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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:最近のドラマは、台詞で全て言ってしまうのは何故?)

最近のドラマはなぜ台詞で全て言ってしまうのか

このQ&Aのポイント
  • 最近のドラマやアニメは、キャラクターの考えや置かれている状況を全て台詞で表現してしまう傾向があります。
  • 視聴者に考える余地を与えず、キャラクターの思考や感情が明示的に示されることで物語性が失われる可能性もあります。
  • 一方で、過去の作品に比べて余韻や心情を追体験できる作品も存在します。昔と比べて物語の表現手法が変わったことが原因かもしれません。

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34517)
回答No.2

お笑い芸人にネタを書いている放送作家さんから直接聞いたことがあるのですが、今のお客さんは1から10まで説明しないと笑ってくれないそうです。 今のテレビは字幕でほとんど説明されちゃってるじゃないですか。あれも一概に悪いとはいえない部分もあって、耳が不自由な人には健常者と同じところで笑えるのだそうですが、その反面全部字幕で説明されるから自分の頭で考えないようになってしまっているんだとか。 ピン芸人さんがよくやってるフリップ芸なんてのがまさにそれだそうです。口で喋るだけじゃなくて、わざわざ文字や絵で説明してね。 あとこないだ何かのインタビューだったかなんだったかで、小栗旬さんが「映画やドラマを1.5倍で見ないでくれ」って嘆いてました。今の視聴者は録画した映画やドラマを1.5倍再生で見てしまう。でも役者は1.0倍で進む時間の「間」も芝居の中に入れているから、1.5倍で再生されると役者の努力が意味をなさなくなるってね。 私も最近はちょくちょく「アンタの回答は長すぎるので読んでないです」って補足をされるようになりました。昔は「長文だけど読みやすいですね」っていってもらえたのですが、長いとそれだけで読んでくれないみたいです。

nanakora
質問者

お礼

VTRとかで、やたらワイプで芸人の反応とかが出てきますが、こっちはじっくり見ているのに邪魔しないで…と思います。 フリップ芸…そんなのまであるんですね。 もしかして、わざわざ「今からこのネタやります」とかあるのでしょうか? 小栗旬さんの話は、なんだかかわいそうですね。 先の方もそうでしたが、倍速で観て、間もわからず話も分からず「面白くない」と評価されるのは気の毒ですね。 ドラマは今後廃れていくのでしょうか? 視聴率も10%取れれば御の字ともいわれますし。 じゃぁ本もそうですかね。もしかして推理小説とか、犯人が誰だか確認してから読んだりとか(;^_^A

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  • RESOLD
  • ベストアンサー率36% (72/197)
回答No.5

日本と欧米作品の作品の作り方の大きな違いはダイアローグとモノローグ言われています。 ・欧米型 モノローグ ... 独白(主人公が思っていることを全部いう) ・日本型 ダイアローグ ... 会話劇 作品によっては一概に言えないのですが、大別するとこんなもんだと思ってください。 さて、ではなぜダイアローグが日本は多いのでしょうか。 まず一点にセリフ量が重視されている点があげられます。 ドラマであれば俳優・女優に少しでもセリフを多くするよう事務所やスポンサーから求められます。 俳優たちにとっても出番が多いのは歓迎できるので、現場ではその方が皆嬉しいんです。 次に止め絵。 ドラマもないわけですが、主にアニメでいえます。 簡単に言うとセリフを言っている間は、カット(場面)を止めておける場合が多いんです。 その間はキャラクターの口パク分の作画で済むので、作画工数をへらすことができます。 撮影でも同じことが言えて、動き続けているよりも、場面を止めている方が苦労が減ります。 ここからは個人的見解になりますが、単純に登場人物が多い作品が増えたこと。 作品の時間が決まっている以上、キャラクターが増えるとその分キャラクター毎のセリフが減る計算になります。 そうすると視聴者に「このキャラはどんなキャラなのか?」とわかるのが困難になってきます。そのため、なるべくキャラに喋らせた方が特徴を掴みやすいというのがあります。 ここまでを見ると「いやいやスパイダーマンとかアイアンマンも沢山喋ってるよ」とか思われるかと思います。 この辺は作品の軸をどこに置くかなのですが、問題は作家または監督に文学色が強いか、コンテンツとしての面白さを追求するかによります。 ここまで述べましたが日本映画は実はモノローグ型です。 これは日本の映画監督が一人の作家として独自の世界観を出すもの、と歴史が作られてきたことによります。 なぜかというと日本は監督が至上主義なのです。監督が言うことが一番正しいし、監督の世界観を作るのが映画である、と考え方です。 日本映画の巨匠、なんていうのは黒澤明を含めて皆文豪のようなことを言ってますよね。監督としての個性が求められるのが日本映画です。 そのため文学色が強く、余韻や心情を探ることができます。 フランス映画なんかも同じ考え方で、モノローグ型です 対して、欧米。 アメリカでは監督の立場はそこまで強くありません。 代わりに作家陣がチームを組んでホンを作ります。監督はそれを撮るだけ。監督が思ったように撮らないとプロデューサーが判断すれば、監督はコロコロと変えられていきます。 つまりチーム制作なんです。そうするとより単純にわかりやすい面白さが求められがちになります。 とすると「なんだ結局欧米もダイアローグやってるし、日本はモノローグやってるのね」となります。 でも作品全体を見るとダイアローグ中心です。それはやはりわかりやすいからです。 無数のコンテンツを簡単に見られる世の中ではモノローグ型は圧倒的に不利で、PVなどでわかりやすい面白さを伝えられるダイアローグ型に軍配があがります。そして、ダイアローグ型の映画はファスト映画のように見ない人でも広まっていきますが、モノローグ型の映画は見ている人に直接訴えかけるものが多く、実際に作品をみなければ勧めにくくなりますし結局見ない人も多いです。 鬼滅の刃もジャンプの週間連載です。 わかりやすい面白さがなければすぐ埋もれます。なのでダイアローグ型でも仕方ありません。 ドラマも放送している三ヶ月が勝負なのでなるべくわかりやすい会話劇にします。 でも確実にモノローグ型の作品も存在しますし、数は少なくなってますが今でも出てます。 結局は作品作りのスタンスの違いなだけで、あなたは文学色が強い純文学や日本映画がお好きなんだと思います。 作っている側、見ている側が頭悪くなったともし思われていたらご勘弁いただければなと思います。 トップの作家・監督は大体わかっていながら、どちらかに振っています。

