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あの頃のまま
- あの頃のままの風景に感動
- 昔の人気ブランドや施設がなくなり残念
- 大学の敷地内は時間が止まっている印象
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isokenさん、こんばんわ お題は、>あの頃のまま なんですけど、 冒頭の一文で思うところあり、、 >バッシング されこそすれ、閉じ込められた イノシシ君達ほどに、同情も関心も高まらない某ジャーナリスト・・ 私もあまりニュースでも見てませんし、あまり騒がれてもいませんね。 某ジャーナリストさんのことは殆ど知りませんが、少し不思議で、不可解な印象はあります。同情も関心も高まらないのは仕方ないとして、ただ、しかし、バッシングというのは、とても違和感を感じます。 いや、今回バッシングされてるのかどうか、よく知りませんが‥ ひと昔前、「自己責任論」が吹き荒れたことがありましたね。。 私がずっと感じていた違和感を、ちょっと聞き流してください。。 貧困地域、紛争地域に行くボランティアも、ジャーナリストも、本来、不幸な人達を助けたいという、立派な志を持った人達ですよね。 警告を無視したとか、状況判断が甘いとか、莫大なお金が動いたとか、迷惑をかけたとか、態度が悪いとか、、そりゃ色々言われることはわかりますが、 でも、人様に迷惑を掛けない代わりに、自己(自分と自分の身内など)の幸せだけを追求して生きてる善良な?小市民、自己保身だけの人間が、彼らを「自己責任」だと批判する権利はない!!と思うのです。。 私は、「自己責任論」というのが、どうしても好きじゃなくて、文章が下手で、伝わらないかもしれませんが、すみません。^^; ところで、お題の>あの頃のまま 教会というのは、不思議とそうですね‥ 私も小中高カトリックだったので、教会は懐かしく、タイムスリップします。 校舎も建て替わったり、学校は懐かしくもないのですが、でも、教会だけは、時が止まったようにあの頃のままです。。
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- 5mm2
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isokenさん、こんばんは。 ここ名古屋には、10数年前に来たので「あの頃のまま」と言うほどの感慨はないのですが、PC横の窓際にある、新婚旅行のニュージーランドで撮った写真は、その時と全く変わっていません。 自分でも信じられないくらい若くて良い男が、妻と仲良さそうに写っています。 故郷に帰ると、あのころ有った、家の周りの靴屋や旅館やスナックや炭屋もみんな有りませんが、唯一角地にあるお地蔵さんの小さな社だけは、昔と全く変わってなかったようです。 そして、そこで遊んでたガキ大将たちと、一緒に遊ぶ思い出の中の僕も、少しも変わってないです。 信仰心の力と、人間の心の底にある良心も、変わらないのかも知れませんね。
お礼
5mm2 さん、こんばんは。 >ここ名古屋には、10数年前に来たので「あの頃のまま」と言うほどの感慨はないのですが、PC横の窓際にある、新婚旅行のニュージーランドで撮った写真は、その時と全く変わっていません。 自分でも信じられないくらい若くて良い男が、妻と仲良さそうに写っています。 名古屋の事は正直 よく知らないのですが、今や日本を支える元気印ですよね、中日ドラゴンズ こそ低迷しておりますが、経済界では トヨタ が、そして 仁侠界では 弘道会 が頂点に上り詰めた。 それはそれとして、新婚旅行は ニュージーランド でしたか、いいところなんでしょうね・・きっと、家内と オーストラリア には行きましたが ニュージーランド には行けなかった、この先も恐らく行く機会は無いだろうと思います、妙に腰が重くなっちゃいまして。 それより何より、国内で行かねばならないところがたくさんあり過ぎまして、実は 天橋立 も 伊勢神宮 ・ 熊野古道 もまだなんです、京都にももう一度行きたいし・・、家内なんて九州すら行った事がありませんから、 別府 や 湯布院 に連れてけとまあ煩い事。 5mm2 さん御夫婦は、本当にあっちこっち行ってらして羨ましい限り、何より現在進行形というのに驚きます、奥様幸せですよね。 さて 別府 はうちの両親の新婚旅行先でした・・約60年前の事、何年か前 再び フルムーン で参りましてね、感激しておりました、ただもう無理でしょう、二人共身体が弱りましたから。 もう一件頂いている回答のお礼は、また後ほど。 回答ありがとうございました。
- ミッタン(@michiyo19750208)
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isoken大センセお邪魔します >あの頃のまま・・って ありますか? それは私です 実は、女子短時代の夏休みに初めてスキンヘッドにしたので、今は人生2回めの坊主なんです 最近の友人・知人は何も言わないんですが、昔からの友達は「変わってないねー」と言ってくれます あと、昨日のことなんですが、isoken大センセの先輩になる市長の誕生日でして(シルバーマン先生のあの彼です)メールをやり取りしたんですが、「ダスキン多摩センターにドキッとします」と申し上げたところ「変わってないねー」って言われてしまいました!!
