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子供と日本で暮らすには
私は約9年前にデンマーク人の彼と結婚し今までずっと日本で生活していました。 2018年12月に出産し徐々に体調が悪くなり結果子育てが無理になってしまいました。(約1年後に診断名、繊維筋痛症と分かりました) その頃彼は仕事が肉体労働+子供の世話、最終的に私の世話等で彼も体調を崩し仕事を3月に辞め子供が4ヶ月の時に彼がデンマークの実家に子供を預けに行きました。 半年後くらいには子供を日本に戻せるように私は体調を回復させ、彼は仕事を見つけ3人で生活できるように基盤を整えるという事が目標でした。 彼は以前から病院には行きませんでしたがメンタルが弱くなる事が多々ありました。日本に戻り二人だけの生活にお互いストレスが溜まっていきました。子供がいない辛さ、いつ仕事が見つかるかの不安や苛立ち、私の全身に広がる耐えられない痛み、それを傍で見ている夫のストレス。 この頃の結婚生活は本当に酷いものでした。一日二人とも家にいて私はリビングのソファで朝から晩まで痛みと耐えながら過ごし、彼は2階の自分の部屋で一日中寝ていました。顔を合わせても会話なし。話したとしても少しだけ。 子供が産まれる前はどうやって彼と生活していたのだろうと真剣に考えるくらい不思議な感覚で 彼と同じ空間にいるのが苦痛でした。 そして彼も同じ気持ちだったと思います。 彼が仕事を辞め3ヶ月後くらいに新しい仕事が見つかりました。 最初の数か月はクレジットの支払いなどありまだ見通しが立ちませんでしたが9月くらいには生活も何とか安定してきました。 9月は二人の誕生日もあり少し贅沢もしました。 二人の誕生日が過ぎたある日の事、彼が話があると言ってきました。 突然別居したいと言ってきたのです。やっと生活が安定してきた矢先だったのでショックでした。ただ彼も仕事のストレスや私へのストレス、子供がいない中色々頑張ってきてくれていたので変に反対する事はできませんでした。実は以前も別居したいと言われた事もありました。離婚するよりまだましかなと軽い気持ちでした。 彼の話を聞いていると実はもう住む所を見つけ数日後にここを出ていくと言いました。これにはびっくりでした。ただ今住んでいる所から車で5分くらいの所と言いました。私の病気はまだ一人で生活するのには不便で何かあった時にすぐここに来れるようにと言っていました。あと、子供が帰ってきた時に子供が行き来しやすいように近いところを探したと言っていました。 4月に子供がデンマークに預けてから7ヶ月後の2019年11月 彼のお義母さんが子供を連れて日本に来る事になりました。私の身体の痛みはまだありました。重い物が持てないし身体の血液が沸騰しているかのような痛みが一日ありました。でも痛みを忘れる事ができるように何かに没頭すれば1秒1分と痛みを感じないですむようにできました。 子供が11月に帰ってきた時にどれくらい面倒を見れるか、もし何とか面倒見れるようであればそのまま子供を預かりお義母さんだけデンマークに帰ってもらおうと言うように話していました。 しかし、フライトの前日、お母さんが腰を痛めてしまい子供が日本に来ることはありませんでした。 夫と二人で本当に、本当に楽しみにしていたのでショックでした。 いつ子供に会えるのか?本当に会える日は来るのか?毎日寂しさと身体の痛みで泣く日もありました。 2月半ば、夫が離婚届を持ってきました。 私はそれを見て勿論驚きましたが反対はしませんでした。 やっぱり離婚したいのかといった気持になりました。 彼には『今突然この紙を見たのでどうしたらいいかわからない。ただ反対はしない。少し考える時間が欲しい』と伝えました。彼はそれで大丈夫だと言っていました。 子供がデンマークにいるし国際離婚について色々調べて彼に自分の気持ちを伝えたいと思いました。 2020年2月末 朝、夫からレターパックが届きました。 今日夕方会うのに何だろうと中を開けてみると 彼の銀行の通帳や印鑑、家の鍵が入っていました。一瞬分かりませんでした。消印を見ると空港にある郵便局でした。 それを見て デンマークに帰ったんだと気付きました。 急いで彼の携帯に電話しても繋がりません。スカイプに連絡しても でません。メッセージを残しました。 ただ不思議と怒りは無く寂しさと驚きそして魂が抜けていったような感覚が暫く続きました。 その日の夕方彼とスカイプで話しました。 ちょうど実家に着いた所だと彼は言っていました。 そして彼は誤ってきました。 私は何から聞いていいか、話していいのか分かりませんでした。 ただどうして私に黙って帰国したのか聞きました。 彼曰く、『日本での生活が上手くいっていなかったし私との関係も続けていくのは無理だと思った、父親からデンマークに帰って来ないならもう二度とお前を助ける事はしない』と言われ帰国を決意したようです。 私を取るか家族を取るか。だったみたいです。 日本には戻る予定は無いと言っていました。 