宗教に入っている友人について
30代男です。
友人が数年前に離婚して、直後にある宗教団体に入会しました。
もともと、その友人の母親もその団体に入っていたそうです。
私は、元々宗教に感心はなく、ましてや入会することは考えられません。
昔、職場の先輩から、強引な某宗教団体の勧誘され、非常にイヤな経験をした事もあり、宗教団体の活動を否定する訳ではありませんが、私自身は入会はしたくありません。
そういう私の事をよく知っているので、友人も私には勧誘は一切してきません。
ところが、タマに遊んだり、飲みに行ったりすると、近況として宗教での活動の話をしてきます。勧誘ではありませんが、「○○な活動してて充実してるよ~」みたいな感じです。
わたしは「うんうん」うなずいて聞いてやるのですが、なんとなく、そのうち勧誘されるのではないかと思うようになってきました。
勧誘されたら、なんとなく関係もぎくしゃくしてしまうのではないかと思ったりもします。
友人なので信頼はしていますが、彼が年々活動にのめり込んでいるのを見てそう思えてきたのです。
この友人との関係、宗教とは・・・。まだそれほど深刻な悩みではありませんが、
同じような経験されてる方、おられましたら、アドバイス下さい。
お礼
>>自分に関係ないからだよ。 イランの戦争と同じ。 ブラウン管の向こうの話であれば、「ああ、大変だなぁ」以上には思わないのです。 結果、「人間の信頼」という部分でマスストーカーに参加した多くの方々(日本人)と何かすることは生涯ないでしょう。一部で「グレーが大事」という発言をよく見かけるのですが、何か自分へ隠し事をしている人物と関わる、若しくは後だしじゃんけんするような人間とは付き合えないですよ、常識的に考えても。 また、写真~音楽とやっていたこともあって、自分の金玉を日本の芸能系に握られていたんだなと今にして思います(「グレーが大事」は、僕の金玉を握ってるから出てくる発言でしょう)。 最近、日課的な興味対象、好きな異性のタイプとも変わったことで、2020年に入ってから清清しい気持ちでいっぱいです。一方、2010年代は苦しんだなと思います。残りの生涯で誰一人を愛し、どこでどう終えるかなど、年を跨いだ途端ハッキリ見えました。日本への未練は全く無いですね。 ご回答ありがとうございました。
補足
補足的に書かせてください。 (1)「ゼロにいくつ係数を掛けてもゼロのまま」というような理屈を時々見かけ、これ自体は至極正しいのですが、僕の場合はダークウェブ経由で作品を鑑賞されてしまったりするので、不正に「ゼロ」のままなんですよね。 (2)また、青春をとうに終えた爺さんでも何でもいいのですが、そんな他人の「慰み者」になってもしょうがないですよ 笑。そんなやつらのために自分は生きているわけではないので。だから、僕は先に行きます。 (3)最後に、僕は大学もFラン、ゼロ年代はV監をやったりして、ずっと「持たないが故に何かを持ってきた」人間だと自己分析します。現在、日本へ戻った時に会える友人もほぼいません。「持たないが故に持てる(生まれ持った自分の素質)」に注力すると人生パズルのピースがきちんとはまるのですよね。これはつい最近気付いた発見です。また、表現者が認証欲求するのは至極当然と思っておりますが、僕が「持とう」としても環境属性(1)により、ただ苦しくなるだけなので「(日本で)持たない、モテないが故に」幸せになる方向性を突き詰めた方がいいのですよね。 よろしくお願いします。