お礼
ミッタン、こんばんは。 >実は、女子短時代の夏休みに初めてスキンヘッドにしたので、今は人生2回めの坊主なんです これから 坊主頭には 少しばかり辛い季節ですよねぇ、たまには伸ばしてみたら? >あと、昨日のことなんですが、isoken大センセの先輩になる市長の誕生日でして(シルバーマン先生のあの彼です)メールをやり取りしたんですが、「ダスキン多摩センターにドキッとします」と申し上げたところ「変わってないねー」って言われてしまいました!! 確か市長さん、阿波踊りか何かで揉めてましたよねぇ、もう解決したのですか? ところで 桑田さんと同年と言う事は、市長さんは5つ上の先輩なんですけど、思えば 高3の時にヒットした 「 勝手にシンドバット 」 が、人生を決めちゃった感がないでもないのです、あそこって お洒落だし 姉ちゃんは綺麗だし うちから近いから 「 いいじゃん ! 」 って。 回答ありがとうございました。
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
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小学校のクラス会が2年ぶりにありました。 えっ!2年ぶり・・と思うかもしれませんが 実はほとんど毎年やっているのが我がクラス会なんです。 先生もご健在で必ず真っ先にいらっしゃいます。 私は大人しく目立たなく何処のクラスにも1人はいる いるのかいないのか判らない女の子でしたので 皆さんの記憶に残っていることはあまりなさそうでしたが こう毎年クラス会があるとすっかり今は覚えられてしまっています。 そして特筆すべきことは卒業して〇〇年を記念して 「想い出の〇〇小学校6年〇組」という本を出したのです。 「まったく今頃になって宿題が出やがった」という御人も いらっしゃいましたが、何年か前見事完成いたしました。 文章はお得意の先生がいらっしゃいますし、 イラストは結構有名なプロの方もクラスにいて 又出版費用等は社長が10人くらいいるので お金の心配もなくでした。 (閑話休題) さて某ホテルのクラス会 夫々に歳を重ねて外見も様々になっていますが そこへ入ると 「あっ!」という間に小学校時代に戻ってしまうから 不思議ですね。 みんな・・・ あの頃のまま でした。 「あっちゃん」「げんさん」「きんごろう」 「お嬢様」「小次郎(これは佐々木さんだから)」ect 懐かしく幼い頃の想い出そのままです。 窯を作って素焼きをしただの ウサギの世話をしただの 「あの人来ないけれどどうしたのかな」 そう、小学生時代そのもの 本当に あの頃のまま 変わらないですね。 オチャッピ-はオチャッピ-のまま 親分は親分のまま 美人は美人のまま 大人になっていましたけれど 結構タイムマシンに乗ったようで 楽しかったです。
お礼
purimuro-zu さん、こんばんは。 人生の半ばを越えて、昔の友人達と語り合える境遇って悪くないですよね、皆さん それなりに幸せな証拠なんでしょう、きっと。 ところでこの私目 小学校は地元の区立に行ったのですが、仲が良かった男連中は殆ど地元から動いていない、どいつもこいつも小汚い顔をぶら下げて、昔馴染みの小料理屋かスナックで飲んでますから、その気になればいつでも会えちゃう、改めて同窓会を開く意味がないのです。 その点 女性の一生はドラマがありますよねぇ、名前は変わるし住所も変わる・・勿論 ルックス もそう。 いつだったか、青果店の親父と立ち話をしてましたら、 「 isoken 君、変わらないわね 」 ・・と、後ろから気安く声を掛けて来た御婦人がいまして、こっちは当然分からないから 「 失礼ですけど ??? 