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本心を言って傷つくか、それとも適当にやりすごすか?
私の最大の長所でもあり短所でもある「素直さ」についてです。 私の中の「素直」というのは自分の感情に正直ですとか、人の話や情報に同化しやすいなどの定義があります。もちろん人を傷つけてしまうこともありますし、逆に傷つくこともあります。また人の話をそのまま信じてしまいあとで後悔するとか、人の意見に流される、逆に良いことなどは自分の糧として消化しやすい面もあります。 でも私自身いいかげんこういう私にうんざりしてます。 社会に出るとこうした「素直」さが最もやっかいなものになるのです。仮面をいくつ被ってなんぼ、食うか食われるか、の社会では私のように素顔でいたい人間はとてもやっていけません。現に今仕事を辞めて引きこもっています。 また学生時代からこの素直さがいじめの対象としても扱われてきたことにもよります。これは周囲も認めるところでもあります。でもやはりどう転んでも、自分の中では「悪いことは悪いとはっきりさせたい」気持ちや「皆はお互いのことをあまり誉めないようだけれど、私は素直に誰も認めてあげない○○さんの良いところをはっきり言ってあげたい」などの「そこではだれも言えない」「言いずらい」というその場の雰囲気やら風潮に逆らわずにはいられません。あと自分が面白いことを言って周囲を笑わせる芸人のような「素直」さについても同じです。言葉で言えないとき態度で示してしまいます。これはもう、小心者以外のすることでしかないと思いますが。まあこんな自分もいやです。 これからは「素直」をコントロールすべきでしょうかどうでしょうか?また皆さんは自分の中の「素直」と「素直ではいられずらい場所やシチュエイション」とどのような折り合いをつけてらっしゃるでしょうか? よきアドバイスをよろしくお願いします。
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- kevinkun
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#4です お礼ありがとうございました。 私の回答は、相手の気持ちを思いやって気を使いながら書くと言うものでなく、ストレートにポン!と書いてしまうので投稿した後に気を悪くさせてしまったかな?とちょこっと反省ばかりなので少しホッとしました。 分かっていながらできないのは、これこそ素直ではないみたいですね。 質問者さんは、多分何事も真面目に考えてしまう方なのでしょうか。 誰が見ても悪い事、例えば電源を切ってくださいと言われている場所で携帯を使用したり等、それを指摘できるのは「素直」というか「勇気」です。 でも、マナーモードでお使いくださいと言う場所で「それでも電源を切るべきだ!」とそれを皆に押し付けるのは「素直」ではないですよね。 (質問者さんがそうだと言っているわけではありません) >人と違う考えの人を認められる人ってそうそういないのではないでしょうか そうだと思います。 例えば、霊など存在しないと思っている人。 だけど、存在する!と信じている人も認められる人。 そんな人は(素直ではなく)心が広いというか、大人というか良い奴だなと思います。 だから自分もそうしたいといつも思っています。
- ebisu50
- ベストアンサー率22% (100/444)
こんにちは。 お年が分からないのでなんとも計り知れないのですが、 お若い方のような気がしましたのでそのつもりでお答えしますが、素直というよりは「我が強い」「幼児性が残る」「身勝手」という表現のほうがあてはまるような気がします。人と向き合うことは当然のように自分の意見が通らない場合や、納得しなくてもその場では従うことや、やり過ごすことが疲れず普通にしなければならない場面が多々あります。特別努力しなくても普通はそのような身の振り方を家族や友達など身の回りの人間関係の中で自然に身に付けていくものだと思います。 自分勝手な人はたくさんいます。特別年齢は関係なく いろんな年代に散見しますが、やはり、一般的な世間で暮らすにはそのような普通さが求められることと思います。まれに先ほど触れた「我の強さ」などを逆手にとって芸能界で出世する方もいますが、一般的ではないような気がします。お気を悪くされたらご容赦を。
