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安楽死したい
自死はダメはわかっている 自殺は怖いし、痛いし、苦しいイメージがありとても無理だ。 自立神経系が異常で頻尿多汗めまい下痢などなど日常生活に支障がでるほどの症状をもっている。 その上鬱病を発症してしまった。ただでさえつらい症状なのに 鬱病で苦しく治る見込みもない。原因が原因なので治らない。 失敗したことを毎日悔やみそれで自身苦しくなり過呼吸なども起きる。ひきこもりも入り日に日に悪化していく。破産が目の前に迫り 生きていく希望も失った。 一生くすりづけの人生なんてまっぴらだ。 普通に生きてりゃあと30年もありそうな人生を苦しみと薬づけで過ごすのは地獄だ。その上破産して3年後には餓死か病死だ。 世界には安楽死があるじゃないか。スイスやオランダではリセットボタンが貰えるじゃないか。死ぬ権利もあるじゃないか。 日本にはその陰すらない。 苦しんで長生きしてください。天寿を全うくださいと、天使の声で悪魔のささやき。 末期がん患者の苦しみにさえ、息果てるまで頑張れとささやく。 尊厳死でさえ現在は禁止なのだという。 親戚の叔母や同級生はその痛みに耐えかねて鬱病となり首を吊った。 それを後世の人々はがんで亡くなったじゃなく、首をくくったという。 違うでしょ、がんの痛みから逃れるためでしょ、とは言ってくれない。 安楽死を認める社会になっていくことを望みます。 社会悪となってる自死を形式的にでもなくすためにも安楽死を推奨していただきたい。 まずは議論から、国会やこういった質問サイトでよいので安楽死について可否を質問しました。
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- 長岡 はるみ(@Haruo33)
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初めまして。 安楽死についての議論がしたい、とのことで、私なりの現時点での意見を書かせて頂きますね。 安楽死も、自死も、どちらも自らが選ぶ死である事は変わりありません。 自死と安楽死の違いを、苦痛の有る無しでは言い切れないのは、自死であっても、苦痛を最小限にすることができますし、安楽死であっても、そこに至るまでに全く何も苦労をしないかと言えばそうではないからです。 では、その違いは何かといえば、その死について、社会がどう定義しているかの違いではないでしょうか。 社会=人間の集まり(コミュニティ) 各コミュニティによって、意味付けが変わりますので、国によって、もしくは宗教によって、あるいは地域、家庭によって、その死に対する意味付けが変わります。 さらに言えば、一人一人、誰かの死について、何を思うかは、違います。 亡くなったご親戚の方や、ご友人の死についても、人によって、その死に対する意見がそれぞれあったとのこと。 自らの死を、周りの人間にどう意味付けさせたいのか。 それは死にゆく人が完全に思い通りにするのは難しいかもしれません。 しかし、自分自身が、自らの死を、どう意味付けするのかは、完全に自分で決められます。 そして、その意味について、どうしても誤解して欲しくない人には、出来る限り細やかに伝える事は出来るはずです。 伝えたとしても、完璧に伝わるかどうかは、別ですが、それも受け入れた上で、伝えられる想いは全て伝えた、思い残す事はない、という納得感があれば良いのではないでしょうか。 自らの死を、ご自身で、どのように意味付けしたいのか。 それがハッキリしているのであれば、どのような名前の死であっても、納得できる人生の終わりを迎えられるのだと思います。
- okkainan
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私は安楽死をしたい人間ですが、世の中は大半の人が何らかの宗教にハマっている為に、自然にその様に洗脳されているのでは? と思っています。 宗教によっては自分を殺す殺人だと教えているモノも有ります。 私は多分、家でくたばって腐って発見されると思っています。 そうすると、近所その他に迷惑を掛けるでしょうが、法律が迷惑を掛けろと言っている。 自分の始末は自分でつけたいという希望が叶わず、汚く苦しんで死ねという事なのでしょう。 私自身は諦めているので、答えは有りません。
お礼
ひとり暮らしの増えた現代社会、 孤立する個人を救うのは病死や餓死する前に安楽死を選択するという方法がいいと思ってます。自然死という名の餓死病死に至るまでの苦しさを想像するとたまらなく可哀そうと思うのです。 それは元気でいて老後資金も十分あって老後に介護施設や病院に入りあらゆる支援を得れる人はいいですが、これからは大多数がそうはいかないと想像できます。 施設に入れる財力もないというのが大半と思います。 実際介護疲れ道ずれ殺人・自殺などもおこっている。 今のうちに法整備をするのがよいと思うのです。 もちろんよしとしない人はそのままでいいではないですか、強制なわけはなのですから。一部そういう心配をしている人がいることは承知ですが、論点が違います。時期がきたらそうなるよでは遅いのです。安楽死したいという個人の意思や希望を大事に考えて欲しいのです。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11073/34515)