」 と尋ねましたら、 「 いや~ね~、忘れたの?、 XX子よ 」 ・・だって。 お子さんを連れて 実家に里帰りだったそうで、相も変わらず 地元に居座り続けていた私としては、妙な感慨に耽ったものです。 >オチャッピ-はオチャッピ-のまま >親分は親分のまま >美人は美人のまま >大人になっていましたけれど >結構タイムマシンに乗ったようで >楽しかったです。 いやいや 何十年振りで聞いただろう 「 オチャッピ- 」 って言葉・・、子供の頃は使ってましたねぇ、どのクラスにも1人や2人 必ずいたもんです。 私のクラスメイトで 且つうちのお袋さんの友人の娘が、とんでもなく オチャッピ- でした、それが結婚して子供が出来るや、一転 凄い教育ママになったっていうから面白い、今もうちの近所に住んでますよ。 回答ありがとうございました。
- nijjin
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子供の頃遊んだあの頃のままの水田が今も近くにあります。 そして今年もお米を作ってましたね。
お礼
nijjin さん、こんばんは。 >子供の頃遊んだあの頃のままの水田が今も近くにあります。 >そして今年もお米を作ってましたね。 随分と食習慣が変化し 米への依存度は低下しても、やはり 日本人にはお米ですよねぇ、パンや麺類ばかりじゃ力が入らない事夥しい、米と味噌汁そして醤油こそが我が民族の アイデンティティ ではないでしょうか。 回答ありがとうございました。
- 雷 むぐちょ(@raimugurin)
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おはようございます 周辺で、あの頃のまま・・ 4~5歳の時に母方の実家に戻って50年 見渡せば、田んぼ、桑畑、防風林の緑溢れる田舎でしたので 50年・・あの頃のまま・・殆ど残っていませんねぇ 団地、工業団地、住宅街、上武道路開通・・ 後から知った2人目のお爺さんはオラが3歳位の時に他界 お婆さんが、今で言うクモ膜下出血で倒れ、実家に入り 長女母、叔父と裏の竹林を切り開き、全く同じ形の小さな 18坪の家を、横に並べて建てました。 30歳の時に母、父他界を期に31歳で38坪の2階家に立替 隣の、残された叔母は2年程前に娘さんの所に行き、ほぼ空家 状態になっていますが、家屋は当時のまま残っています。 裏にある神社の周りの木々は切り倒されましたが、建物は 文化遺産?となって、そのままの形で残っています。 クワガタ・カブト虫が、たっくさん(≧∇≦)/取れた森 蛍・沢蟹・どじょっこだぁ~のふなっこだぁ~の・沢山居た 小川・・ケンさん固まる小さな恐竜、蛇も激減り・・ 極周辺の全ては、 ほぼ人の手が入ってしまい(・・)54ねん・・。 今日は叔父の三十三回忌 に、これから出席します 月日が経つのは、はえーなぁ (r・ん・g)/?裏に見えるは赤城山変わらないなぁ
お礼
虎ちゃん、こんばんは。 >見渡せば、田んぼ、桑畑、防風林の緑溢れる田舎でしたので 50年・・あの頃のまま・・殆ど残っていませんねぇ 団地、工業団地、住宅街、上武道路開通・・ 関越道が全面開通して以降のグンマーは、関東と北陸とを結ぶ交通の要衝、首都圏の ヒンターランド に生まれ変わりました、今だったらどうだろう・・空いてれば 前橋・高崎 から 都心まで、 関越 ~ 外環 ~ 首都高 経由で1時間半ぐらいでしょう。 その後 上信越道・東関東道が開通して益々その利便性が高まった、いや 便利な時代になったもの、草津 に 伊香保 他・・我々にとっても、群馬県の名湯が凄く身近に感じられて本当にありがたい、急に思い立っても行けますからね。 