お礼
こんにちは! 私がここで問いたいのは「人の気持ちを考えない自分」や「TPO」をわきまえない自分というのではなく、一般的に反社会的な言動をするというよりは、逆に自分に害を及ぼす人に対して同調しすぎてしまうというきらいがあるということです。またもっと輪郭を大きくしてみると例えば「自分の生き方」は自分の望むようになっているか?というようなことです。「身勝手さ」と言われたことに気を悪くしているわけではありませんが(こういう意見が返ってくることは予想していました)。私も言葉の選択が間違っていたようです。でもご回答者様のおっしゃることは一般論的には最もなことです。ありがとうございました。
- honu
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frauさんを否定するつもりは全くありません。この少ないやり取りで分かったような事も言いたくありませんが、あなたのおっしゃっている「素直さ」は少々使い方が違うと思いますよ。 素直というのは、コントロールするものではありませんし、漢字の通り『ある既成の物事に対し実直になれる事』ですから、本来は長所以外の何モノでもないと思います。人の言う事を信じて傷付くのは、素直だからではなくて、「もしかしたら嘘かも知れない」という判断基準がないだけです。それを一度経験できたら、今度は事前に身構えられますよね?逆に人を間違って傷付けた場合は、相手から文句が出たり、嫌な顔をされたり否定的なリアクションが帰って来るはずです。そうしたら、これは良くない事なんだと認識して、二度とやらないようにすれば良いだけの事です。みんな経験した上で自ら行動しているだけで、素直さのレベルの違いではないですよ。 じゃあ、二度三度と同じように傷付いたら?― 人は配慮して「素直すぎる」と言うかも知れませんが、どちらかと言うと「バカ正直」だと思います。
お礼
こんにちは! 確かに私は「バカ正直」です。これは認めます。嫌な経験に対して何度も遭遇するのは素直だからではなく単に学習能力がないだけです。ただ >本来は長所以外の何モノでもない 素直さについては、だいたいの人はそれをバカにする風潮がこの時代あるような気も否めません。例えば素直に喜ぶべきところを恰好つけたり、素直な感情表現をする人を小バカにしたり。これは私自身の経験からもいっていますが、笑ったり泣いたりする場(もちろんその場のTPOを考えた上で)でどうも自分の感情を無理に抑えている人もいますが、そういうタイプの人と対極にいる者としてこのことも考えている、ということです。 ありがとうございました。
- n_kaname
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間違ったことや、納得のいかないことに対して言葉にするための素直は良いと思います。 けれど、人を傷つける<素直>は素直の皮をかぶった<わがまま>ではないでしょうか。 素直だから何を言っても、何をやっても良いことにはなりません。ものには限度というものがあります。 素直と、正しいのは別のものです。 傷つける気がなくても感情のままに言葉にしてしまったとき、それが本当に正しかったのでしょうか?あなたには正しくても、周りから見たらそれは異端で間違っているのかもしれません。 間違ったことに同調せよと言うことではなく、自分自身の正当性を少し疑ってみるべきではないかな?人混みの中で煙草を吸う人も、電車内で携帯を使う人も自分自身を少しもおかしいと思っていません。自分が間違っていないと思っていても、人に迷惑がかかることだってある。 自分の感情を第一に考えるのではなく、相手がどう思うかどう感じるかを考えて、そしてそれを受け入れた上で自分を融通していくことが本当の素直ではないでしょうか。
お礼
こんにちは! 素直には様々な事が凝縮されているのですね。それをどういう場でどう引き出すかが、大人として人間としてを問われるのでしょうね。ありがとうございました。
- kevinkun
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素直な人というのは、自分と正反対の意見にも「それは違う!」と言い張ることではなく、「そういった考えもあるんだ」と認められる人の事です。 あなたの言う「素直さ」はちょっと違うと思いました。
