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「市民ケーン」のrose budって?
単純に両親と暮らした子供の頃を懐かしんだ、という事だと思ってたのですが、映画評などを読んでいると「謎を解くカギはあちこちにちりばめられている」とか書いてあります。 好きな小説家のエッセイのなかにも、「自分で気がついて良かった」などと書いてありますし、女性の隠喩だなどとする見解もあるようで、なんだか解らなくなってしまいました。 見る人によって解釈が違う、という種類のものでもないような気がします。先日あらためて久しぶりに見たのですがやはり解りませんでした。 お恥ずかしい話ですが、どなたか教えていただけませんでしょうか。 こういう質問が映画鑑賞者のマナーに反する、というような事があるのでしたら、せめてヒントだけでもお願いしたいです。よろしくおねがいします。
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それほど深読みしなくとも、あなたの考えで良いと思います。巨大な富を築き、なんでも可能な筈の男がたかがコーラスガールの女の心も得られず、莫大な金をつぎ込んだ選挙にさえ勝利できない。 巨大な男は巨大がなる故に悩み、理解もされない。何を求めていたかさえ解らない。この男が死の間際に「バラのつぼみ」と言ってザナドゥの中で死ぬ。その謎の言葉の意味を追って記者はこの男の正体に迫ろうとする。多くの人に取材をしてゆくが謎は深まるばかり。その時、彼の子供の頃の雪橇が火にくべられる。そこにはバラのつぼみの絵が描かれていたが、誰も気付かなかった。 弱冠25歳の、若き演劇集団のリーダーとして、ウェルズは、ある意味でハーストの様な巨大な男に憧れ、また憎んだであろうから、この意外に通俗的な結末は、彼一流の皮肉なのかもしれない。ウェルズはこの後の作品を見てもそれほど難解ではなく。それより人生の皮肉さに興味があったと思うし。女性の隠喩だなどとする、安っぽいフロイト観はなかったと思いますよ。 この多くの人を取材しながら、ある偉大な人間の謎に迫ると言う手法は、後に「アラビアのロレンス」でも使われていますね。
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nakaGさんに1票。 「鍵が散りばめられている」というのは、別にあの結末以外の隠された謎があるといっているのではないと思います。記者がケーンという巨人を一面的にしか見ていなかったため、あの「バラのつぼみ」の真実に近づくチャンスがあったのに、見逃してしまっていた、位に考えておけばよいかと思います。 作るのも人間、観るのも人間ですから、そこに様々な思いや解釈があっても不思議ではありませんが、なかには「それを(現場で)見たのかお前?」「(作者に)聞いたのかお前?」といいたくなるようなものだってあります。vitamin-powerさんが感じた「市民ケーン」が、vitamin-powerさんにとっての「市民ケーンの真実」なのであって、それで充分だと思いますが。だいいちvitamin-powerさんがこういう質問をするということは、「市民ケーン」をつまらない映画だとは思わなかったからだと思いますし。
お礼
benjaminさん、いつもありがとうございます。別に謎があったのなら全然解らなかったぞ、とかなり不安になって見直してみたのでした。名作の映画評というと盲目的に信じてしまってましたが、ハズレもあるのでしょうね。そう思うと気が楽です。皆が感心する隠しテーマに気付かない、というのはみじめな気分になってしまいますので、何かあるのなら教えてもらって鑑賞眼(?)を鍛えたいと思ったのでした。 「市民ケーン」は時間のたつのが早くて没頭できる映画でした。このあいだ見た時には必死になって「鍵さがし」をしていたせいもあって、さらに熱中しました。そういう見方もまた楽しかったです。 おかげさまで私の「市民ケーン」が確定しました。ありがとうございました。
お礼
御回答有り難うございます。nakaGさんの御意見でとても安心しました。名作といわれる映画だと、普通に観賞しただけではいけないような強迫観念があって構えてしまったりするのです。見識不足で理解できないのは仕方ないとしても、せめて正解だけは知っておきたいと思った次第でした。いろんな解釈があるのは故意に無理矢理こじつけたりしたものも多いからなんでしょうね。 おかげさまでとてもスッキリした気分です。どうもありがとうございました。