福田さん ・ 中曽根さん そして 小渕さん・ 福田ジュニア・・と、こと インフラ整備に関しては、短期間で立て続けに総理大臣を輩出したのが大きい、ただ反面 虎ちゃんが書いておられる環境の変化はその裏返しでしょう。 >30歳の時に母、父他界を期に31歳で38坪の2階家に立替 隣の、残された叔母は2年程前に娘さんの所に行き、ほぼ空家 状態になっていますが、家屋は当時のまま残っています。 亡き御両親に代わって 一家を支え続けた・・、一体どれだけの人に出来るのだろうか、これは口で言うほど簡単じゃないのは痛いほど分かるのです、大変僭越ながら 胸を張り誇って良い事でしょう。 >クワガタ・カブト虫が、たっくさん(≧∇≦)/取れた森 >蛍・沢蟹・どじょっこだぁ~のふなっこだぁ~の・沢山居た >小川・・ケンさん固まる小さな恐竜、蛇も激減り・・ 大自然に囲まれた生活・・癒されますよねぇ、ただまあ 蛇は困るけど。 さて 赤城山 も今や紅葉の盛りでしょうか、あの辺りには 榛名山 ・ 妙義山 という名勝もある、いや 羨ましいほどの環境ですねぇ。 回答ありがとうございました。
- 沢野 智(@byufwo)
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この自転車屋かな。 でも、ごく最近無くなったみたい。
お礼
byufwo さん、こんにちは。 >この自転車屋かな。 >でも、ごく最近無くなったみたい。 蔵前橋通り に沿って平井大橋を渡り、側道に入って右折した先が新小岩駅、直進して左折し 暫く走ったその先こそ 「 姓は 車 ・・名は 寅次郎 」、そうあの 葛飾柴又 ・・、あの辺りはチョイとばかり詳しいんです。 それにしても 柴又 は変わりませんねぇ、ことに あの参道は寅さんの時代とちっとも変わってない、まさに あの頃のまま、いや 懐かしい。 回答ありがとうございました。
- double_triode
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身近ではなく,いっぺんしか望遠鏡で見たことしかありませんが, 北方領土。
お礼
double_triode さん、こんにちは。 >身近ではなく,いっぺんしか望遠鏡で見たことしかありませんが, 北方領土。 満州・樺太と同様、北方領土にはロマンを感じます、下品な商業右翼には引っ込んでもらって、一刻も早い返還を御願いしたいですねぇ、国益云々よりむしろ精神的なものとして。 回答ありがとうございました。
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お礼
adele さん、おはようございます。 お礼が遅くなりました、申し訳ありません。 >同情も関心も高まらないのは仕方ないとして、ただ、しかし、バッシングというのは、とても違和感を感じます。 >いや、今回バッシングされてるのかどうか、よく知りませんが‥ >ひと昔前、「自己責任論」が吹き荒れたことがありましたね。 adele さんが仰るのは、後ろで kamejrou さんが触れておられる、3人のイラク人質事件であると察しますが、あの時は 虚実入り混じった恐ろしいほどの人格否定の嵐が吹き荒れ、その余波は御家族にまで及んだと記憶しております。 確かに 薄っぺらい 自己責任論 というものには、本来は同様のスタンスを取る私ですら、幾許かの違和感と嫌悪感を感じずにはおられない、もっと論理的 且つ 品良く語れないものだろうかと。 