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28歳女性無職、毒母と毒姉への恨み
毒母と毒姉への恨み、どうしても生きづらいです。 長くなりますが聞いていただけると本当に助かります。 私には自己診断で対人恐怖症に視線恐怖症、アダルトチルドレンに社会不安障害、回避性パーソナリティ障害の疑いがあります。 子供の頃の性格はこんなんではなく、多少シャイではありますが明るく活発でバレエなどやっており舞台に立って目立つのが好きでした。 夢もたくさんあり、将来はCAになりたいとも考えていました。 しかし末っ子の私に対する母や姉の精神的虐待によって、28歳で無職という立派な無能人間になったような気がしています。 母の虐待は以下の通りです。 「(習い事ぎっしりで友達と遊べず反抗した私をみて)あんたには裏切られた。」 「(塾の難しいテストで点数が悪いのをみて)この点数は何?反省しなさい!!」 「遊んじゃダメ。勉強しなさい!」 「(いじめで不登校になった私の腕を引っ張り)学校に行きなさい!(1年以上続きました。)」 「(私立中学の受験をさせられた時そこの先生に向かって)お願いだから娘を入れてください!」 「大企業に入るか公務員になりなさい。あんたのことは私が一番知ってる。」 「あんたはパパそっくり。ほんっと、そっっっくり!!(夫婦仲最悪)」 「(自分の意見を主張した私をみて)あんたって偉いんだね?w」 「CAなんかやめなさい!定年まで働けないんだから!」 「公務員になれば一生安泰なんだから!」 「(大学受験のとき)女子大なんかやめなさい!いじめがあるんだから!(※母は共学出身)」 「(大学生の時バイトで月5万稼いだといったとき)フッw」 「(夜道で痴漢に遭って緊急電話した時の第一声)何でそんな道歩いたの?」 「(痴漢の裁判に関する電話が夜10時頃にかかってきて母が出たとき)あんたのせいで私が寝られないじゃないのよ!!」 「あんたはふてぶてしい!!可愛げがない!(大声で怒鳴り散らす)」 「あんたなんか雇ってくれる会社どこにもないから!!!」 「あんたなんか産まなきゃよかった!」 「(子供は親を選べないという私に)親も子供を選べないから!」 「あんたってホント、変だよね。変わってるよ(軽蔑の視線)」 姉の嫌がらせもそうです。 広い車内で私を端っこに追いやったり、私のスクールカバンをガッを広げて私の置いてあった本を10冊くらいねじ込んだりしました。 父は今は年を取って落ち着いていますが、以前私に「もし外国人と結婚でもしたら許さない。特に韓国人と中国人。韓国人は結婚したら豹変してDVするらしいからな。もし連れてきたら罵倒してやる。黒人もナシだ。ただしハワイに住んでる白人なら別だ。(自分がハワイ好きなため)」と言ってきました。 先日「過去にそういったよね?」と言ったとき、「そんなこと覚えていない。」と言われました。たった1年前の話なのに、自分が韓流ドラマにハマって意見が変わったようでした。もしその時に私が韓国人と結婚しようとしてたら父に人生を潰されていたかもしれないのに覚えてないというなんて、何て無責任なんだと思いました。 こんな家族ばかりで、私はいつも奥歯を噛みしめて泣くのを堪えていました。 大声で泣くことも我慢していました。 そのせいか、14歳ころに自我との葛藤で心の奥底で何かが曲がっていったのを覚えています。 まるで家庭が刑務所のようだったんです。 「こんな悪者にされて、一体わたしが何か悪いことでもしたのか!?」 といつも思っていました。 ちなみに私の母の元の家庭環境は最悪です。両親が離婚、姉は水商売出身で弟は中卒フリーター、唯一まともで温厚だったのは社長だった父親です。自分は中堅大卒なものの家族の学歴コンプがすごいので結婚相手は早慶上智出身で公務員の父を選んだのでしょう。でもそんな父も思い通りに動いてくれないから気に食わない。こんなはずじゃなかった!私の人生はもっと華やかなるものになるはずだったのに!全てはパパ(私の父親)のせいだ!と被害妄想をし続けて30年くらい経っています。口癖は、「私がこの世で一番かわいそう」「誰も頼れる人がいない」です。同じ屋根の下で暮らしていますが、私は母と口を利かずに2年が経過しました。 姉とも幼少期から口を利いていません。ちなみに彼女は社会に出て上司からパワハラを5年受け見事にうつ病にかかってくれました。 私は母や姉のように人のせいにするのが好きではないため、必至で「私は私」と考えて生きようとしてきました。しかし幼少期のトラウマなどのマイナスの力は想像以上に強かったようで、今は人とすれ違うだけで「こっち見ないでくれ!私は何も悪いことしてない!私の視線がそんなに不快か?」と思って節目がちになったり、目が合うと動揺して目がキョロキョロ泳いで逃げたくなります。