大阪なおみ疑問しかない
言語はその国を理念を表す最も重要なアイテムである。
一々この件について反論は書き込まないでください。
この件は、厳密に言えばとすれば、実際に答えはありません。
大多数は、一般的に言えば、原則は、言語は、その国を表すには異論がありようがないことは明白である。
もちろん、それでも議論したい人のために、前提を伝えるとすれば、狼に育てられた場合、言語を理解することは生涯がないとする研究結果がある点を突き詰めるとすれば、その子はどの国民か、、、、。
これは、議論する必要があるのか?
ない。この特異な状況はすでに一般的ではないからである。
もちろん、言語が話せなくても、どこかの国で生まれたのであれば、それはその国の国民に他ならない。
しかし、大阪、、、、大阪なおみは、、どうだ?
留学し、一生懸命日本に馴染みたいと願い努力しているベトナム人やネパール人よりも日本語が話せるとは到底思えない大阪、、、別に名古屋なおみでも、兵庫なおみでも、姫路なおみでもいいが、大坂なおみは、本当に日本人かである。
国家と努力は関係ない?
いな、そんな話はない。
スポーツと努力、信念、志は関係ないか?
いな、そんなことはない。
努力や信念、思いは、国家と重要な関係はあるが、金銭や、経済は関係ない。
金で、亡命はできる。しかし、金で国民は買ってはならない。
もちろん、定住し、日本人になるとする精神は重要である。
しかし、国際的な人間になるのであれば、少なくともそれは、世界をまたにかけるとすれば、当然、英語が優先されるのは歴史から見て仕方ない。
大阪の視点は、日本ではなく、日本の経済的な地位を踏み台にし、世界を股にかけることではないか。
つまり、その根底には、アメリカ人としての意思が感じられるのである。
でなければ、なぜ、日本語を死ぬ気で学ばない。
おかしいではないか?
国籍をもち、単にテニスがうまいだけ、、、、。
しかも、その国の言葉をまともに話せない。
悪い人ではない。それはなんとなく理解できる。
しかし、国家という枠組みと多くの犠牲によって成り立つ国際社会において、我が物顔で、国民を思いのままに語るほど資格が彼女にあるのかどうか、疑問である。
経済効果がある、、、確かにそうかもしれない。それは決して政府が考えてはいけないことだと思う。
確かに勝てないが、それでも錦織圭に託すべきである。