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法政大学って1960年代から学生運動が盛んみたいで
法政大学って1960年代から学生運動が盛んみたいですが、何か理由があるのかご存知の方居られますか? 特に今の運動はさっぱり分からないです。
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何故といわれると、1959年に法政大学文化連盟という組織ができたため、学生会館という建物(今で言うサークル棟みたいなもの)が作られ、学生の自治組織がそこを根城として居着いたのが原因なんでしょうね。その後の運動家たちがどう纏まって、散らばって、残っていったかの全貌を知るものは多分いないんじゃないでしょうか…? アングラ思想誌のバックナンバーとかを研究してください。
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noname#131009
回答No.2
1960年といえば、「60年安保」。 「日米安全保障条約」が締結され、それの有効期限が1960年です。 国民は反対しましたが、政治家が継続して締結しました。 現在も、「日米安全保障条約」は締結されています。 何も「法政大学」に限りません。 日本のほとんどの大学で「学生運動」がありました。 いわゆるFランクの大学も同様です。 1970年は、「70年安保」。 「あさま山荘事件」や「よど号ハイジャック事件」が起こったのは、確かこのころだったと記憶しています。
質問者
お礼
参考にします。
お礼
なるほど----。 後私の父は「私立にしては学費が安かったし自由な校風だから、それなりに優秀な学生も入って主義主張を絶えず続ける要素もあったかも----。」と言っていましたが-----。