友達もほぼ0人です。 以前ジムのトレーナーをしていましたが他の同僚に話しかけられるだけで弱い自分が見透かされるのではないかと動揺し、またそれを隠すのに必死で無表情の節目がちになっていました。気が弱いことがバレまいと戦々恐々としていたんです。その結果、ある日リーダーに「あなたって何か…うーん…(変)…」と言われてしまいました。「偉そうとかじゃないけど…うーん…スタジオレッスンとかするならそれじゃダメだよねっていう…」とも言われました。大ショックで、「あー、そうですか!全然そんなつもりはないんですけどね、気をつけます!^^」といって家で泣き、1ヵ月後に逃げるように退職しました。こんな感じで人とのコミュニケーションに相当なストレスを抱えるようになり、今も無職のままです。同僚に何かをされたわけでなくても、人といることに精神が持たないんです。 あのまま精神的虐待を受けずに暖かい家庭で育っていたら明るくCAをやっていたかもしれないし、自分自身もアクティブで優しい彼氏だっていたかもしれないな、と思うと自分の人生何なんだろうな~と思ったりします。雇われて働いているときも「別にこの仕事わたしじゃなくったっていいんだよな」「私ひとり居なくなったところで誰も困らないよな」と思うのもあり就職やバイトの道は考えられません。一生懸命してて「ありがとう!」とか言われても人より劣っている気しかしないのです。友達に会ってお話してても自分の無能を実感し勝手に下に回るクセがついてしまいました。 また、言いたいことを言わずにストレスを蓄積しプッツンして家族の前で大声で暴れるようにもなってしまいました。こうなったらさすがの家族も何もできず、唖然として私をみるか無言になるかのどちらかになります。 こんな家庭によくも私を生んでくれたな?という思いしかありません。母もまた被害者なんだという方がいそうですが、だからといってそれを子に向けていいことにはなりません。絶対にあってはならないことです。後に私は家を出て母や姉と縁を切り、結婚するときも事後報告にするつもりです。万が一家族が死んでも私は葬式には出ません。でもそんな選択をしなければいけないことに、心がとても痛みます。辛いんです。 仕事については、私はバレエをしていた時のように自分自身を豊かに表現することが好きなので新しく自分で仕事を始めようと今動いているところです。外国語が得意で外国人向けYOUTUBEでカメラに向かって話す仕事なのですが、先ほども書いたように表情に乏しい。本心が分からないので何者か分からなくて不気味、素の話し方もダルそうと思われがち。こんな私にうまくできるだろうか?というマインド的な引っかかりがあります。「できないだろうな~、私ってこういうイメージだもんな。」と思ったりもしてしまいます。強くないですね。 このように人のせいにするのが嫌といいながら人のせいにしてしまいそうになる自分とも決別したいです。 乱文になりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました!書いていて人(自分自身)ってこんな変わるんだなと思いました。私の家族は皆さんからみて異常ですか?また、私はどうしたら以前のように明るく生きられるでしょうか?何かアドバイスや慰めのお言葉があれば心から喜びます。よろしくお願いします。
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- 兼元 謙任(@kanekaneto)
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苦しいですね。辛いですね。 私も昔持病持ちで一年の三分の一は入院生活。退院しても、いじめや劣等感で色々とあり、一時期は電車やバスに乗ることも人混みに出ることすらできないほどの状態でした。 身内からは、看病が大変だから、いなくなればよいみたいなことを言われ凹み、苦しくて苦しくて死ぬ事ばかり考えて子供時代を過ごしました。 入院先のベットで、近くの学校の校庭を走り回る生徒さんたちをみながら、私は運動場を駆け回ることなどできずに、彼女もできず、子供の顔を見ることなく、何も成し遂げることもできずに、ただ人知れず死んでいくのだろう、こんな自分に生きている価値はだろうか? こんなに苦しいだけなら死んだほうがましだと思う毎日でした。でも、いざ病気が悪化して母が医者から死の宣告を言い渡されるのを聞くと、おかしなことに、逆に生きたいと願う。 頭の中で生と死を行き来する、その自己矛盾の中で幼少期を過ごしました。 こんな自分を産んだ両親を恨み、病弱な者を弱いが故にいじめるクラスの人間を呪い、そんな世界に絶望していました。 すると、体は免疫力を失い、車椅子に乗り、筋力が低下し、最後に寝たきりになる手前に行きついてしまったのです。 