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この建物の正面からの形・形状は、「善光寺の造り」です。 「愛知県のお寺」のヒントから、私の推測で検索したら、愛知県稲沢市祖父江の「祖父江善光寺」、またの名は「善光寺東海別院」の本堂ですね。 祖父江善光寺 https://www.google.co.jp/search?q=%E7%A5%96%E7%88%B6%E6%B1%9F%E5%96%84%E5%85%89%E5%AF%BA&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwi93tW3yObjAhWPMt4KHaOgANQQ_AUIEigC&biw=1020&bih=627 善光寺東海別院(祖父江善光寺と同じ) https://www.google.co.jp/search?q=%E5%96%84%E5%85%89%E5%AF%BA%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E5%88%A5%E9%99%A2&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjVkYz2yObjAhWNFYgKHefuBckQ_AUIEigC&biw=1020&bih=627 ------------------------- 善光寺と付くお寺の本堂は、たいてい、この建物の正面からの形・形状の「善光寺の造り」です。 「善光寺の造り」代表例を二つ。 ● 長野県飯田市座光寺の「元善光寺」の本堂。 https://www.google.co.jp/search?q=%E5%85%83%E5%96%84%E5%85%89%E5%AF%BA%E3%80%80%E6%9C%AC%E5%A0%82&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjJjL_Ry-bjAhWZdd4KHavjA9AQ_AUIEigC&biw=1020&bih=627 元善光寺の名の通り、仏教が日本に伝わったころ、難波の海から仏像を拾った「善光」は、信濃に運ぶ途中で実家付近に一時安置した場所が、この「元善光寺」と言う場所である。その後、現在の長野善光寺の場所へ移した。 一時安置した付近の地名は「座光寺」という。 このお寺のすぐ近くに、リニア新幹線の飯田駅(仮称)が出来る予定。 ● 山梨県甲府市善光寺(← 注:地名です)の、「甲斐善光寺」の本堂。 https://www.google.co.jp/search?q=%E7%94%B2%E6%96%90%E5%96%84%E5%85%89%E5%AF%BA&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiewZj6zObjAhWOOnAKHQnzCQQQ_AUIEigC&biw=1020&bih=627 武田信玄が、信濃に進出時、善光寺の本尊を移動させて、現在の「甲斐善光寺」を作った。 武田が滅亡すると、善光寺の本尊を織田信長が甲斐から尾張(場所不明)へ移動させて、その後は、豊臣秀吉が京都へと移動させた。 京都での安置の場所は、豊臣秀吉が京都大仏を作った京都の「方広寺」と言われている(諸説あり)が、豊臣が滅亡後、長野へ戻ったと言われています。 京都の「方広寺」とは。 豊臣秀吉が亡くなったあと、「方広寺」の梵鐘に、徳川家康がイチャモンを付けたお寺です。https://www.google.co.jp/search?source=hp&ei=dXdFXe2lDI6A-QbWlqCwCw&q=%E6%96%B9%E5%BA%83%E5%AF%BA%E3%81%AE%E6%A2%B5%E9%90%98&oq=%E6%96%B9%E5%BA%83%E5%AF%BA%E3%81%AE%E6%A2%B5%E9%90%98&gs_l=psy- 「方広寺」の大仏は、豊臣秀吉が亡くなる前後に作っていました。 大仏殿が不審火などで全焼したり、地震で全壊(伏見城が地震で崩壊したのと同じ地震)や、そのほかいろいろな原因で大仏が崩れ落ちたりで何回も作り直したが、結局、大仏殿は出来なかった様です。現在は、大仏殿の跡地だけが見学出来ます。 https://www.google.co.jp/search?ei=8HFFXZrpK9HZhwPU14qIDA&q=%E4%BA%AC%E9%83%BD+%E6%96%B9%E5%BA%83%E5%AF%BA&oq=%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%80%80%E3%81%BB%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%98&gs_l=psy-
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- NOMED
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祖父江 善光寺東海別院 です 愛知県稲沢市祖父江町にあります