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猫の看取りについて
- 愛猫の最期の瞬間を看取れずに後悔しています。
- 猫が2ヶ月前から嘔吐の症状があり、腎臓の数値が少し高かったが腎臓病ではないと診断されました。
- 猫が食欲がなくなり、体調が急激に悪化し、胸水を抜いてもらうために病院へ行きましたが、翌日には亡くなってしまいました。
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質問者が選んだベストアンサー
生きものにとっては、毎日が『最期の日』とも言えます。でも、人間(家族)でさえ、その最期を看取ることは、とても難しいのです。例えば貴方が「今日が最期の日」だと分かってたとして、家族に「最期まで看てて」「毎日、お別れの言葉を言って」って言えますか? 「普段通りにしてた方が嬉しいんだけど」って思いませんか? 『飼い主失格』なんて、とんでもないことです。貴殿は、立派な飼い主ですよ。旅立ってなお偲んで貰える猫も、本当に幸せ者です。御年17歳。天寿を全うした大往生(身内が言うには問題ない言葉で、他人が言うことではない事は重々承知しております)でしょう。 具体的な余命や、「今夜が峠です」なんてのは、往々にして『ドラマ上』のこと。元看護師ですが、そういう事は軽々しく言えません。(我々は神でも占い師でもないので)そういう場合は「何が起きてもおかしくない状態です」とは伝えます。質問文にも、医師からそう伝えられていますね。 定期検診を受けてても、病気の治療をしても、逝くときは逝くのです。その瞬間を看取れる方が、少ないと思います。当方も若い頃、猫の最期に立ち会えませんでした。いつもと違う疲れたような仕草に「あ、眠いのかな」と思って仕事に行って、帰宅したら旅立ってました。最期の会話は「じゃ、いってくるねー!」「・・・みゃう」でした。 上手く言えませんが、猫としては、「貴方に出逢えて、貴方に飼われて、貴方と暮らせて良かった」って思ってるんじゃないかな? 胸水やリンパ腫等々、食事も出来ず、辛い日々だったことでしょう。病院に連れて行って貰えたことも、ありがたく思ってると思います。 その愛猫は、貴方の笑顔が大好きだったはず。その笑顔を失わせた事に対して、今は(貴方と同じように)哀しんでいるはず。しばらくは、精一杯、哀しみましょう。無理な笑顔を作らなくても良いのです。同時に、自分を卑下する必要もないのです。その悲しみは、時が過ぎる事でしか癒せません。 長文・駄文・誤字陳謝。我が家の譲渡猫2匹も、いつかその日が来るのでしょう。いやいや、自分の方が先かな?・・・なんてね。毎日その日がくる事を哀しむより、出来れば毎日を楽しく居たいものです。貴殿の今の悲しみが過ぎた先に、ペットショップや譲渡会などで「生まれ変わった自分を探してね」という猫の声が、いつか聞こえるかもしれません。
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- nagata2017
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私の娘が飼っていた猫は その日の朝までなにごともなく元気だったのに 夕方 帰宅したら 布団の上で冷たくなっていました。 なにも予告なくそうなってしまったので ペットロスがかなり重症でしたね。 保護猫でした。
お礼
ご回答ありがとうございます。また返信が遅くなり申し訳ございません。 悲しいお別れをされたんですね… 元気だった子が突然亡くなっていたらと思うと悲しみは計り知れません…。 私は最後の瞬間は看取れませんでしたが、それまで長生きしてくれて 病気はしましたが看病する事も出来て 亡くなった後もすぐ見つけてあげられて良かったんだと思います。 ありがとうございました。
- agehage
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17年も生きたんですから、あなたはとてもネコのことを大事にしてきたのです 最後を見取らなかった事は何の罪でもありません あなたがしたのは、一匹のネコを17年間見続けたのです 天国があるならば、ネコは息を引き取る瞬間よりも、その17年間を思っているでしょう ありがとうって。
お礼
