通が利かないという印象になりやすいのは事実だったりする。言われてみてどう?こうして書き込んでみたからこそ、自分が何に執着しているのか?その部分に冷静な目線を向けてみる事はとても大切なんだと思うからね☆

noname#261723
noname#261723
回答No.2

とにかく人間の性格というのは一長一短、ある性格がある場面で良く作用することもあれば、別の場面では悪く作用する(または損になる)こともある。まずこれをわかってください。 質問者さんが自分の信念の通り、幹部に対しては悪態をつくが、新メンバーが仮に誠意をもって接してくれる人であった場合に質問者さんも誠意をもって接するとする。そうすると、新メンバーの洞察力によっては、「この人(質問者さん)は誰にでも悪態ついているわけではない」とわかってくれる、もしかしたら「この人は誰にでも優しくするわけではないけど、自分には優しく接してくれているな(それはうれしい)」と感じ、ことさら親密感や信頼が増す場合もあるかもしれない。 しかし一方では、懸念の通りの軋轢が生まれるかもしれない。新メンバーから、接する前から「嫌な人なんだな」とレッテルを貼られて仲良くしてもらえないかもしれなません。 じゃあ一方で、「誰にでも物腰柔らかく丁寧に接する人」が絶対的に素晴らしいかというと残念ながらそういうことはなく、ある場面では「愛想がいいだけの人」「平均的でいい人だとは思うけど、特別面白くないので親しく付き合いたいとは思わない」と思われる場合もあります。 つまり何が言いたいかというと、最初に書いた通り、ある性格が絶対的に良いとか悪いとかいうことはほとんどないので、人間はみんなそれぞれ自分の思う通りに生きて、その結果好かれる人からは好かれ、嫌われる人からは嫌われる、という道を行くしかないと、私は思います。 (まれに、どの方向からも厚い信頼を得られている人というのがいますが、ああいう人は前世で徳を積んでいるので、ほとんどの人はなれないと思った方がよいと思う。) 人間は損したことに目が行きやすいから、「自分んのこの性格って損だよな」って思いやすいんだけど、その性格によって得ているものもあるんだ絶対。

  • agehage
  • ベストアンサー率22% (2752/12073)
回答No.1

なんか私と似てる感じがする そんな私はとっくに中年を迎えた年代ですが、「この性格のせいで大変損をしています」とはっきり言えます 好きに生きるならばこのままでもよい 賢く生きるなら性格を直した方がいい 直らないなら損を受け入れる覚悟は必要 そんな感じです 自分を押さえて賢く生きるのも正しい判断の一つです それは自分に嘘をついているのではなく、耐えるべきことを耐えているだけのことです 普通の人はみんなそういう判断をします 逆にいうと我々はそれができない劣った性格なのです

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