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健康的で文化的な「最低限度」の生活とは
- 「最低限度」とは、個人の経済状況や環境に応じた生活の最低基準を指します。
- 貧乏人とお金持ちの「最低限度」は異なるし、育った環境や境遇によっても変わります。
- 人生において必要最低限を設けるのは、生活の安定や目標の達成、生き甲斐のためです。
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質問者が選んだベストアンサー
健康的で文化的な「最低限度」の生活とは、あなたのいう貧乏人の最低限度のことです。 「贅沢はだめだ」「もっと質素にいきなさい」となりません。贅沢をしたければ自力で行ってくださいということです。
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- Don-Ryu
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それって、生活保護支給日にお金を受け取ってパチンコ屋に並んでカップ酒を飲んで、 「飲まなきゃやってられるか!」 と威張りちらす、あいりん地区のホームレスの論理ですよね。 ものには限度があります。何の対価もなくただ人からもらうお金なら尚更です。 お金をくれる人の気持ちを想像すれば、自然に「必要最低限」が生まれるのが、常識的な知性を持つ人の感覚だと思いますが。」
お礼
回答ありがとうございます。先の方にも回答した通り、日本には福祉は「国がやってくれるもの」というのがあるんじゃないかと思います。誰しもが働きたくても働けない、いわゆる自分を見失い闇落ちをした若者もの少なくないです。そういう人たちに追い討ちをかけるように「何で働かねぇんだ」と唾を吐く人たちも少なくないですよね?誰しもが健康で文化的で必要最低限度をキープできるものなのでしょうか? 福祉活動は任意、やった人だけがもらう権限があるんでしょうか?そもそも、日本においては福祉の点では海外に比べると遅れてる部分があります。若い頃から社会福祉を学び、簡単に言えばホームレスにパンを支給する等といったこともやったことの無い若者も多い。 何をどうすればいいかわからない、障がい者や何かしらの理由で働けなくなった人に心のケアをするとか、働ける場所を斡旋するとか、それこそパンを支給する等といった支援は国がやればいい、いや、する必要もないというのが日本人にあるのが残念ですね。 誰しもが闇落ちする可能性はあるというのに。 回答ありがとうございます。 ちなみに某国では大学まで税金で進学できるところもあるなかゆりかごからなんたらまでとは、いったいどこから出てきたんでしょうね
お礼
ありがとうございます