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谷垣禎一氏と総理大臣について

谷垣禎一氏は、なぜ総理大臣になれなかったのですか?古賀誠氏が、谷垣氏が総裁選に出ることに反対したというのは本当ですか?

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  • eroero4649
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回答No.1

時代が悪かったですね。谷垣氏が自民党総裁になっていた時代は、自民党が野党に下野した時代でした。そして東日本大震災を始めとして日本が社会的にも経済的にも混乱していた時代でもありました。 そういった中で、谷垣氏は典型的な「平時のリーダー」だったと思います。例えば今なら、おそらく谷垣氏は「余計なことは何もやらない」でなんとなく高すぎず低くもない支持率で総理大臣がやれたと思います。でも谷垣氏がその地位にあったとき、時代が求めるリーダー像はもっと「強い」リーダーだったのです。 東日本大震災のときの菅直人首相が「いい対応をした」とはとても思えないですが、じゃあ谷垣氏だったらもっとマシな対応ができたのかというと、そうでもなかったと思います。少なくとも「彼だったらもっと上手に対応できたに違いない」と思わせるものはありませんでした。

kiyurohi88
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

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その他の回答 (2)

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6876/20336)
回答No.3

資金不足です。 みこしを担いでもらうには 莫大な資金が必要になるのです。

回答No.2

いわゆる「加藤の乱」に与したのがすべての原因でしょうね。「加藤の乱」というのは要するに、自民党議員でありながら森内閣の倒閣運動を起こそうとした一種のクーデター未遂事件なのです。森元さんというのはなかなか執念深い性格の御仁ですから、一度受けた屈辱を忘れるはずがありません。 そして、森元さん率いる清和会というのは、以後の自民党政権下の首相選びにおいて、常に主導権を発揮してきた最大派閥なのです。つまり、時代がよかろうが悪かろうが、森元さんの目の黒いうちは、谷垣氏が首相になれる可能性など最初から無かったのです。谷垣氏が党総裁になれたのは自民党が野党の時で、清和会をはじめとする党主流派から便利に使われただけに過ぎません。 古賀氏が谷垣氏の総裁選再選出馬に反対していたのは本当です。加藤の乱で分裂した宏池会のうち、古賀派と谷垣派が合併したとはいえ、主導権は旧古賀派にありましたから、古賀氏としては谷垣氏が突出するのを避けたかっただろうし、谷垣氏をかついで総裁選に突入してしまえば、安倍氏を担ぐ清和会などの主流派から後で報復人事を受けるのはあまりに明白だったからです。とはいえ、仮に古賀氏が谷垣氏の味方をしていたところで、谷垣氏が首相になれなかったという結果は1ミリも動かなかったと思いますよ。

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