お礼
こんにちは! 人と違う考えの人を認められる人ってそうそういないのではないでしょうか??それは自分の考えを持っていない人と、持っている前提で認められる人もいますが、そういう人は中立な立場でいられる人ですよね。また「どちらかというと」という比較を問われたときやはり確固とした自分の意見も持っている人だと思います。また中庸というものは「相反するいずれか」が存在していると思います。ありがとうございました。
- Syo-ya
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「素直」とか「ありのままに」とかも、なんでも言い訳ではありません。 正直・素直と、言いたいことを言う、やりたいことをやるのは違うんです。 人間というのは、自分が経験したことしか判らない生き物ですから、その視点が全てだと思い込みますし、その視点に支配されて言動をしてしまうんですが、み~~んな「境涯」というのは違うんです。 例えば、自動車の運転でも、運転席と、すぐ隣の助手席では雲泥の差があります。 自転車だって、漕ぐ人の立場と、後部に座っている人では、まるで違います。 これは両方の立場を経験していないと、相手の気持ち、立場が分かりませんから、言いたいことを平気で言うんです。 自動車の運転はしますか? 助手席の人と、1mも離れていませんが、まるで、境涯が違うんです。 これは説明しても無理なんです、自分で体験するしかありません。 で、素直さが原因で生き辛さに発展しているということは、やはり、こういう部分での「理解」「共感」「気遣い」「配慮というの足りていないからだと思います。 もしかしたら貴方の親が、こういう性格で、お母さんがお父さんに対して言いたいことを言ってたのかも知れませんし、家庭の影響があるのかも知れませんが、できるだけ、本をたくさん読むとかして、できるだけ考えて、感じることが、自分の勉強にもなるし、反応を変えていく原動力にもなると思います。 あと「もし、自分が逆の立場だったら?」を考えることも大切です。これも奥が深いですから、一生勉強です。
お礼
こんにちは! 車や自転車に例えられた視点の違いについてはわかります。私は車を運転しませんが、実際上のことでなくてもそれはわかります。 ただ運転席と助手席、前と後部座席に乗る状況の違いはあってもそれが即「理解」「共感」等のなさ、つまり相手の気持ちにわからないことに繋がるのでしょうか?人生の上ではその立場が逆転することもあるかもしれませんし、そうなった場合、運転できない者の気持ちは運転できる者にはわからないかもしれません。確かに私はすごく生き辛さを感じていますが、生き辛い者の気持ちは「理解」「共感」できるし、よって「気遣い」「配慮」へ繋がります。また私の家庭環境ですが、まったく逆です。どちらかというと一見関白亭主的な父に静かに従う母という図式の本当のところは、お互い全く平等な立場で尊重しあっています。両親からは子である以上多大な影響を受けていますが、彼らとは性格は似ていません。また一番の趣味は読書です。ありがとうございました。
- dd44
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なんだか、「素直がいい」と言うことを信じ込んで、自分自身をかえって「素直さ」「正直さ」で縛りつけていませんか?「素直だから自分が正しい」と判断が必要な場面でいい訳にしていませんか? 「正直」への盲信はある意味宗教みたいなもんだと思います。常に素直がいいなんて嘘ですよ。 もちろん、人に信用されるためには、素直正直で無くてはいけないこともあります。けれど時には、他人を守るために嘘を引き受けることも必要ですよね。大事にしたい相手を守るためには、自分が傷ついてでも嘘を言うことも必要だと思っています。 大人になると言うことは、ただ素直、正直であるのが必要なのではなくて、それが嘘であれ本当であれ、自分で判断し、その行動の結果を背負うことだと思っています。 素直だから許される?そんなことはありません。
お礼
こんにちは! 大人にとっての素直さの意味なども、「素直」という言葉をそれこそ「素直に」読んではならないということですよね?大人になって直面する様々な出来事に対し、あるときは既成概念を転じさせることも必要ですよね。そうすれば言葉の意味も様々なものになる。大人にとっての「素直」って難しく責任も生じることだと思いました。ありがとうございました。