で、今はというとですね。 最愛の人と結婚し、子供と猫さんと暮らしております。 何があったかというと、仏教徒でありながら西洋医学を進める担当医や、深入りせずに遠くから継続的に励ましを与えてくれた担任の先生が助けてくれたのだと思います。思いますと書いたのは、それぞれのアドバイスがすぐに心に刺さったとかそういう訳ではなく、むしろその時にはただ“うざい“大人の説教だと思って、ただただ悩みながら、血反吐吐きながら、生きて参りましたっていう感じだったからです。 人は渦中にいると悪い事や人の悪いところばかりをみてしまいがちです。 母から「産むんじゃなかった」と言われたことに恨みばかりを持っていましたが、そんな母は病院で私の看病をしながら、兄弟の面倒を見ながら家事をこなす日々をおくっていたのだと考えると、看病している子供から「死にたい」なんて言われたら、そうも言いたくなるよなと理解できるようになってきました。また、お詫びと感謝も湧いてくるようになりました。 いじめで私の身体中に打撲を負わせたクラスメートたちにはまだまだ冷静ではいられませんが、あの時そこまでしてくれたから、その後の闘病生活の辛さに耐えられたのかも知れないと思い直せるところまではきました。 今は、ただただ、生きていること、息ができること、ものが食べられること、水が飲めること、歩けること、家族に出会えたことが嬉しいです。 質問者さんの文章を読むことができ、回答をさせてもらえる機会があることがとてもありがたいのです。 私の回答は、私が子供の頃出会った担当医や担任に言われた言葉に私が感じた気持ちのように、質問者さんにとっては“うざい“ものかもしれません。 ただ、これが質問者さんの今後の気づきの役に立つかもしれないと信じて、今は“うざい“と思われるかもしれないと承知の上で書かせてもらいますね。 人から受けた悪いことを数え上げて恨み節になることは仕方ないです。 それと一緒に、その悪いことをやってきた人が悪いこと以外にあなたにやってくださっていた善き事を思い出してみてください。 あるいは、その悪いことをしなかった他の人の顔を思い出してください。 善き事をした父上、母上、お姉さまの部分は“当たり前“で、悪い事をした彼らだけを恨んだり卑下したりするのは平等ではありませんよね。 (悪い事が強すぎて、善い事が今は見当たらないかもしれませんが、いずれ思い出せると思います) 善き事をした父上、母上、お姉さまの部分にお礼をいってみてください。 本人に直接言わなくても良いので、心の中でしてもらった良い事を思い出し、それをした父上、母上、お姉さまに感謝の言葉を送ってください。 悪い事をしなかった他の人、親戚でも、友人でも、近所の人でも良いです。その人たちに、悪い事をせず、普通に接してくれてありがとうと感謝を送ってください。 怒り、恨み、腹立、罵る、これは簡単にできます。感情の赴くまま思った通り素直にやれば良いのですから。ただ、このネガティブな気持ちを一番に受けるのは誰かを考えてみたことがありますか? 悪い事をした人たちは、自分が正しいと信じているので、いくら非難されても露ほども後悔しない。まして謝罪をしようとも思わない。 一番に痛みを受けるのは、なんと、自分自身の無意識、自律神経のようなのです。 人を恨み、罵るなどの行為は、人に罰を与えているつもりでいても、その実、自分の声帯から直接脳を揺らすほどの大音量で、自分自身に悪態の被害を与えている行為に等しいらしいのです。 私が寝たきりから解放されたのは、(多分ですが)これに気づき、ほんの少しづつですが、善き事を探し感謝することで、自分の体の免疫力を回復させたからなだと、なんとなく感じているから伝えさせていただきました。 心を治めていくことは一朝一夕にはいかないかもしれません。 まずは、父上、母上、お姉さまに恨みを持っている自分自身を「認めて」上げてください。 恨んだり、憎んだりすることは致し方ないと「許して」上げてください。 そして、 気の向いた時で大丈夫です。 気長に、どんな小さなことでも良いのですから人や物事の良いところを見るようにし、それらにありがとう・感謝をよせるてみることを試してみてください。 加えて、その後です。 一番大切なこと。 自分自身のことを「大好き」になってみてください。 少し照れくさいですが、 毎朝晩、顔を洗うときに、鏡を見て、自分に向かってこう言ってみてくださ。 「私は私を許します」 「私は私を大好きです」 って。 何かが変わってくるかもしれません。 その変化はすぐに起こるかもしれないし、しばらく時間がかかるかもしれない。 その変化を楽しみに、気長にやれるときにやってみてください。 やがて、恨みや辛みがだんだんと和らいでいくと信じてます。 良い方向に進みますように 参考になれば幸いです。