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実際の残念さを愚痴ります
世界は生まれた時に始まって 死んだ時に終わります。 自身に進歩が感じられない時 他の人から願われない時 自身から他の人に願われない時 世界の終わりを感じます。 世の中についていけない ※年をとると世の中はどんどん不便になります 当然ですが社会にメリットを提供できない人は いない方がいい 年をとると指先はどんどん細かい動きができなくなり認知も衰えます できなくしてサポートはお金がいります。 この場合のついていけないは そういったできなくしてサポートにはお金や時間を取られる社会を指します。 そう感じても 体はまだ元気 そんな時の考え方の幅を伺いたいです。 個々の人にとって 負担はない方が楽です でも負担になる側の 受け止め方や考え方がないと どーでも良くなりそれはもったいないです。 なんのメリットもないと自覚していないほうが 周りのためだという考えに対して 正しく生きた方がいいと思える考えが 聞けたらいいです。 世界はその人にとっては 生まれた時に始まり 死んだ時に終わります。 個 を意識した時の世界にいる見方があれば ききたいです。
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- toka
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「正しく生きる」というのを、自分が楽に生きることと他人が経済的な負担をするということの等価交換のような、そんな小さな意味で考えてはいけません。 あなたが考えるように、人は誰でも老いれば体の動きが悪くなり稼ぎもなくなる。 ただ、それをもって人様に迷惑かけねば生きていけなくなるというような卑屈な考え方に落ちてはいけない。 生活の一部で人の世話になるのは年寄りも病人も子どももサラリーマンも奥様も、皆一緒です。そこで「すまないねえ、すまないねえ」しか言えないのではなく、いかに自然に世話を受け、気持ちよく接し合えるような振る舞いができるかです。 「正しく生きる」とは、その自分の芯にある心がけが世の中に伝わっていれば正解なのです。力仕事ができなくても料理ができなくても、何か自分の中に正しい、美しいと思える価値観を持っていて下さい。
- kirakirakirei
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わたしはそうは思わない じゃあ他人から悪口言われたら 自分がそのとおりの人間だと思うのか あまりに他人からの評価をきにしすぎ 私は自分が地球の中心だと思ってるよ
お礼
回答ありがとうございます。 色々考えてみますが それとこれとはちがう 捉え方が変とかに行き着きます 他人に評価されないと 昇給ももできません 何も気にせず生きていくためには まずは何かしらかせがないととおいます。 なかなか難しいです。
お礼
返答ありがとうございます 卑屈とみられようが横柄とみられようが 傲慢とみられようが 性格で動きは変わります 後は体のポテンシャル次第 生まれた時に世界が始まり 死んだ時に世界は終わる その事実と 自分がどんなに願っても 力及ばす人は変わらないという事実 その事実に自分がどうするかは 性格だと感じます 残念な気持ちになります。