ご回答ありがとうございます。また返信が遅くなり申し訳ございません。 自分は最後にひどい事をしたと、悔やんでいました…。 でも、最後を看取らなかった事は罪ではないと、言って頂けて嬉しかったです。 17年、大切に家族として過ごしてきました。 それは胸を張って言える事です。 悔やんで、ごめんねと思う事もたくさんありますが、私もたくさんありがとうと伝えます。 本当にありがとうございました。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2724/12279)
看取るというのは相手が死ぬ瞬間を見ていることではないと思っています。自分と相手が最後に会った時にどう心を交わしたか、でいいと思っています。でないと、いつまでも自責の念が出るだけで、何の意味もないと思うのですよね。 猫との話ではありませんが、私は去年大きな手術をしました。大成功に終わり、退院も見えてきた時にふと思い出してそれを目標に早く退院できるようにとリハビリなどにいそしみました。 それは叔父が癌の末期で終末医療の状態になっていると聞いていたので、退院してすぐにお見舞いに行って、「僕も元気になったから叔父さんも退院できるように頑張ろうね」って一言言ってあげたかったのです。 しかしその思いは届かず、入院中に亡くなったことを聞き、とても悔しい思いをしました。入院前に会えるチャンスはあったのですが、既に体調不良で会えずだっただけに悔いが残りました。 だけど、いつまでも引きずっていていても自分もしんどいし、亡くなった叔父さんにも申し訳なく、気持ちを入れ替えることにしました。生前会える時に会ってたくさん楽しい思い出を残しているじゃないか。それが俺と叔父さんの間で看取るという行為なんだと。 質問者様も精一杯出来る限りのことをして、最後の最後猫ちゃんはあなたに亡くなる瞬間を見せたくなかっただけのことだと思います。猫は死ぬときに姿を隠す、というじゃないですか。その変形と思い込んでおけばいいと思います。 私も猫を最後まで看取った事があります。たまたま死に目に会うことができましたが、彼が精一杯生きた証と共に遊んだ思い出こそが一番大事なんだと思うようにしています。タラレバは思うときもありましたが、そんなことを必死に思っても猫は帰ってこないのです。こうやって亡くなったのがこの猫の運命と受け入れるようにするのが大事かな、と思います。 今すぐは切り替えられないこともあるかと思いますが、思い出は質問者様が生きている限りにおいて、一生残るものです。それを大切にしてください。
お礼
ご回答ありがとうございます。また返信が遅くなり申し訳ございませんでした。 >看取るというのは相手が死ぬ瞬間を見ていることではないと思っています。自分と相手が最後に会った時にどう心を交わしたか、でいいと思っています。でないと、いつまでも自責の念が出るだけで、何の意味もないと思うのですよね。 私は死ぬ前からじっと見守り死ぬ瞬間まで見続ける事が、看取りだと思っていました。 それができなった自分を責めていました。 でもそうじゃないという考えに、ハッとさせられました。 私は最後にあの子を撫でて声をかけた時、元気になってね、大丈夫だよと言いました。 あの子も顔をちょっとあげて、尻尾で返事をしてくれました。 まだまだ一緒に生きようという気持ちはきっと同じだったと思います。 確かに猫は最期は姿を隠すといいますね…きっとあの子は最後はそうしてくれたんですね。 亡くなった時の悲しい思い出よりも、楽しく幸せな思い出がたくさんあります。 今はまだ悔やむ気持ちの方が大きいですが、幸せだった思い出をずっと大事に頑張ろうと思います。 本当にありがとうございました。
- ponyo7
- ベストアンサー率18% (134/724)
10匹の捨て猫を拾って全て家猫ですべて15年以上の大往生です。最長は22年です。今は2匹がいますので8回見送りをしました。その内亡くなるのをじっと見れたのは1回だけです。仕事もあり家族からの連絡で、急いで帰宅するとなくなっていました。 1匹は朝6時に起きて確認し、6時半にもう一度見たらなくなっていました。 辛いことにケージの金柵を噛んだまま亡くなっていました。他の猫も会った時は殆ど硬直した状態でした。 昔は死が怖かったですが、今は死んだらあの子たちとまた会えると思うと死へのの恐怖が和らぎます。(もちろん会えるとかそんなことはないのですが) 私には謝りたい犬が2匹います。一匹は育児放棄、もう一匹は自転車が倒れて足を怪我させてしまった野良犬。あの世で謝れるものなら謝りたい。 愛情を注いだのですからどうか気にしないでください。まだまだ救うべき動物はいっぱいいるのですから。