nanakora
質問者

お礼

ありがとうございました。 そうですね。私は文学的な自分で想像するドラマが好きなようです。 台詞の内容から真意を悟るようなドラマが少なくなっていくのは寂しいです。

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.4

理解力が低下していることはずいぶん前から言われています。 ただ、同時に知識が足りないということもあると思います。 たとえばですが。 昔ならば、O・ヘンリーの最後の一葉のように、植物と生命をなぞらえて表現することがありました。 人物→植物が枯れる→命が尽きた と受け取ることができますが、そもそもこの表現方法を知らなければ、なにが起きたか理解することができません。 植物の成長は時間の流れ。 木々のざわめきは、心のざわめき。 つぼみは、まだ花咲く前の少女。 花を踏みつけることは、人や心を踏みにじること。 梶井基次郎の小説を模して、夜桜の根元が映し出されることで「死」を連想させたり。 植物ひとつとっても、いろいろな表現がありますよね。 昔は当たり前にこういった知識を共有していたと思います。 昔は何度も作品を観て、ああ、このシーンはこういうことを言いたかっんだと話し合ったり、ひとりで考えにふけったり、思いを馳せたりしましたが、今は話題についていくためだけの視聴も増えました。 という意味で、作品を視聴する時間が圧倒的に減ってしまったということはあると思います。 短い時間で伝えなければならないから、わかりやすくする必要がある。 わかりやすくする必要があるから、どんどん作品の観方が浅くなる。 作りての意図を理解しようとすれば、作品をより深く楽しめるはずなんですけどね。 家族で一緒にひとつの作品を観ることが減ったので、表現の基礎を学ぶ機会が圧倒的に減ってしまった。 そういう事情もあるんじゃないでしょうか。

nanakora
質問者

お礼

>どんどん作品の観方が浅くなる。 そうですね。作品を観たっていう感じがあまりしないですね。 昔は「比喩」「擬人法」とかで、表現していてそれが作品の味になっていたものですが、今はほぼ皆無ですからね。 それが今だと理解できないのでしょう。 それだけ理解力が低下しているんですね…納得です。 BGMも、昔より凝って作っていないように思えますし。 昔は、BGMを聞いただけでドラマの映像が脳裏に浮かんだものです。 なんとも悲しい時代ですね。

  • chiychiy
  • ベストアンサー率60% (18537/30887)
回答No.3

こんにちは オリジナルのいい脚本を書ける人がいなくなったこと それと「素」「間」があることを視聴者がとても嫌がること 演出も余り上手くない人が多いと 色々複合的な要素があると思います。 ただ脚本としてかいた時のイメージのト書きの部分が 台詞に置き換えられちゃっているのだと思います。 例えば、 主人公は海の見える高台にたたずむ が (「私は海の見える高台にいた」)心の声 と自分で言っちゃってるようになってることが 多いと思います。 演技力というのもありますし、カット数と 1カット長めにしたときに撮り方など・・・ じっくり見せるような演出(カット割り)になっていないのも あると思います。

nanakora
質問者

お礼

>それと「素」「間」があることを視聴者がとても嫌がること え~その間が好きなのに。 >(「私は海の見える高台にいた」)心の声 と自分で言っちゃってるようになってることが 多いと思います。 そうですね。 鬼滅の刃で、雪で滑って「雪で滑った」と言ってて、なんでわざわざ言う必要があるのか…と思い、その後も、全部台詞で言ってしまうので観ていて疲れました。 でも人気だっていうことは、私は少数派なんでしょう。 声優さんは本見ながら演技するのでまだいいですが、俳優さんは、覚えるの大変そうですね。 しかもそれを倍速で観られたら泣きたくなりますね。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.1

> 全部台詞で言ってしまうような気がしますが何故でしょうか?  言わないと理解できない、理解しようとしない人が増えているからです。  まあ、①読書の減少で、行間を読む能力などがない人が増えたということもありますが、聞くところによると、②映画などをスマホで早送りして見る人が増えているそうです。  そういう人は多忙でもともと、キャラクターが考えていること・置かれている状況・他キャラクターからの俯瞰なんて知ろうとは思わないんだろうと思います。  一々セリフで言って視聴者の頭にねじ込まないと状況が分からない ⇒ つまんなかった(★1つ)という評価になり、それが伝わって「じゃあオレも見ない」という話になるので、重要事項はあらかたセリフで伝えてしまうのだろうと思います。  かく言う私も「空白を満たしなさい」は録画して、スキップで見たせいかオチが分からず、全然面白くありませんでした。もっとも、セリフも聞いてナイので、セリフで説明されていてもつまらなかったと思いますが。

nanakora
質問者

お礼

言わないと理解できない人が多いって言うのはわかる気がします。 映画でも、中盤で前半のあらすじ説明とかがありますが、それぐらい覚えていられないのか?とも思います。 >かく言う私も「空白を満たしなさい」は録画して、スキップで見たせいかオチが分からず、全然面白くありませんでした。 それはそうでしょうね。 スキップして観たら、わからないと思います。

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