あなたは,この友人の本当の気持ちは知っているのですか?
私が文面から想像するに幾つか考えられますが,
例えば,この友人は 上から目線に腹が立った。
「ご苦労様」というのは上からねぎらうときに使う言葉ですよね。
嫌な言い方をすれば,お前等可愛そうなやつに俺等は手をさしのべてやってるんだから,下から どうもありがとうございました。だろうが。
と言っているのか。まあここまでではなくても,突き詰めると俺はボランティア。ということに固執してしまっているパターンです。
似た感情に,古着を被災者に送って,被災者がそれを着ないで捨てたというニュースをみて,ふざけんなと怒る人がいます。無償で振る舞われたひとに対しての蔑みの気持ちからの言葉なら悲しいですね。
もう一つは,単純にこの友人が言葉を知らない。
ご苦労様という言葉が,「苦労をしたね」と言われたと勘違いしている。
まだ若い人だと「ねぎらわれる」ということ自体を時々理解してない人がいます。これは感謝されるべき。自分は楽しんでやっている。という気持ちが優先してしまい,大変だっただろ??実は嫌々やってくれたのだろ?とご苦労様をなぜか捉えてしまい,怒っているパターンです。まあこれは単純にこの言葉を理解できていないだけなので,いつか理解して恥ずかしい思いをするだけですね。
最後に,若い世代に多いのですが,自分の行為は自分で完結している。
ボランティアという自分の為だけの(自分が好きでやっている)行為に対して,
何もその気持ちを知らないで評価をしたり,言葉を掛けたりする事への違和感を,怒りに感じるタイプ。
小学校教育から,あなたの意見。彼の意見。彼女の意見。というのを優先し正解よりも意見を尊重することを重視されてくる環境で育ったヒトに多いパターンですが,自分が楽しく,好きでやっていることを勝手に苦痛だっただろと評価されることは許せない。つまり世間一般論で評価したレッテルを貼られることに酷く違和感と嫌悪感を感じるタイプです。
まあ正直何れもちょっと外れた感じの評価しか思いつかなかったのでご友人には申し訳ないですが,
この人は世間一般論から少しなにかボタンを掛け違えている感じに聞こえてしまいますね。
お礼
器が小さければボランティアなどしないのではとも思いますが、ボランティアをやるには器が小さすぎるのかもしれません。