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佐藤栄作受賞で日本人のノーベル賞の価値が下がったか
1949年に湯川秀樹博士がノーベル物理学賞を受賞したときは、日本人にとってノーベル賞は非常に価値が高いものでした。 1974年に佐藤栄作さんがノーベル平和賞を受賞したとき、日本人はノーベル賞の価値が下がったと感じたでしょうか? 湯川秀樹博士のノーベル物理学賞受賞のときに比べて、佐藤栄作さんのノーベル平和賞受賞後にはノーベル賞の権威が失墜したでしょうか。
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当時回答者は大学生でしたが、ノーベル平和賞決定のニュースが伝えられた瞬間は「えーっ、何で?」という気持ちでした。ただし「ノーベル賞の価値が下がった」というより、質問者様が触れられているように「佐藤栄作元首相に対する海外の高評価に戸惑った」という方が実態に近いと思います。 前年(1973年)の平和賞はのちのベトナム戦争終結につながるパリ秘密交渉をまとめたアメリカのキッシンジャー氏と北ベトナムのレ・ドク・ト氏(辞退)に与えられ、3年前(1971年)の平和賞は「東方外交」を進めて東西の緊張緩和に貢献した西ドイツのブラント氏でしたから、ノーベル平和賞はそのほかの科学のノーベル賞とは異なり、その時々の国際政治の難問を解決して国際平和に貢献した当事者に与えられる、いわば「際物」であることは、ノーベル賞についてある程度の知識のある日本人には理解されていました。 このため佐藤元首相は、ブラント氏やキッシンジャー氏と同じくらいの優れた業績だと国際社会に評価されていたのか、という点にノーベル賞の知識がある国民も困惑したのです。というのも日本国内では佐藤氏は首相として沖縄返還を成し遂げたことなど、その長期政権の業績を評価する声があった一方で、退任会見で新聞記者の退場を促し、テレビカメラだけの前で会見を行うなど、政治家としての印象が必ずしも良くなかったからです。 ただその後、授章の理由が「非核三原則」や「アジアの平和への貢献」だとわかるにつれて、「佐藤氏個人の業績というより、戦後の日本が進めてきた平和な国作りのあり方がノーベル賞に値する優れた業績だったのだ」、という理解も生まれ、ある程度は納得した国民も多かったと考えます。 この1974年という年は戦後29年にあたり、「Japan as Number One」という書籍が発行された年でもあります。経済大国になった日本には戦争の傷痕は表面的にはありませんでしたが、戦争体験のある人がまだ社会の現役リーダーで(大学で学んだ学科には昭和18年に学徒出陣で出征した教授が2人いました)、戦争の記憶は音楽のベースラインのように社会の奥底に存在し続けていました。佐藤氏のノーベル平和賞受賞によって、「戦後日本が目指してきた道は基本的には正しかったのだ」という共通の感慨が特に年配の世代に広がったのかもしれません。 もちろん、ご質問のようにどうしても納得がいかず、「ノーベル賞の価値が下がった」と考えた人もいたことは確かでしょう。佐藤元首相が受賞するまでに日本人でノーベル賞を受賞した人は、1949年の湯川秀樹氏をはじめ4人いましたが、文学賞の川端康成氏以外は全員物理学賞でした。
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- seto2004
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オバマ元大統領も 「yes we can」の一言でノーベル賞授与されたね ノーベル賞については他のジャンルの項目の受賞は 権威は感じられるが、 平和賞だけは・・・・・・?
- lolipop-sapporo
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当時のことはよく憶えています。私が中一の時ですけどね(笑)。 これ、メディアによって扱いが全く違ったんですよ。朝日・毎日系の反自民党系メディアは「ノーベル賞の価値が下がった」ような論調でしたし、読売・産経系の親自民党系メディアでは「さすが佐藤総理。バンザイ!」的な論調でしたね。 なので、当時その家庭で購読していた新聞によって、意見は違ったんじゃないかと思います。今のようにネットなどはありませんでしたからね。 ちなみに我が家では、もともと「平和賞と文学賞は政治的すぎる」ことからあまり評価していませんでしたし、祖父の代からの朝日新聞購読者(笑・今でもそうです)なので、佐藤栄作のノーベル賞受賞は無視していました(笑)。
- koncha108
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ノーベル平和賞は政治的な配慮が入りがちなので、理学系のノーベル賞の価値と混同する人は少ないです。その点文学賞も同じ。 その前提で言うと、湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞した価値は日本人にとっと格別の物で、欧米優位の学会の中で、敗戦国でサポートする有力な科学者もほとんどいないアジアのはずれの物理学者の、当時では異端の理論が評価されたのは驚くべき事。近年連発する日本人の受賞とは驚きも喜びもレベルが桁違い。 佐藤栄作は沖縄返還を平和裡に実現させた功績ですが、実はこの事自体冷戦の中でアメリカの核ミサイル配備を否定しつつ(裏はともかく)実現したのは大変な事で単なる持ち回りの表彰とは違います。ただ佐藤栄作一人の力では無いし、全般的にノーベル平和賞そのものが偉業よりも世界に対しての平和の模範の一つとして表彰する一面があるので、ベストオブベストで選ばれた人物と言うわけじゃないところが平和賞の価値を低く見せているところと思います。
- kuni-chan
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佐藤栄作さんは沖縄返還を実現した総理大臣で、その功績は受賞に値すると思います。 あなたはなぜ権威が失墜したと思うのでしょうか?
お礼
>あなたはなぜ権威が失墜したと思うのでしょうか? 私だけが思っていることではなく、私の周囲でそう思う人が多いです。私よりずっと年長の人が、「佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞したとき、日本人はみんな困惑した。」と実際に私に言いました。 タレントのビートたけしさんも、「佐藤栄作が受賞してからノーベル賞はなんだか怪しい賞になった」と彼の本に書いています。 他にも、佐藤栄作さんのノーベル平和賞受賞を疑問視する人がたくさんいるのが事実です。 逆にあなたが「佐藤栄作さんの受賞は当然」と思うのは単に「ノーベル賞」の権威を盲信しているからでしょう?
- nihonsumire
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ノーベル賞は、ご存じのごとく、初めての国際賞です。ですが、ノーベル財団が決めてる賞です。価値があるかないかは、その財団が決めることです。ジャン=ポ-ル・サルトルなどのように、ノーベル賞を辞退する人(現在まで3人)も居るのです。 個人的には、受賞者はどの方もすごいと思います。だって、私にあげるると言ってくれる人は、身内以外居ないですから。
お礼
回答ありがとうございます。 しかし、申し訳ありませんが、あなたの個人的価値観を訊いているのではなく、一般の日本人がどう思っているかを質問しているのです。
お礼
>ノーベル平和賞は政治的な配慮が入りがちなので、理学系のノーベル賞の価値と混同する人は少ないです。 それは違います。ノーベル平和賞と理学系のノーベル賞の価値を混同しないのはあなたのような教養ある人たちだけであって、世間一般の普通の人たちは混同しています。「混同する人は少ない」のではなく、「混同する人は非常に多い」のが実情です。