日本は、崩壊するのか!
谷崎潤一郎の名作「細雪」の中に、こんな場面があるそうです。
繊維問屋を営む家のボンボン(=良家の息子)が高等商業学校(現・大学商学部)を卒業して、伊藤忠(実名が出てくるところが凄い!)に就職しました。
その挨拶回りをしている時、行った先で奥さんから、「そりゃあ、良う、おしたなあ。ところで、いつ辞めなはんの?」
就職の挨拶に行って「いつ辞めるのか」と聞かれる不思議。
ある評論家の解説によると、戦前の船場(繊維問屋街)では、「『一人前の男はん』は、しばらくどこかの会社で修行して、仕事を覚えたら、独立し、自分で商売を始めるもの」だったのだそうです。
ところで、新聞に載った統計によれば、昭和30年代までの日本では、従業員数が1000人を超えるような大企業の社員は、労働人口の3割くらいだったようです。
ところが今や大企業の従業員は、労働人口の7~8割を占めているそうです。
大企業は社内に福利厚生組織を持っているため、社員は転勤や定年の際の面倒な事務手続きも全て会社がお膳立てをしてくれます。
従って、大企業の社員は目先の担当業務だけやっていればよく、いい歳になっても「世間知らず」のままです。
なにしろ自分が「世間知らず」であることに気付かないくらい「完璧な世間知らず」の人も結構います。
「面倒な手続きは全て、『誰か』がやってくれる。それがあたりまえ。」
他人を当てにすることを当然のこととするこの傾向が、今や日本全土を覆っているらしいのです。
天文学的な財政赤字はこうして生まれました。
景気が悪いのは、政府が公共投資をしないから。公共投資をしない政府が悪い。と。そこで、財源の当てもないまま、際限の無い公共投資が始まりました。
ニートもまた、こうして生まれました。
仕事をしなくても、稼ぎがなくても、働いている親が養ってくれるから。と。こうして、年老いた両親の細いすねをかじる連中がどんどん増えています。
年金財政はこうして破綻しました。
年金掛け金を払わなくても、最後は税金で賄ってくれるだろう。と。
自分達年金官僚の公務員年金は別建てだし、民間人の厚生年金財源なんか、少しくらい使い込んで自分達のための豪華保養施設くらい作っても、いずれ誰かが何とかしてくれるだろう。と。
掛け金が集まらなくても、誰かが何とかしてくれるだろうと。
日本を蝕む「大企業病」。
これはソビエト連邦を崩壊させた「官僚主義」という「死に至る病」と全く同じではありませんか!
どうなのでしょうか?