ここから怒涛の生活が始まります。 彼がいなくなってから頼れる人はもう自分自身しかいませんでした。 仕事を探さなきゃ。生活していかなきゃと焦りが出てきました。 身体に障害がありどんな仕事ができるのか不安でした。 悲しくて辛くて子供に会いたくて・・・ 子供を取られたような感覚になっていきました。 彼とスカイプで話しても彼が話す内容が気に食わないといつも突然切ってきました。『君はこうでもしないと学ばないから』と。 唯一子供との時間のスカイプをそんな感じで勝手に一方的に切るとは。。。怒りが爆発しそうでした。 彼はすべてを手にしている、私はその反対。そう思うと悲しくてたまりませんでした。ただ、自分で生活を切り盛りし自立できたのは彼のおかげだと感謝している部分もあります。 自分自身精神的に強くなったなと実感しています。何人かの友人にも言われました。 彼の性格は、頑固でわがまま、自分は物知りで賢いと思っている人です。実際に本当にスマートな人ですが小さい時からADHDがあります。彼自身は全く気にしていませんが、周りの人の態度を見たりすると 彼に対して不愉快な気持ちがあるのは一目瞭然です。 それと彼は良く嘘をつきます。自分では恐らく嘘をついてる感覚はないように感じます。意見がころころ変わるので私も色々苦労しました。 可能な限り彼と話した内容を残すようにしました。 時にはレコーダーにも残していました。 子供の幸せを一番に考えると無理に日本に連れてきて生活するのは酷だなと思う部分もあります。私が子供と一緒にいたのは4ヶ月。子供はデンマークで暮らすようになって1年8ヶ月。 デンマーク語も理解してきています。一緒に暮らすおばあちゃんやおじいちゃん、夫。 夫には後4人姉妹がいます。家族や親戚も多く日本にいるよりかは 人との繋がりが多いのでその辺はデンマークに住んでいて良かったなと思います。 デンマークの家族には感謝する面も多いです。 私がデンマークで生活して行くには観光ビザでマックス3ヶ月いるか、学生をして働くか、本当に不可能に近いですが仕事を見つけて就労ビザでデンマークで生活するか。それしか方法はありません。 実は今年の11月末にデンマークに来ました。12月に子供の誕生日があるので今年の誕生日は逃したくない気持ちでコロナ禍の中リスクを背負って思い切ってこちらにきました。 今の所短時間子供に2回会いました。 今週は夫が仕事の為、仕事がある日は子供に会えません。 実は今は車で45分離れた町に一人で住んでいます。 ここに住んでいる理由は夫のお父さんが私を毛嫌いしている為 彼の実家に行けませんでした。 来週からは彼はウインターホリデーになるので子供に会いに行く事ができます。 そして今週は子供の誕生日。 来年の誕生日も一緒にお祝いできるのかどうか・・・考えています。 長くなりましたがここまで読んで下さってありがとうございます。 まだこれからの事を夫と話せていませんが 子供と一緒に日本で住む事を望んでいます。子供にも日本の文化や食べ物、日本を経験して欲しいです。 日本語は全く話せません。何か簡単な事を言うとリピートはしますが 意味はあまり分かっていないように感じます。 読んで下さった方の中にはもしかしたら同じような経験をされた方、されている方がいらっしゃるかと思います。 是非アドバイスやアイデアをシェアして頂けたら幸いです。 どうぞ宜しくお願い致します。
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- yaasan
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デンマークには渡航できないと思いますけど、それは無粋ですかね(笑) 自分の立場を認識しているようで全くしていないように感じます。自分一人生活するので手一杯かと思います。せめて子供が一人で身の回りのことができる年齢ならいざ知らず、お世話をしないといけない年齢でしょう?自分が体を動かすので精一杯の病気を抱えつつ、幼児を一人で育てるなんて、あなたのわがままで周りが了承できるとでも考えているのでしょうか。 とくかく病気を治すことが大事なんじゃないでしょうかね。体に痛みを抱えたまま、半年働いたら、生活が成り立って、デンマークに行けるだけのお金を作れるようですから、体さえ丈夫なら、一人で育てていけると思いますよ。
- KoalaGold