>世界には安楽死があるじゃないか。スイスやオランダではリセットボタンが貰えるじゃないか。死ぬ権利もあるじゃないか。 それは大間違いです。スイスやオランダで認められているのは質問者さんが考える「死にたくなったら死なせてくれる」わけではありません。末期がんなどでもう助かる見込みもなく、痛み止めなどもあまり効かなくなって常に苦痛が伴っていてどうしようもない場合に「どうせ死ぬなら苦痛を取り除いてあげよう」とやってあげるだけです。 競走馬が骨折するとどうしても治すことができないので安楽死させるでしょ?あれと同じです。 また、「死ぬ権利」というのはありません。権利ってのは使うことと使わないことが選べます。でも「死なない権利」ってのはありません。生きとし生けるものは全ていつか必ず死ぬ宿命にあります。だから死ぬのは「権利」ではなく「義務」なのです。 質問者さんは、いつか死ぬ義務があります。そして私にもあります。いつかはその義務を果たさないといけませんが、いつなのかは分かりません。明日かもしれないし、何十年も先かもしれません。 質問者さんが死にたいと思っているのは、うつ病という病気のせいです。うつ病が治ると、死にたいとは思わなくなります。例えば質問者さん、誰でもいいんですけどすっごい好きな女優さんと一週間後にセックスできると決まっていたら、とりあえずこの一週間は死なないでしょ?あの女優さんを抱いてから死ねばいいかとなるでしょう。 もし宝くじで1億円当てたら、とりあえずそれを使い切ってから死のうとなるでしょう。 人間の「死にたい」なんて気持ちは、そんな程度なんですよ。なんか楽しそうなことがひとつでもあったらそれまで死ぬことを保留してしまう程度なのです。 最近の駅では、自殺と事故防止のホームドアがあります。あのホームドアは高さ1メートルちょっとで、その気になれば簡単に乗り越えることができます。でもその程度の高さの壁があるだけで、死ぬことはやめてしまうのです。 そんな程度なのです、人間の死にたいなんて気持ちは。 質問者さんは死にたいと思っているのではなく、死にきれないのです。でも、それでいいと思います。死にきれないなら死ななくていいです。 質問者さんは治療を受ける権利があります。その死にたいという気持ちはうつ病によるもので自分の本心ではないということを認識してください。質問者さんとて、心身が健康でお金に困っておらず、女にモテてたら死にたいなんて絶対思わないでしょ?でもそれでいいのです。 質問者さんの望むような安楽死なんて絶対認めたらダメです。オランダ人は超絶個人主義(サッカーのオランダ代表は年がら年中選手同士、あるいはコーチや監督を巻き込んでケンカしています。そしてそれを国民は別に咎めようとしません)なのでそういうことができるのです。「俺は死にたい」「俺は死にたくない」どちらも認めるからです。 日本人はそんなことできないから、「安楽死ができるのに、なぜ死のうとしないの?」ってプレッシャーをかけられます。質問者さんだって自分で死にたいと思っているだけで、他人から「そろそろ死んだら?」なんていわれたくないでしょ?
お礼
病気だとは自身はわかっています。1億円あれば確かに破産もしないので将来にわたって介護生活できるかなとは思います。 しかし、そんなことは起こりえない0パーセントじゃないけれど。そしてだれかが1億円をだしてくれるわけじゃない。 それより、現実の毎日の苦しい生活から開放されたい。お先真っ暗なすぐそこに迫った、社会から見放された世界。金がものをいう社会。弱者をみてみぬふりせざる世界。 安楽死制度があり適用されれば、救われる。 自殺死の世界から救われる(理屈に矛盾はあるのは分かっています)。 ベッドからでれず、頭をとりまく苦しみ、頭はくらくらし、吐き気もでる。外出もまともな食事もできない生活、風呂にも入れず洗濯もできない生活。 熱い、寒い、苦しいを繰り返す現状。 甘えだ、そんな訳はない、必ず治るという声援。 こんな苦しみを与えし状況をただだまって過ごせない、薬も効かない、しょせん対処療法。 自分のことだけの話しでは事例が少なすぎるのでがん死亡の親戚の方や知人の例を出しましたが、日本人だって苦しんでいる人は沢山います。 回答についてはありがとうございました。 そういうふうな回答あるとは思ってましたが、しかし、 あきらめたくはない。 これ書いてて頭が少し疲れてしまいました。
お礼
回答ありがとうございます。 いま、重度(とおもう)うつ状態で治らないと思い込んでる(経験上)ので、この苦しみから逃れる方法を考えてました。しんじゃうなら安楽死しかないという思いからの質問でした。 苦しんで生きながらえる重度の病気の方は私と同じ状況ではないかという思いからです。 ご回答の内容についてはそうなのかという感想です。 議論をぶつけてというよりはそういう苦しみを軽減する方法を探していました。苦しみは本人以外わからないと思うので一石を投じたかったのです。もちろん成立するに越したことはないのですが。 回答ありがとうございました。