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色がない無の世界で
人間が白色でも黒色でもガラスの透明な色でもない色という概念すら存在しない世界を見ることは不可能でしょうか?
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- garo1970
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目で見るという話ならば、 目の網膜は光(電磁波)を受容して「見え」ているだけで、 ものが「有る」「無い」を見ているというわけではありません。 光が何かに当たって反射し、それが網膜に到達して光を感じているだけです。 質問者が言っている「何も無い空間」ではその後ろから来る光が 素通りしているから、何も影響されずにその後ろにあるものが 反射した光を網膜が受け取って見えているということです。
見るっていう時点で光学的な話ですし。 目に物体が発したあるいは反射した光が入るから見えるんです。 モノクロだとしても色の差がないと識別できないでしょう。 しかし物を光以外で「見る」事ができれば出来るかも知れません。 例えばコウモリは自ら超音波を発して物体に当たり返ってくる音を聴いて物を識別してると聞きます。 要はレーダーみたいな物ですが…目が不自由な方が自ら音を発して物の反射して返ってくる音を聞くことにより物体を認識する方法があると聞きます。 言い方によっては彼らは「音」で物を見てるわけです。 返ってくる音に色はないでしょう。 あり得るとすればこういう話になるんじゃないかな?
- nagata2017
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>ガラスの透明な色でもない この部分をどう解釈すればいいのかというところが難解です。 盲人なら感じることはできる・・・これでは質問の見ることができるか という問いの答えにはならないし 色が無く透明という概念も存在しない これは 哲学的な分野に入ってしまうのかな
- toka
- ベストアンサー率51% (1167/2281)
目を閉じ、物や景色を見ることなく生きていれば、その人にとって色は無意味になります。それを「世界を見る」といえるのかはわかりませんが、色のない世界に生きていることにはなるでしょう。
補足
ガラスの色のいわゆる「無色透明」てなやつも光の反射に当たるとガラスが白く光ったりしますし、ガラス板の向こう側に手のひらがあるとして肌色は確認できて、それと同時にガラス板の存在も確認できるので完全な「無」ではないのかなと思いました。 たとえば おれから扇風機までの距離が2メートルあるとして、その間の1、5メートルあたりの空気の色を切り取った場合は「完全な無なのか?」とも思いましたが空気中のウイルス等の存在により、無という定義は成し得ないのかな?と思いました。 まあ宇宙の中にいる限り明らかに色にありふれすぎてるので「無」を見ることは難解そうですね