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人を信じるという事
- 人を信じるという事について疑問を抱えています。ツイッターで馬鹿にされ、信じられない出来事に遭いました。それがトラウマとなり、人間関係を壊してしまいました。
- 私は貢ぎ続けた人に傷を負わせましたが、同時に償いの気持ちもありました。しかし、相手の言動に疑いを感じ、信頼することができませんでした。
- 私は感謝することができなくなってしまったのでしょうか?それとも元々利用されていたのでしょうか?人間不信になり、助けを求めています。
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人を信じる、信頼するという事はなかなか難しいですね。そこに利害関係が発生するならば、尚の事難しくさせます。 >私は「ありがとう」と言われても、本当に素直に感謝しているのか?という疑問が常についてまわります。 >人は腹のなかで何を考えているかわかりません。 だから、深く信じずにいる。全面的に信頼しないでいる。そのバランスを自分が壊れないように考えて、とっていくのです。失敗もたくさんあるでしょう。それは成功のために必要なことです。というか成功とか失敗とかは勝手に思い込むだけで、結果のみがあるだけの事なんですよ。 貢いだ女性は悪く言えばあなたからお金を引き出すには何をどうすればいいのか、自分に気があるので利用しようと思うけど、気持ちには答えないし、近づかれるのは嫌。そういう感情で接していたのだと想像します。 さっき書いたようにバランスは自分で決めるしかないのですが、彼女の何を信じて、何を疑って、お金を出した事を筆頭にやってあげたことを一切後悔しないようにバランスを保って接するようにしないといけないのだと思いますよ。バランスが崩れたから、全てをぶつけて関係を壊したんだと思います。 人間不信になるような状況だったのでしょうが、そんなに思い詰めず、ある意味人は化かし合いで生きてるんだから、騙された、後悔した、という感情が出ないように賢く上手に行動していこう、と考えるべきかと思います。 彼女との関係が間違った、失敗した、とお思いのように見えますが、さっき書いたように単なる結果であって、気に病む必要はありません。成功失敗がどうしても気になるなら、後々自分が幸せになって、あああれも成功のための出来事だったんだな、と思える人生を送るようにしてください。
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- kurione
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何かで読んだのですが、ある県民性の話。ある人が心の底からその人にとってとても良いことだと信じて行動した。でも実際はその人にとって余計なお節介でありありがた迷惑。でも断ると悪いと思ってありがとうといい受け止める。そうすると ある人は、ドンドン踏み込んでくる。いやー待って、もういいもういい。そうするとある人は言った。「人がこれだけ努力してあげているのに何!」ある人は周りに あの人は信用出来ない裏表がある人と言いふらす。どう思いますか?私はこんな人達とは関わりたくない。でも実は私はその県出身です。そして思い当たる節があります。大学時代、親友ともめました。相手への過度の期待。いつの間にか「俺が気を遣ってやっているのに、お前は何故そこまで図々しいのか。」当然、逆切れされました。前置きが長くなってしまいましたが、こんな私がいうのもなんですが、信頼とは自分が信頼したいと言う願望であって所詮、押しつけなのです。概ね自分の期待通りの反応が返ってくるかで信頼に値するかどうか決まる。相手が異性の場合はややこしい。期待通りではない反応、反発されたとき・・最初は裏切られたとは思いたくないので自分に納得できる理由を探す。次は自分の無償の行為に対して、何なんだ。感謝?の心はないのか?あれ?無償だったはずじゃあ・・・・・そして自分の正当性を考える。あの時も、あああの時も裏切られた。(許したはずでは)・・・そうすることで自分のプライドを守ろうとする。 甘えて欲しかったのに、気分でイラッとする。 ただと金銭は本当にリアルな破壊因子だと思う。喜んでくれて返してもらうつもりはなかった。相手が本当にありがとうとある程度自分の存在を認めてくれれば良かったはずなのに、相手がそのお金をもらう事が当然なんて態度をとったら・・・ あなたがどうしても受け取ってというからもらってあげているのなんて態度をとられると、破壊力は抜群。その現実から逃れようと、私は人間不信になったと思うのは当然だと思う。でもそういう人は誰かを信じたい人。信じれる根拠を探しているだけの時期だと思います。
