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痛みや悲しみを味わって強くなる人とそうでない人の差
- 痛みや悲しみを知っている人間は人に優しくなれるのは本当だが、その人のメンタル次第である。
- 心が荒んで自暴自棄になる人も多い。しかし、家庭環境や人生が順風満帆だった人は、他人の苦しみに寛容で優しくなれる可能性が高い。
- 要するに、痛みや悲しみは人を強くする要素ではあるが、個人の心の持ち方が重要だと言える。
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- keizo99
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やはりメンタルが、強くないか弱いかですね、過去の、体験で引きずるタイプ、気持ちを切り替え進タイプで、相当違ってきます、不幸、不条理は誰でも、生きているかぎり体験します、でも、過ぎ去った過去、今日が終われば、過去の、出来事になる、そういつた、気持ちの切り替えをしていかないと、過去の出来事も現在の出来事も背酔わなくては行けなくなる、それわ、やはり不可能である、なら、過去の出来事を、体験てきに生かし、いつまで生きるか分からない日を、後悔しない生き方をしたいと思う事である、過ぎ去った過去は、戻らない事を理解すべきです、
「痛みや悲しみを知っているから他の人にも優しくなれる」とか「絶望を味わった人は強くなれる」とかって、実際のところその人のメンタル次第じゃないですか? 理由もなく別れを告げられた 長年会っていなかった親が亡くなってしまった 理不尽なことで上司に怒られた 心の病に罹った 自分がコロナに罹って辛い数日間を送ったetc...... >そうです。人により同じ状況を経験したりまたは同じ感性やメンタル耐性なんていないんです。 だから「お気の毒様」と言ったところで(俺、もしくは私にはよくわからない世界だな)というのが本音だったりします。ペットの死でも事件事故による死、自然死、人にも言えますよね。 うんと愛してたってなくなり肩によってショックも違う。穏やかに亡くなられる人もいれば「悔恨」を残して死別を選ぶこともある。 その人の生活レベルにもよりますし、他社との関係にもよります。だから、同じことでも捉え方や状況、メンタル耐性、感性にもよります。でも辛いこと自体に大小はないとおもいます。
私の好きな有名人が「0.1も10回繰り返すと1.0(1)になる」と言ってました。なるほどなと思いました。 人はそれぞれ適材適所があり、~のために生まれてきたと公言してもいいような人もいます。 その中で逃げても追いかけてくる問題、クリアしなきゃ次へ進めない問題、辞めてしまえば楽になるのに状況がやめることを許さないときもあります。 人は苦難や困難を前に、切り抜け方は千差万別です。どれが不正解とかはないし、人生においても正解はないと思います。 また、同じ苦難を経験しても(こんなの屁でもねぇ)っていう人もいれば同じ苦難を他の人に与えたところで(こう言う苦しいことを毎日やってるだなんて尊敬!)ってなり、人の感性も様々であれば人のメンタル耐性も様々です。 なので、自分の苦しみが他の人に与えたところでその人がどう思うのかはその人のメンタル耐性と感性次第です。例え私の苦しみを他の誰かに与えたとしても「こんなことで悩んでるの?おかしー」となるはずですw または「私だったらムリムリ~」という反応もある。人に優しくできるかどうかどうかといえば人によって気にしているポイント気になってるんだろうなというポイントが違うので共通理解ができてるとは限りません。 中には「お願いだ30秒だって時間を自分に使わせてくれ!」という根っからの仕事職人タイプもいます。そういう人はソレが苦でもないんでしょう。 気遣うポイントが違うと言いましたが、そういう人は常々ビジネスが円滑にいくように人や物流が滞りなく流れるように指揮するのがうまい。 また、「からくり」を作るのがうまい。マーケティング能力にたけてるような人が多い。 そういう人が「こう言うことされるの好きだろ?」とか逆に人身掌握をビジネスにだけ使うような人もいます。 または、「私と同じ苦しみを味わってみろや!」と思う人もいるでしょう。周りに被害者面ばかりして助けられて当たり前と思ってる。そのくせ、ひとのことはやろうとしない。なにかにつけ「自分がかわいい」タイプです。 自分語りがちな有名人の波瀾万丈にも同じ匂いを感じて嫌気が指すタイプです。 本当に丁寧に人生を生きられてる方は僅かなことにもこの苦難にもきっと何かしらの意味があったり感謝ができる人です。ようはその大きな物事を前に、「振り返ったときになんだったか、どうすればよかったか。今後はどうして生きていくか」もしくは「はーよかった。あんな苦難はもうごめんだわ~」とけろっと忘れて同じミスを繰り返す学習能力ゼロタイプかじゃないでしょうか? 人生なんて苦難が8割、残り1割はもらい事故(他人の手によって不幸にされる)残りの1割が幸運じゃないでしょうか?
