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日本の消費者金融の歴史
- 日本の消費者金融の歴史は大工金融から始まり、個人金融、そして赤の他人にお金を貸す消費者金融へと進化した。
- 消費者金融はリスクが大きいため、団地の住民にお金を貸す団地金融を考案した。
- 身分がしっかりしていることが求められた団地が変貌し、会社員がステータスとなり、消費者金融はサラ金に移行した。
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質問者が選んだベストアンサー
>これで消費者金融の歴史は合ってますか? 間違いでしょうね。 質問者さまの言う消費者金融が、どの時代を意味するか分かりませんがね。 江戸時代では、盲目の職人を助けるために幕府が金融業を認めていました。 あんまの座頭市も、サラ金業も幕府公認で兼業していたのです。 商人も、余剰金などを座頭市に融資して甘い汁を吸っていました。 質問者さまが言う「大工云々」は、無尽講の一種ですね。 同じ職業の者同士が一定の資金を持ち合って、特定の者に融資する。 大工であったり、左官であったり、下駄屋だったり・・・。 この無尽講は、(相互銀行を経由して)第二地銀として全国各地で営業しています。 >何も信用保証もない赤の他人にお金を貸すのはリスクが大きかった。 リスクが大きいので、銀行・信金・信組は融資を行いませんよね。 そこで、消費者金融が増えたのです。 融資を回収するリスクが高いので、金利が20%近くになりました。 また、在日関係者が同胞に向けて融資を行う事もありました。 京都を本拠にした日本最大のサラ金は、在日問題で大事件が起きましたよね。 >消費者金融は高利貸しで自殺者が社会問題化して銀行の子会社となった。 これも、間違いです。 多重債務者・強引な取り立て問題で、融資規制法が誕生したのです。 金銭的信用度が低い者に、個々のサラ金が最大融資額を決めて融資をする⇒高金利+高額融資⇒儲かる。 この考えに、規制をかけたのです。 サラ金融資は、前年度年収の3割未満とする。 一社でも複数社からの借入でも、総額3割なのです。 これでは、経営陣にとっては商売の面白さがありませんよね。 儲からない! そこで、レイクがサラ金を止めて「新生銀行傘下の金融会社」と業態変更を行いました。 融資の3割規制から、逃れたのです。 同様に、アコムは三菱UFJ銀行。プロミスは、三井住友銀行傘下になります。 都銀としても、無担保無目的融資のカードローンに対して営業経験はありません。 サラ金・都銀の利害が、一致したのです。 今でも、都銀・地銀のカードローン審査は旧サラ金が行っていますよ。^^;
その他の回答 (1)
「大工金融」 不動産業者のことを「金融大工」とは言っていましたが 「大工金融」は初めて聞きました。 勉強になります。
お礼
みんなありがとう