- juzube
- ベストアンサー率43% (149/341)
「素直」ということは、人生でとても大事なことだと思います。素直でない人は、人間として成長することができないんじゃないかと思います。 が、それはやはり、相手や状況に応じてコントロールされてこそ、真価を発揮するものと思います。 素直に言う、行動することが、相手の迷惑や自分への害になるのなら、その素直さは、何も生みません。 いくら相手のいいところを褒めたいと思っても、時と場所をわきまえなければ、相手も困ってしまいます。それをなんとかしようともがくと、自分も困ってしまいます。結果、社会不適応、ということになってしまうのです。 そうなると、素直さは、わがまま、のようにとらえれられてしまいます。 私はそうならないように苦労して、意図的に「多重人格」になりました(笑)。 いろいろな自分がいるのです。その自分、一人ひとりを、時と場合にあわせて取り出し、その自分が素直に喋り、行動するのです。 もちろん、これで万全、ということは決してありませんが、自分が多種多様な価値観、考え、感情をもてるようになる(つまり、いろんな自分ができるようになる)と、いろんな状況に対して、素直に対応できるようになります。 例えば、年上の人達を相手にした接待。 そのときは、仕事をうまく進めるためのノウハウをいろいろ知っていて、年下の分をわきまえた自分を取り出します。その自分が、素直に喋り行動するのです。だから、自分に無理はないし、相手も気分良く接してくれます。 こう考えれば、素直でいることに、どこにも無理はありません。「仮面をかぶる」必要などありません。そうではなく、自分を広げるんです。 なーんて、それで人間関係、万事うまくいく、なんてことはないですし、そうなるのも難しくて、ちゃんと上のように私ができているとはいいません。 でも、素直でいることと社会に適応することは、別に矛盾することではないということを考えて頂ければと思います。 そんな風な考えをもって、いろいろな人に出会い、無数の人の気持ちや考えを推し量り、取り入れ、咀嚼することで、ずいぶんと私も社会に適応できるようになりました。 子供のころから人目を異常に気にし、ストレスでへろへろになってましたし、社会人になっても人間関係のストレスで神経症になり、この八年ほど、フリーで働いているんですけどね。 でも、長期にわたる、真綿で首を絞められるような関係でなければ、人間関係にはほとんどストレスを感じないようになりました。だいたい25歳くらいからそんな感じになったかなあ。 だいたいからして、本当に、愚直なほどに素直な人は、あまり社会と対立しません。自分もあまり苦しみません。私は、「ひねくれた素直者」なのでしょう。 そうならば、やはり、いろんな自分をつくった方がいいと思うのでした。 素直さは、押し殺したり消さなくていいんです。そうしちゃいけません。そう思います。いろんな場面で、自分の素直さがイキイキと発揮されるような人間になれればいいんですよね。 などという体験を踏まえまして、書かせて頂きました。なにかしら参考になれば幸いです。
お礼
こんにちは! 「多重人格」。私もこうした表現方法を考えます。万人それぞれ個性がありそれでも成り立っているのが社会ですよね。そこで自分がいかに埋もれないようにするか。そこで意図的に身につける、また自然と身につくのがこういう適応性かもしれません。でもそれが私には最も難しいのです。よく「相手をみて行動する」「相手による」などいう人がいますが、ちょっと調子いいんじゃない?!と思ってきましたが、あなたのようにそれが自分の中の素直さからの表現であるという場合もあるのだなと、ひとつ勉強になりました。 自分の気持ちに正直であることは健全な自分でいられる条件ですが、そのままでは(つまり少しのアレンジもなければ)逆に相手からの情報を引き出せないという結果にもなるのではないか?と最近思ってきた次第です。参考になりました。ありがとうございました。
お礼
こんにちは。 ご回答ありがとうございます。 そうですねーおっしゃるとおり私は肩がこるくらい「マジメ」です(笑)。 私も自分の意見を押つけてしまうきらいがあるので、頑固な自分のままでも、相手の考えを少しは柔軟的に捕らえられていきたいと思っています。