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8905)
その局面に遭遇した時どういう反応になるかは、確かにその人が元から持っているもの次第ではあると思います。 ただ言葉だけで優しさや強さを知ることは、どんな人でも難しいですね。 >家庭環境も人生も何不自由なく こればかりは…中に入ってみなければわからないことも少なくない気はしますが、何もない人もいますよね。 本当に環境の悪いところで育った人とは違うかもしれませんけど。 すべきでないことのボーダーラインが違っていたり、様々なことを知る機会がなければ視野を広げることも困難でしょうから。
- KoalaGold
- ベストアンサー率20% (2539/12475)
それは真冬にスキー場に行く富裕層が「私は冬が大好き」と言ってるようなものですよね。ホテルに戻れば暖かいし、服装も完全防寒で栄養面も完璧です。冬に凍えながら帰宅して石油ストーブで温まるのを待つ暮らしとは無縁です。 だから「そうなの、バスで帰宅して寒い家に帰るのは大変なんだね」と同情できます。言うのは簡単、自分ではそう言う目には会ってないし、たまには寒い思いをしても毎日じゃないし、石油ストーブで臭い思いもしません。 しかし恵まれた友人にとっても、親が亡くなるとか病気になる、失恋する、出産で辛い経験をするなどは今後訪れるかもしれません。お金があればある程度辛さを和らげることはできますが、全く苦しまずに人生を終える人はいないのです。 確かに辛い痛い思いを頻繁に経験していると「慣れてしまう」という方向に進み、いちいち「辛いよお」と叫ばなくなりますけど、それで優しくなるというのとは別物ですね。同じ痛みを受けていない人に対して妬む、という方面に出る人がいますから。 それが妬み起因のいじめです。女性グループの中に多く見られます。イケメンの彼氏を作ったり、いいところに就職できたりするとグループ内で嫌われることがあるんです。 恵まれたところにいる人にはゆとりがあります。友達がイケメンの彼氏を作っても自分には富裕層のコネが強力な親がいて、いずれ玉の輿が約束されている、そんな余裕です。だから「そうなの、それはよかったね」って言えるんです。妬みの総量が少ないのでほぼニコニコしていてゆったりとしています。私にもそんな育ちのいい友人がいて、また妬み嫉み発言の多い友人もいて考えさせられますね。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2724/12278)
メンタル次第、その通りだと思います。しかし、自暴自棄になる人の方が多い、これは出鱈目でしょう。人間は都合良く忘れることもできる動物です。辛いこと、悲しいことがあってもその人に大きな影響を与えるぐらいとんでもない出来事なんて、一生に一度あるかないかぐらいです。テレビか何かで壮絶な人生と銘打って、紆余曲折の人を取り上げることもありますが、その人自身は多くの出来事に遭っているから、その多くは実は大したことのないことになっていると思います。 それぐらい、都合よく忘れていくのですよ。だから、多くの人は変わらない、が正解かと思います。人間は色んな出来事があってもそんなに変わらずに強く生きていくのですよ。 逆に何もなく平坦に見える生活をして、幸せな人生だと思う人には小さな出来事もとても大きく感じることがあるでしょう。そうした些細なきっかけで悪い方向に転ぶ可能性はあるのです。順調に何事も死ぬまでに起こらなければ最高、それはそういう人生だと思います。 隣の芝は青いのです。気にしていたら、自分に良いことは何もありません。どのような人生を送ってきたのかは知りませんが、あなたより悲惨な人もいるし、幸せな人もいる。だけど、「あなたの幸せ」はあなた自身の出来事からしか生まれないのですよ。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
昔読んだ本に「人間は二度絶望できない。二度絶望したという者は、まだ一度も絶望していない」と書いてありました。 人によって考え方は違うかもしれませんが、私はこの考え方を概ね支持しています。若い頃にかなり絶望したときがありましたけど、あれをもう一度味わうかというとそれはもうないなァと思います。あれ以上の絶望があるとしたら、その若い頃の絶望は「絶望ではなかった」のだと思います。 痛みや悲しみを知って他人に優しい人はいますけれど、本当に優しい人ですね。というか、人間ができてる人です。 で、他の皆さんがいうように、そうなるかどうかは「人による」部分です。痛みや悲しさから優しさを生む人もいれば、世界を怨み、そねみ、敵視する人もいます。重大な犯罪を起こす人なんかは後者のパターンが多いですね。人生で上手くいかないことがあるとなぜかそれは全て「他の誰かのせい」になるんですよね。 「理不尽なことで上司に怒られた」なんて、経験していない人がいたら会いたいですね・笑。「なんで俺だけこんな目に」っていったら「君が知らんだけで、みんなそんな目に遭ってるよ」っていってあげます。
>「痛みや悲しみを知っている人間は人に優しくなれる」 >「絶望を味わった人は強くなれる」 これは理不尽なことが身に降りかかった人への慰めの言葉だと思います。 >その人のメンタル次第じゃないですか? その人次第。そりゃあそう、だいたい何でもそうです。
- tomo-tomo3579
- ベストアンサー率32% (65/199)
直接の回答にはならないかもしれませんが… 私は一度死にかけています。やはり最悪の想定とかするように行動するようになりますが、絶望があるからこそ、今の当たり前に享受している生活が「当たり前ではない」と実感することができます。 それは強いかもしれません…が、質問者様がおっしゃるとおり「幸せ」とは別の話です。 あと、前に動画創作のクラスタにいたのですが、上がる動画を造る、その筋の有名人の共通点が「死にかけたこと」でした。その時はやっぱ一度死にかけなきゃね!とか笑って言ってましたが…。 重ねて言いますが、幸せとはまた別の話です。参考になれば幸いです。