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壮絶な半生だと思いました。 あなた自身の健康面だけでなく、支えてくれた旦那さんも外国で肉体労働しながら一杯一杯で限界すれすれです。子育てだけでも大変だし、国際結婚で外国に住むこともストレスだし、夫婦のつながりが外国人同士、大変な条件が重なり合ってます。 9年前から日本で結婚生活をしているわけですから日本文化がどうのというほどの違和感はないかと思いますが、外国人同士で集まったりしていませんでしたか。 私は外国で外国人と結婚して私の出産と旦那の会社の倒産後その頃バブルだった日本に二人のおむつの子を連れて家族で5年弱住みました。旦那は白人でちやほやされるので日本に住むのが楽しくてやめられないようですが、外国人だけで集まっていました。 私は乳幼児二人のアトピーと戦いながら家事と自分の仕事をして体を壊しました。実家の助けはありませんから病院も幼児二人を連れて通い、走り回る子を止めることができませんでした。 旦那は父親としてできる限りの育児を手伝ってくれましたがとにかく家にいないことが多いので髄膜炎で寝ていなければならなくとも頭を持ち上げるだけで激痛という状態で日本の保育園にも預けられず家の中でネグレクトしていました。 きつく辛い5年間でしたが、最終的に子供達を通わせた保育園の園長ともめて退園を決意して母国に戻りました。 結果的に日本に住んでいた時の社会的縛りや世間の偏見や長時間労働の厳しさは母国にはありませんでした。私はすぐ以前の会社に戻り保育園も翌日に入園できて旦那も仕事が見つかり5時に仕事が終わります。土日も休みです。信じられないほど体が楽になりました。気候がいいのも体調によく子供達のアトピーは相変わらずですが、よく笑うようになりました。 あなたの家族が日本で始めたから日本に住みたいとの思いがあるわけですが、世界的視点で福祉国家に住むことで家族全員が保護を受けられて健康もよくなるのではないかと思いました。ムキになって日本に住み続け、旦那さんに無理を強いていたのがマイナスだったと思います。 日本の実家の助けは質問文には書かれていないけれど、デンマークには助けてくれる義実家があります。なぜ早くにそちらに転居しなかったのかと悔やまれます。 義実家に嫌われているのはその無理を続けさせた原因があなただからと思われています。よく旦那さんも我慢したものです。妻が故障するとかなり早めでギブアップする旦那さんが多く耳に入ってきます。弱いものを看護する我慢強さは母性です。男性が続けることに無理があるようなんです。 デンマークに滞在する間にこちらに長期滞在をしたいと主張してその方法を探るべきと思います。日本に帰国したらもう次はないと思います。学生ビザでもなんでもいいんです。方法を考えます。形だけで復縁しても。子供の親という権利は強いはずです。義実家にわかってもらい、こどもの世話を定期的にさせてもらい、家族の距離を詰めることだけを念頭においてください。 言語が違うことは大きな壁です。私の子達は最初は日本語だけで義実家と会話ができず他の従兄弟たちとも会話ができず全く相手にされませんでした。無視されていたくらいです。ですからここはあなたがデンマーク語や英語で合わせるしかありません。日本語はその次です。 良い方向に向くことを祈ります。
補足
貴重なご意見を下さりありがとうございます。 これからの事について先ずは旦那さんと良く話し合い 解決していきたいと思っております。 お時間ありがとうございました。
すみません。 先の回答は、貴方の話がよく見えてませんでした。申し訳ございませんでした。 貴方の答えはタイトル通りですから、折り合いつけるだけですかね。
なんとなくですが。 旦那さんは、もともとあなたがダメというよりは、日本の生活もしんどかったように思います。 ですので、仮に家族の形が一つ屋根の下に一緒に住むことだとするのならば、あなたがデンマークに住むこと以外、旦那さんとの解決方法は無いような気がしました。 文面見てますと、旦那さんは貴方のために日本に住んでくれたり、仕事してくれたり、あなたを面倒見てくれたりいろいろしてくれていますが、あなたは旦那さんに何をしてあげたのかが書いていないのでよくわからないです。 そこはあなたが病気なので仕方ないところもあるかもしれないですが。 お話の主語の自分のところと旦那さんのところを他人の名前、例えば旦那が悟空、自分が悟空のカミさんとしたときに冷静に話を見てみると解決方法がわかるかも知れません。
お礼
ご回答頂きありがとうございます! 先ずは旦那さんと話し合い彼の考えを聞いて子供の為には何が優先するのが大事か話し合いたいと思います。 アドバイスを下さりありがとうございました。是非参考にさせて頂きたいと思います。
補足
貴重なご意見を下さりありがとうございます。 渡航する前に外務省の担当者に連絡し了解済みです。 以前は一日中寝たきりで呼吸するだけでも辛い日々を送っていました。お陰様で今は日常生活ができるようになり大体の事は問題なく出来ています。当時スマホが重く感じ身体に痛みが出ていましたが今は13キロある子供を先日少しですが抱っこができ嬉しく思いました。 これから子育てを十分にできる体力を作る為、今まで続けていた運動を継続していきたいと思っております。ここデンマークに来たもう一つの理由は、日本では認証されていない繊維筋痛症に効くワクチンの接種をするのが目的であります。 これから旦那さんと良く話し合い少しでも今の状況を解決できるようにと願っております。 この度はお時間ありがとうございました。