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古釜布って現在は

北海道の側にある古釜布って北方領土で、日本の領土だという前提で聞きますが、今現在は日本とロシア、どちらが管轄において人が住んでるんですか?(法律や警察、消防の公的機関の管轄含め) 調べたら今どちらが多く住んで手中に収めてるのかはっきり書いてないのばかりでわからないので。

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  • ベストアンサー
  • furamanko
  • ベストアンサー率27% (565/2056)
回答No.1

国後島ユジノクリリスク(古釜布)は、モスクワから8つのタイムゾーンを隔て、7,000hm離れた東の国境に位置している。同じ名称を持つ地区行政の中心地は、これまで少なくとも2回再建されているが、それはなぜか。ユジノクリリスクに最初に定住したのはアイヌ民族である。ロシア人、日本人による島の開発が始まる前のことだ。18世紀の終わりまでに島にはアイヌ、ロシア人(亡命者、流れ者、軍人)の集落があり、同様に日本の交易所や駐屯地もあった。1855年、国後島は日本に割譲された。ユジノクリリスクの前身であるフルカマップ(古釜布)の村では、近隣の沖ノ古丹、イソヤンベツと同様に50軒ほどの家や電信設備がある郵便局、商店があった。1945年に国後島はロシアに戻った。1946年2月に南サハリン州の一部になり、その後、ユジノクリリスクが設置された。国後島では活発な建設が始まった。1947年までに、島はソビエト連邦各地から移民と季節労働者でいっぱいになった。これがユジノクリリスクの最初の再建である。2回目の再建は、1994年の地震と津波の後に行われた。ユジノクリリスクは、すべての建物を30mの高台に移動させ、再建された。悲劇は1994年10月5日の夜に発生した。クリル諸島の太平洋沿岸を津波が襲った。南クリル地区の一部である色丹島は震度8~9ポイントの揺れを感じ、11人が死亡するなど最も被害が大きかった。津波の高さは10mに達した。数隻の小さな漁船は陸に打ち上げられ、中には150mの長さの船もあった。ユジノクリリスクでは津波の高さはやや低く5~6mだった。地震により家屋が損壊し、電化製品や調理器具が壊れ、壁が部分的に崩れた。地震と津波の後、ユジノクリリスク、色丹島のクラボザボツコエ(穴澗)、マロクリリスコエ(斜古丹)は再建された。しかし、色丹島では1994年の地震被害で人口の深刻な流出を招いた。地震前の人口7,500人のうち島に残ったのは2,800人だった。2021年、南クリル地区には1万2,000人が住んでいる。(サハリン・クリル通信2022/1/14) 今現在はロシア、管轄において人が住んでる

tk_hey
質問者

お礼

どうも

tk_hey
質問者

補足

長く答えてくれましたが、結局ロシア領土状態になってしまったのですね。

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回答No.2

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