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ボランティアの在り方

最近尾畑さんの話題で持ちきりですね。 確かに尾畑さんの「見返りを受けない」で活動する姿勢は素晴らしいと思います。 お風呂や食事、その他の対価を受けないとの事。 それはそれで素晴らしいのですが、被災者側に立ってみた場合、「こんなまだいつ災害が起きるかも分からない土地で、見ず知らずの人の為に奉仕していただけるのは心苦しい」という心境があると思います。 その心理的負担を減らすためにも、肩の力を少しばかり抜くことができるなら被災者からの「見返り」を受けるのもアリではないでしょうか? 皆さんはどう思いますか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • sukeken
  • ベストアンサー率21% (1454/6647)
回答No.3

こんにちは。 >被災者からの「見返り」を受けるのもアリではないでしょうか? 有りだと思います。 お互いが、心地よく過ごせるのがやっぱ理想ですからね。 ちなみに、”きっと何かもらっているよ、じゃなきゃそこまでしないでしょ”なんて言葉も聞いたりします。きっと、無償でボランティア出来ない人たちですね。

llilli
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 お互いが、心地よく過ごせるのがやっぱ理想ですからね まさにそれですね。

その他の回答 (7)

  • citytombi
  • ベストアンサー率19% (1721/8628)
回答No.8

そういう考えもあるかも知れませんが、そうなると貴賎の程度によってボランティアの質に差が出てきてしまいます。 即ち、あの家はいくら払ったから、あそこまでやってもらった。うちはお金がないからきっと無理かも・・・みたいな感情が、ボランティアを受ける側が持ってしまったらダメなんです。

llilli
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そういう問題も出てきますね。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6878/20342)
回答No.7

ボランティアの原語の意味は 志願兵です。 徴兵に対する 志願兵。どちらも有給です。 現在も外国のボランティア団体は 必ずしも無償の行為ではありません。 特に危険地帯に出かけるボランティアは高給です。 日本にこの言葉が入ってきたとき 誰かが自己都合で捻じ曲げたのです。 ボランティア=無償奉仕 と書き換えた。 ボランティアのNPO団体は専従者がいます。専従で仕事をしていると 収入がないと食べていけません。だから有給です。代表者も有給です。 この頃は 個人でボランティアに来られると迷惑だ 団体に所属してからやれ などという声も聞かれるようになってきています。 現場でボランティアたちを取り仕切っている人たちがいますね。 あれが団体の専従者です。彼らがマスコミを使って喧伝しているのです。 3.11のあと テレ朝がドラえもん募金を集めて 特定のNPO団体などにその寄付金を分配していました。被災各県に1億円。その特定の団体に2億円。 そういった寄付金が専従者の給与に使われているのです。 その特定の団体のトップは 複数の団体のトップを兼ねています。 一つの団体のトップとしての収入を100万とか200万円(月)としたら 世間から非難をうけるかもしれないけど ひとつから50万円ぐらいなら 何も言われないかも。4つの団体を持っていれば 合計200万円の月給。 つまり 現場でボランティアとして働いている人は無給だけど 専従者は有給労働者。 テーブルの前に座って 君はA地域に あなたはB地域に行けと命令している人が有給。現場で汗を流し体をすり減らしている人たちが無給。 それが実態です。 これはやっぱりどこかおかしい。 お金はないけど時間はある人・・・・ボランティアをする お金はあるけど時間がない人・・・・寄付をする お金はあるけど時間はない人たちがお金を寄付して お金はないけど時間がある人が お金を受け取ってボランティアをする。 という形がいいのではないかと思います。

llilli
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.6

被災者の気持ちがそれそのまままた次の善意になっていくのではないかな。 お礼を受け取ってもらえなかったけれど、この有難いと思った気持ちを次の誰かにまた渡すという考えもあるのでは? 私は東日本大震災の被災者ですが、全国から送られた善意には応えられません。だから、次の被災者に返していきたいと思います。 そうやって、善意のリレーが出来ればいいんじゃないかな。 実際のところ、ああいう風に潔いボランティアって少ないんですよ。

llilli
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど、リレーですか。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.5

確かにお風呂を用意したのは全くの善意ですし、ここでも「お風呂も断るのはむしろ失礼」という声もちらほらありました。 でもね、たぶん、尾畠さんは分かっていたと思うのですよ。 「うっかりお風呂をもらったら、それだけじゃ済まない」 って。 だって助け出された家族からすると、お風呂だけで返すわけにはいきません。お風呂に入れば15分や20分はかかるのですから、そりゃお風呂から出てくればビールの栓は抜いてあるだろうし御馳走も用意してあるでしょう。 御馳走が用意されているのに箸もつけずに帰るのも失礼ですし、尾畠さんの世代なら酒を注がれたら断るのが非礼ということが身に沁みついている世代でもあります。そうなるともう「お風呂だけで」というわけにもいかなくなります。 だからそれを見抜いて、「私はそういうのは一切頂かない主義なのだ」というのを貫いた尾畠さんは立派だと思います。私だったら「じゃあ、お風呂くらいなら」となるでしょうし、風呂上りに御馳走があったら「ここまで来たら断るのもむしろ失礼だし・・・」となってしまうのは間違いないでしょうからね。

llilli
質問者

お礼

回答ありがとうございます 尾畑産の気持ちは分かりますが、被災者側に立った場合の話です。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1725)
回答No.4

今回の報道を見ていて、少し・・というか、違和感を感じた部分があります ボランティアではありますが、尾畑さんは「命の恩人」であることです 報道もそのことよりも「ボランティア」という言葉を全面に出していたことが気になり、この「人命救助」と「ボランティア活動」を一緒のカテゴリで話さないほうが良いかと思いました 書かれている通り、「ボランティアをしてくれた人へのお礼」と「命を救ってくれたお礼」と考えると、同じなのかなぁ?という感覚なのです あとは、心の支えという意味で、そのときにお礼ではなく、長く手紙などで付き合いが続き、互いに生活が安定し心も安定したときに、モノを送り合うなどの関係が保てると理想かなぁと感じます 尾畑さんの信念は「自己完結」でしたので、それもしないかもですが、その後の元気な姿を見せていくことも「お礼」と考えるといいなぁ、と思います

llilli
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 尾畑さんがボランティアを始めたきっかけは、以前徒歩で日本縦断をした際に東北地方のある家の方が、食事を用意してくれそれ以降文通での交流が続いたのですが、東北震災でその方の安否がつかめなくなったので馳せ参じたそうです。 文通はしておられるようです。

noname#233355
noname#233355
回答No.2

おじいちゃんのおかげで助かった人が ごく自然で素直な気持ちとして 「なにか御礼をしたい」 と言って、それをお断りしてさっさと帰ってしまう 勝手に来て助けるだけ助けたら、さっさと帰ってしまう 風のようなヒト というより「ネ申」のよう そういういい意味で「極端なところ」があるからこそ たぶん本人も周囲も痛快で面白いのだろうとおもいます そうであってこそ はじめて切り開ける世界があるのではないでしょうか 私たちは世の中に揚げ足をとられないよう 気を遣うのに疲れているので

llilli
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 それはそれでわかるような気がしますが、なんだか被災者の心理的負担も考えてあげられたらと思ってしまいます。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.1

実際問題としてそういうことに時間を使いたくないのでは。ある意味では非常にわがままな人ですね。悪い意味ではありませんが、人の気持ちよりも現実を大切にしていると見えます。

llilli
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 わがまま、そうですね、ある意味そう言えるかもしれないです。

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