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喧嘩をすれば痛いのに喧嘩に明け暮れている人っている

喧嘩をすれば痛いのに喧嘩に明け暮れている人っているんですか? そういう人たちはどういう心境なんでしょうか? 喧嘩が怖くないのでしょうか?

みんなの回答

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34517)
回答No.5

人間は慣れる生き物ですからね。私もDV被害者でしたが、ビンタをされるくらいがあまりに日常になったので、ビンタくらいじゃどうも思わなくなったほどです。 それこそ「宿題をやらないとビンタされるけど、ビンタされるより宿題やるほうが嫌だからビンタされよう」って思ってしまうほどでした。 ケンカも場数を踏めば「おー、やってるやってる」程度の感じですよ。私も自分が関わらないケンカだったら「おー、やってるやってる」って思います。

  • aeromakki
  • ベストアンサー率36% (870/2378)
回答No.4

私はADHDという持病があり、ちょっと裏表があって結構暴力的な祖母に色々やられて育っています。 曾祖父が大工で、暴力的な思考回路のお弟子さん達を見慣れていたからか、 他者を威圧できない人間は半人前という、病んだ思考の婆様でした。 こういう特異な環境に育っているもので、喧嘩は殴り合いも含めて特に怖くはないです。 逆に、些細なことで自分がキレることが稀にあるので、キレやすい自分がキレないか、常に努力と忍耐の日々です。 他人なんて、全然怖くないですよ。 キレる自分自身に比べれば(T_T)

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.3

プロの格闘家、プロボクサーなどは別にして、人の顔を殴るとか、大怪我を負わしてしまうであろう部位を力いっぱい蹴る行為をしたことがある人は、少ないでしょう その『壁』を何かのきっかけで越えてしまい、そのことを何度も繰り返してしまう人たちのことを本当の意味で理解することは、難しいかと思います それそこアル中の人や大麻(薬)をしたことがある人、それを繰り返す人の心など、経験のない他人には絶対に、理解できないし理解したふりもしてはいけないと思います それらの『壁』の向こう側を、覗かなければわからないし、覗いてはいけない領域です その壁はとても薄いモノなのかも知れません その薄くて脆いモノを越えてしまった人たちを理解することは、無理ですし、彼らも壁の「こちら側」のことを思い出すことはソレ以上に難しいことでしょう

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

1。喧嘩をすれば痛いのに喧嘩に明け暮れている人っているんですか?  はい、います。殴り合いの嫌韓も、口喧嘩もあります。 2。そういう人たちはどういう心境なんでしょうか?  付き合い方の一つです。 3。喧嘩が怖くないのでしょうか?  はい、殴り合いの喧嘩の例は映画『静かなる男』にあるように、アイルランドの田舎では、お手合わせが初めて会うお辞儀みたいなものです。  口喧嘩の例は中国や韓国です、出鱈目を吹っかけて相手がどう返すかをみる、先に謝った方が負けです。ゲームのルールがあるわけです。

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3668)
回答No.1

こればっかりは分からないなぁ。 昔の友人にこうしたヤツが一人いて、とても明るいヤツでしたが、一言ひとこと腹の中から声を出すようなタイプで、何故か喧嘩好き。 いつだったか、真っ赤な頬で会社に来たときに「どうしたん?」って聞いたら「さすが、100キロ級のパンチは効く!」などとほざいてましたが、喧嘩好きというよりも、売られた喧嘩は必ず買う。 殴られることに抵抗がないのだろうね。 専ら殴られ役に徹するという人間もいるもので、はじめは女王様に鞭で叩かれたくてそちらの世界に身を委ね、あちこちで危険に晒される仕事ばかりを選び、最終的にはレスラーになって思う存分殴られることに快感と無上の喜びを覚えるという人間もいるもので、まあ、一種のMなのかもしれませんが、少なくとも恐怖心はそんなにないと思いますよ。 まあ、変な人ですね。

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