そもそも 人の情として本来あるべきは、 adele さんが言われる通りでしょう、その行動が及ぼした諸々とは切り離して、何故 彼そして彼等が無事であった事だけを素直に喜べないのか・・。 以上を勝手に結論付けちゃいますと、情報が氾濫する 「 自己完結型 ネット社会 」 の大きな弊害・・、つまり 自分好みの偏った報道のみを取り込む習性がある上に、それを 自分の意見として アウトプット する能力が無い、情という部分も見事に欠落していおりますしね、その点は 自己責任論 の高まりと無縁ではないと感じます。 他方 今回の事件を考えますに、ジャーナリズム の大義 或いは 個人・報道の自由とは一体何なのか?、そしてそれは 生命の尊さ や 国益 その他諸々をも超越するものなのか?・・、 幾重にも折り重なった相反する事象のせめぎ合い、恐らく未来永劫 答えが出ない 難解なテーマなのでしょうが。 ・・とまあ 以上を大前提にしつつも、以下 バッサリと切っちゃいますが、 彼の独善が、御自身の尊い生命を危険に晒し、且つ 家族を絶望の淵にまで追い詰め、あまつさえ 多くの人をして余計な奔走をせねばならない事態を招いた事のみならず、必ずしも国益に沿わない結果に終わった事を、解放後の彼の言動から察するに、果たしてこの人はどこまで理解しているのやら・・、 ジャーナリズム の使命とはそれほど重い物なのか、そう懐疑的にならざるを得ないのもまたその通りなのです。 例えば 少なくとも今度の一件で、我が日本政府は カタール ・ トルコ 両国に、決して軽くはない オブリゲーション を負った形になりました、何しろ 国家間に発生した 義理 というものは、案外と高くつく事が少なくない、既出のイラク人質事件の裏で、今回を遥かに上回る巨額の金が動いていたと噂されたように。 故に個人的には、 身代金の拠出 断固拒否や 自衛隊の撤退不可という、政府の方針を全面的に支持します、極論すると 大多数を守る為に若干異端の少数を切り捨てるのは、為政者としてあるべき姿だと私は思う、テロの継続や新たな犠牲者を生むその原資とさせない為にも。 そもそも 誘拐する側にとって、ジャーナリストも民間も区別はない、何等かの要求を受ける側も同じ・・とするならば、その為にあるべき姿は、政府・民間・NPOボランティア・プレス関係・・等しく同じであらねばならないのではないでしょうか。 グローバリズム だ何だと言われる昨今ですが、結局 人間の所属単位は国家に帰結するのですから、一歩でもこの日本列島を離れた瞬間から、我々は日本という看板を背負っている事を忘れてはならない、お叱りを覚悟で申し上げれば、仮に 安田さんが日本人ではなく、外電のベタ記事にすらならない小国の民であったとして、果たして カタール 政府が仲介の労を取ったであろうか、答えは恐らく 「 NO 」 であろうと・・。 >教会というのは、不思議とそうですね‥ >私も小中高カトリックだったので、教会は懐かしく、タイムスリップします。 >校舎も建て替わったり、学校は懐かしくもないのですが、でも、教会だけは、時が止まったようにあの頃のままです。。 クリスチャン ・ カトリック・ ・・何て素敵な響きなんだろう、子供の頃はそう思ったものです、ただ 実際 その境遇に身を置いちゃうと、不信心な私には面倒臭いんですよねぇ。 うちの学校に、 キリスト教概論 という必修科目があったのですが、 マタイ伝 ・・云々と聞くだけで睡魔が襲って来ちゃう私には酷な時間・・、結局 4年生にもなって、 1年坊主と共に講義を聴かねばならない羽目となりました、35年前の話です。 もう一つ回答頂いておりますが、それお礼は またのちほど・・。 回答ありがとうございました。