お礼
コメントありがとうございます。 おっしゃる通りだと思います。
- hue2011
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言葉の上のことをくよくよする人間はツキを落としますよ。 コンビニに入ってパンでも買ったら「ありがとうございます」と言われますが、こいつ本気で感謝してるのだろうか、なんてゆめゆめ考えたことがありません。 コンビニは何も買わずに出ても「ありがとうございました」と言います。 業者は別だというなら、たとえばだれかに何かおごったとします。大したものでなくていい、そば一枚とか、コーヒーとか。そのときたいがい「ごちそうさまでした」と言われますけど、本当にごちそうと思ったんだろうかとも疑いません。 道でカバンを落としたら誰かが拾ってくれた。「ありがとうございます」と言います。心から感謝しているかというとそれほど感動はしません。もし自分がその場にいたら同じことをしますから。だけどしてくれない人もあるわけだから、「ありがとう」は言うんです。拾ってくれた人が変わった扮装をしていて、金のトサカみたいな帽子をかぶっていたときなんかは、「クレージーバードみたいな人と出会った」は言うかもしれないけど、カバンを拾ってくれたありがとうは消えません。 いちいち相手の人生に踏み込んでむっちりと感謝を要求したりはするつもりがありません。 あなた、どうもそういう、ずかずか相手の中に入り込んで何かの反応をすることを要求するところがありますね。それは相手にとってははっきり迷惑ですよ。 そのうえ、踏み込んでおきながら「利用された」と考えるのはいかがなものかと私には思えます。 あっさりとした交友こそが達人のコミュニケーションじゃないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 しっくりきます。 ずかずかと踏み込んで、嫌な思いをさせてると思いました。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34532)
私はよく見知らぬ人に道を尋ねられたり、カメラのシャッターを押すことを頼まれることがあります。もちろん断らないのですが、それをするとほぼ皆さんから「すいません、ありがとうございます」といわれます。 その言葉に対して私はいちいち「この人はありがとうといったが、本当はいい加減な道案内をしやがってと思っているのではないだろうか」とか「本当はヘタクソな写真を撮りやがってとか思われたんじゃないだろうか」なんて裏読みはしません。 だから質問文を拝見して思ったことは、質問者さんの周囲には「とるに足らないありがとう」がほとんどないのだろうなということでした。くしゃみをひとつしたくらいで「私は重大な病気なのではないか?」と思うことはありません。くしゃみのような些細なありがとうがないのでしょうね。することも、されることもね。 後半のその女性との関わりですが、虚言癖があって手首を切るんだか切らなんだかなんてやるような女性は、私にとっては「かまってちゃんのメンヘラ」の扱いなので、はっきりいって相手にしません。そういう子は相手にして欲しいからそういうこと(虚言やリストカットなど)をやって、反応してくれる人に頼るのです。なぜなら、私のような人にそういうことをすると相手にされなくなるからです。彼女たちの目的は「かまってもらうこと」ですからね。だから質問者さんみたいに反応がある人と出会うと、じゃんじゃんそういうことをやるのです。 だからそういう人の相手をして私は傷つけられたとかどうとかこうとかいうのは、まるで詐欺で刑務所に入っていた人と知っていたのに騙されたというのに似ているように見えてしまうのです。そんな人とまともに相手している時点でおかしいでしょうとね。
- alterd
- ベストアンサー率23% (137/595)
本当に信じられる人は少ないと思います。 見分ける絶対的方法はありません。 精々、言動をよく観察するくらいでしょう。 後、色んな人と付き合って経験を積み、人を見る目を肥やすしかありません。 安易に人と親しくしてはいけません。 様子を見ながら徐々に親しくなりましょう。 それでも裏切られたら、自分の人を見る目が無かったのだと諦めましょう。 しかし、その経験で人を見る目の精度が少し上がるでしょう。 人を信じることには、必ず多少のリスクが付きまとうのです。 そのリスクを越えて得られたパートナーや友人は一生の宝になります。
お礼
ありがとうございます。 全て受け取り方次第だと思っていましたが、心からそう思えず、苦しんでおりました。