二十四節気の一つに、「秋分」という節気があります。
二十四節気とは、中国から伝わった季節の節目を表す日に名称をつけたもので、これを日本が取り入れ私たちの生活にも根づいています。
秋のお彼岸は、秋分の日と前後3日間を合わせた7日間のことを指します。
初日を「彼岸入り」、最終日を「彼岸明け」、ちょうど間の秋分の日を彼岸の中日と呼ぶ。
お彼岸は日本独特の風習で、その歴史は古く、平安時代から存在していたといわれています。
また、仏教の世界では、先祖のいる悟りの世界を彼岸、今私たちが生きている世界を「此岸(しがん)」と表すそうです。
秋分の日は戦前、「秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)」と呼ばれていました。
これは、歴代天皇ならびに皇族の霊をまつる儀式を行う日のことで、昭和23(1948)年に「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日として、秋分の日と改名。
日本国民の生活に深く根づく祝日となりました。
秋分の日は昼と夜の長さがほぼ等しくになることから、この日は彼岸と此岸の距離が最も近い日と考えられ、先祖への感謝の気持ちを表しやすい日だと考えられるようになりました。
それがお彼岸の由来である。
こうしてお彼岸である秋分の日前後は、先祖を敬い、感謝を伝えることができる日として、お墓参りに行ったり仏壇に手を合わせたりするなど、先祖の供養をする日となりました。
一方、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日として制定された国民の祝日。
秋分の日と同じく、昭和23(1948)年を境に「春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)」から春分の日に改名されました。
秋分の日・春分の日ともに同じ皇室行事を背景に持つ祝日ではありますが、意味には大きな違いがあることがわかります。
一般的には、春分の日と秋分の日は、お墓参りをする日とされています。
また、彼岸の中日には「おはぎ」・「ぼたもち」を食べる風習があります。
その由来は諸説あり、一説には秋分の日に食べられる「おはぎ」は、秋の七草のひとつである萩の花と小豆の形状が似ているため、「おはぎもち」と呼ばれていたのが「おはぎ」に変わったとされています。
春分の日に食べられる「ぼたもち」は小豆を春に咲く牡丹の花に見立てたことから、「ぼたんもち」と呼ばれていたのが「ぼたもち」に変わったとも言われています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 中国から伝わって十二節気と皇室の行事が一般化したのですか。 全く存じ上げませんでした。 お勉強になりました。 どうもありがとうございました。