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昔の人の歯の管理はどうしてたの?
縄文時代とかの人たちは歯の管理どうしてたんでしょうか? だって歯ブラシないですし、そもそも歯医者っていうものすらないと思うんですよね つまりどういうことかというと、 歯磨きしないから100%虫歯になる→歯医者がないから虫歯の治療ができない(つまり絶対に悪化する) そして虫歯は放置すると最悪死に至るということで、 死因に虫歯となるのが大量にあってもおかしくないはずなのに、特にそういうことは習いませんでした (死ななくても毎日激痛に耐える日々という地獄) 一体どうしてたんでしょうか?
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歯ブラシ……ありましたよ(^_^)/。 房楊枝と呼ばれるもので、細い木の枝の先を解して Brush 状にしていました。 解さずに尖らせたままのものが今で言う楊枝です。 楊枝とは柳の小枝の事で、柳の枝には Salicylic Acid が含まれており、古来より鎮痛消炎剤の漢方薬として知られていました。 因みに Salicylic Acid を酢酸処理すると Acetylsalicylic Acid つまり Aspirin (商標名) になります。 柳の小枝で作った楊枝を使っているうちに楊枝の先が解れて Brush 状の房楊枝になります。 房楊枝は BC15C の Egypt で Papyrus に記されており、それ以前から Egypt 以外の世界中で用いられていたようですね。 大昔は砂糖なんてありません。 最も甘いのは蜂蜜か干し柿ぐらいで、穀類は粉にするか粥にしないと硬くて食べられず、肉も野菜も硬いものばかりですから、歯は虫歯になるよりも磨り減ったり割れたりしてしまうでしょうね。 当然、歯肉炎にもなるでしょうし、そこから化膿して死に至るなんて事もあるでしょう……でも、虫歯ではありません(^^;)。 消炎鎮痛作用のある柳の枝でなくとも大抵の樹の枝は収斂作用がありますから、噛むと渋くてスッとする小枝を楊枝にして使うというのは歯肉炎防止になるでしょうね。 昔は今のように長寿ではなく、縄文時代は 2 世代までだった原人旧人がやっと 3 世代家族になり始めた頃です。 3 世代と言っても 10 代半ばで 2 世代目となる子供が産まれ、30 歳頃には 3 世代目となる孫が生まれ、孫の顔見て寿命が尽きる人はまだ少ないし、幼児の大半は子を産む歳になる前に亡くなる時代ですから平均寿命は 20 台だったりするのが縄文時代です。……歯が磨り減るまで長生きする (30 台?) 人は稀だったでしょうね。
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- y0702797
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考古学の研究によって、縄文時代や弥生時代の遺跡から、歯を磨いていたと思われる痕跡が見つかっています。 もちろん、そんな頃は歯ブラシなんてものはありませんから、木の枝を加工したりして、爪楊枝のような形で使っていたようです。 平安時代になると、医学書が執筆されるようになりました。 我が国最古の医学書と言われる『医心方』という書物があります。 ここには、歯みがきをすれば、むし歯の予防効果が得られるという記載があるということです。 明治時代になると、文明開化の波にのって、日本にはなかった西洋の文化、品物、風習がもたらせれるようになりました。 その中には、歯ブラシや歯磨き粉も含まれています。 当時の西洋の歯ブラシは、ハンドル部分に牛や鯨の骨を利用し、毛先に馬や豚、羊などの動物の毛を植え込んだものだったようです。 今の歯ブラシにかなり近い形と予想できますね。
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