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屈辱を受けました

職場に、数ヶ月前から気になる男性が出来ました。私は思いが周りに伝わりやすく、皆が私をそういう目で見ていることにすぐ気が付きました。その後冷やかしなどを受けました。唯一、救いだったのがその男性が私を拒否しなかったことです。 しかし、冷やかしは続きました。私はどうしていいか分からず、黙っていたほうが一番いいのではと思い、無視に徹していました。 でも、それが悪かったようです。 私はその時、暴言やあきらかに私をバカにしたような物言いをもほおっておき、事態は悪くなる一方でした。 後から入社してきた、何も知らない新人が、私は何も抵抗できない人間だと決めつけ、見下した態度に出てきたのです。私が怒っても何も相手に響かず、もう手遅れの状態でした。 しかも、それを見ていた上役までもが、「あいつは将来が無い」と暴言を吐く始末でした。 皆の前でバカにされるという屈辱を受けた上、今まで自分は将来がないという風に見られていたということが悔しくてたまらず、涙があふれ出そうでした。 上役に「将来が無い」と言われたのは意味がわかりませんが、思い当たるとすれば、私はいつも女性なのに単独行動が多く、日常会話にほとんど参加せず、昼休みもお喋りもせず黙々と弁当を食べていることです。でも、これっていけないことなのでしょうか。 私はバカにされたらその場で怒っていれば良かったのでしょうか。しかし、私は気が弱く、仮に怒っていたとしても相手の勢いに負けていたかもしれません。実際、上に書いた後輩になめられたという時、私は怒りをあらわにしましたが、その後輩は、「それだけ?」という態度を取ってきました。それを考えると、私の取るべき態度はどんなものだったのかなと思います。 バカにされないで、円滑に人間関係を作るにはどうしたらいいのでしょうか。長くなりましたがアドバイス宜しくお願いします。

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  • ginga3104
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回答No.8

「屈辱」という言葉に惹きつけられて、書き込みいたします。何故、惹きつけられるかと申しますと、僕も小さい時からプライドが高い上に、社交性が乏しかったので、他者との関わりの中で屈辱感を受けた事が多かったからです。 しかしながら、大人になった(現在38歳)今日ではさほどそのような局面というのは減ってきております。 その理由として考えられる要因としては、大まかに分けて二つ有るように感じます。一つ目が文字通り自分が大人の風貌になっているので、他者からはきちんとした大人の扱いを受けるようになった。もう一つ目が、暴言を吐くような人を見る目が変わってきていること。だと思います。 幼い時は自分を正当に扱わない人と出くわした時も何も言えず、ただただ泣くことしか出来なかったのが、小学生くらいになった頃には、「このうらみはらさでおくべきか!!」で有名な『魔太郎がくる!!』(藤子不二雄A)のように睨み付ける攻撃が出来るようになり、中学生では漫才ブームの影響で皮肉で対抗する術を知り、その後失恋と受験の失敗から内にこもった時期で謙虚さを学び、大学では誠実さを学びました。実社会では・・・長くなるので割愛します。 で、何をいいたいかと申しますと、相手から不当な言葉を受ける状態というのは、皆さんが仰るとおり、コミニュケーション不足な状態です。しかしそれは、貴方だけではなく相手もそうだと言うことなのです。 子育てをしたり、部下を持つと良く判る事ですが、何か意見の相違やトラブルが起きた時に「黙っている」状態が一番困るのです。 どうしてこんなことしたの?なんでこんなのも出来ないの?黙ってちゃ判らないでしょ!何か言いなさいよ!・・・どうして指示どおりにやらなかったんだ?自分勝手な判断でやるなよ!・・・良くある光景ですよね。 「これほどまでに貴方の事を心配しているのにどうして判ってくれないの?」という、感情の嘆きや失望、更には怒りにまで発展するケースです。 これに対して、言われている方は相手が責めているとしか受け取っていないので、その心配している気持ちとかは伝わらず、所謂「屈辱感」しか残らないのですね。 このことから、極端ですが、「人は人の事を知りたい動物」だって事が言えると思います。言い換えれば、「人は人を絶対に判らない動物」なんだと思うのです。 ごちゃごちゃと書き汚しました。ここからが本題です。 >バカにされないで、円滑に人間関係を作るにはどうしたらいいのでしょうか。 僕の場合は、馬鹿にされても良いと思っています。僕がどんな人間かはいずれ判る事ですから。でも、大抵が相手の方の緊張が判るので、こちらから言葉や態度で「僕は貴方の敵では有りませんよ。」というシグナルを発信するようにしています。 具体的に言えば、冷やかされたりすれば、「えーっ、判る?」と照れている状態を見せてあげたり、意見を求めているのであれば、「僕はこう思います。」と言い切ってあげるし、議論を吹っかけて楽しみたいのであれば、「そんなバカな!」大声で応戦してあげます。 ここまででお気づきになるかと思いますが、相手に合わせてあげるのですね。そうすると、相手は気持ちが繋がったような気がするのです。(勿論、本当に繋がった気がする事は大いに有りますよ。) でね、こういうのは実は普通の生活からはあまり上手にならないのですね。意外とスポーツや武道、お茶やお花、はたまた音楽での他者とのセッションなど実生活とは関係無い経験から会得する割合が多いように感じます。(何かご経験はおありでしょうか?) ともあれ、ポイントは「察する」ことです。相手の表情や声色、状況判断で、「相手が自分に何を求めているのか?」を感じ取って出来る事はしてあげる、出来ない事は素直にこういう理由で出来ないと言葉で伝えてあげる事が円滑な人間関係の構築に繋がると考えています。 ご参考になれば。

noname#12540
質問者

お礼

なるほど、参考になります。下のお返事にも書きましたが、私はミスをした時、周りに聞こえるように注意されるので、恥ずかしさからミス(というか、故意に例外のしごとをしていた)理由をちゃんと説明せず黙ったままでした。そこから周りとすれ違っていたのかもしれません。馬鹿にされてもいい、という言葉に安心しました。これからは教えていただいた方法を実践していきたいと思います。ありがとうございました。

その他の回答 (11)

回答No.1

人間関係を作るのは、コミュニケーションです。 コミュニケーション能力が低いということは、 「仕事の能力が低い」に直結します。 上役が言ったのは、 そういう意味ではないでしょうか?     

noname#12540
質問者

お礼

やはり会社ではコミュニケーション能力が不可欠ということでしょうね。ありがとうございました。

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