お礼
ご回答ありがとうございます。また返信が遅くなり申し訳ございませんでした。 10匹もの猫ちゃん、みんな15年以上も長生きされたなんて素晴らしいです。 とても大事にされていらっしゃったんですね。 辛いお別れを何度も経験された事、教えて頂きありがとうございました。 亡くなる時に立ち会えたのは1匹だけという事で、やはりそれはとても難しい事なんですね…。 私の場合も仕方のない事だったんだと、自分を納得させたいと思います。 今はまだああすればよかった、こうすればよかったと後悔が尽きませんが 時間が解決しれくれるのを待ちたいと思います。 私も向こうであの子にまた会えると思います。きっと待っててくれると。 2匹の猫ちゃんも元気で長生きされますように。 本当にありがとうございました。
- jrn700
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愛猫がなくなられてさぞかし悲しみに打ちひしがれておられると思います。 本当にご愁傷様でした。 私も、10年猫を飼っていました。 迷い猫を貰いました。 本当に頭の良い猫で、私と一緒にいつも布団で寝ていました。 子供達が公園に行くと、ついて行き。大きな犬がくると威嚇してくれるような猫でした。 ご飯の時には、「うにゃうにゃ」と言いながら食べるし、テーブルの下からもっとくれ。と催促する猫でした。 本当にかわいい良い猫でした。 その猫は、年老いてきた時に、ある日突然いなくなり、戻ってきませんでした。 あなたの文章を読んで思った事が一つだけあります。 「愛猫の葬儀ができて幸せだな。」です。 色々と後悔はおありでしょうが、「葬儀ができて幸せだな。」「お別れの儀式が出来て幸せだな。」と、お思いになれば如何でしょうか?
お礼
ご回答頂きありがとうございます。返信が遅くなり申し訳ございませんでした。 飼われていた猫ちゃんはまるで人間のような…とても賢く、 優しい猫ちゃんだったんですね。 そんな子が突然いなくなってしまった悲しみは計り知れません。 そう思うと、うちの子は最後まで自分で見送る事が出来ただけで幸せだったと思います。 後悔は尽きませんが、それよりもしてあげられた事、楽しかった事、幸せだった事を沢山想ってあげようと思います。 ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。また、返信が遅くなり申し訳ございませんでした。 >生きものにとっては、毎日が『最期の日』とも言えます。でも、人間(家族)でさえ、その最期を看取ることは、とても難しいのです。例えば貴方が「今日が最期の日」だと分かってたとして、家族に「最期まで看てて」「毎日、お別れの言葉を言って」って言えますか? 「普段通りにしてた方が嬉しいんだけど」って思いませんか? 仰る通り、自分だったらいつも通り過ごしてほしいと思いました。 私はあの子の生きる力を信じて、必ず少しでも回復させてあげようと、必ず元気なると信じて日々看病していました。 あの日だってそうだったなぁ…と。だからこそ死ぬなんて思わなかったんだなぁと…。 もう死んでしまうな、もうすぐかな、と諦めながらその日を過ごして見送る方がきっと悲しかったと思います。 あの子もきっと死ぬつもりなんてなく、最後まで元気になろうと頑張ってくれていたと思います。 それでもやっぱりあの時、と何度も後悔は押し寄せますが、そうも思えるようになりました。 立派な飼い主だったかは自信はありませんが、17年もの本当に長い長い間一緒にいて、長生きしてくれたあの子は私の誇りです。 大往生でした。 元看護士さんの、具体的な余命や峠は言えない、治療をしていても逝く時は逝く、看取れる方が少ないというお言葉に一番気にかかっていた気持ちも救われました。 飼われていた猫ちゃん、帰宅したら亡くなられていたという事でその悲しみは計り知れません。 もし同じように外出中に亡くなっていたら、もっと辛かったと思います。 在宅中だった事に感謝しなければ、と思いました。 今はまだ後悔や悲しい気持ちの方が大きいですが、楽しかった事や幸せだった事も同時に沢山思い出します。 2匹の猫ちゃんと元気にお幸せにお過ごし下さい。 優しいお言葉に本当に救われました。 ありがとうございました。