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武士の情けは現今もはや死語と化したのでしょうか
国会の不毛な論戦やスポーツ界のいろいろな不祥事をみると、勝ち負けにこだわって、もはや武士の情けというような心持は全くないように感じます。皆さんは、これまで武士の情けをかけたり掛けられたりした経験をお持ちですか。
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えっ、日大アメフト部の元監督の内田氏や元コーチの井上氏は、武士(スポーツマン)としてあるまじき行為をしたため、関西学院大学側としては、あいつらは同じ武士(スポーツマン)ではないとして、情けはかけられないでしょうね。 ただし、実際に反則プレイを行った選手に対しては、後悔していること強制されて嫌々やったことが判明したため、同じ武士(スポーツマン)として認定し、ちゃんと情けをかけていると思いますけど。 タックルを受けケガをした関西学院大学のQBも、同じ武士(スポーツマン)として、加害者の青年に対しアメフトに戻って正々堂々とルールの範囲内で戦って欲しいとコメントしているし、被害者の父親も、加害者に対する罪を軽減して欲しいと嘆願書を募っているみたいですし。 政治家では、代表戦の後で野田佳彦氏が言った「ノーサイドにしよう」が心に残っていますね。 同じ政治家として、理念等に基づき敵味方に分かれて闘ったが、代表戦が終われば敵味方はもうない。敗者にも情けをかけようということではないでしょうか。 ただ、代表戦の後、本当に、敵味方なく協力出来たのかは不明ですがね。
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- OldHelper
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武士階級は今の議員と公務員です。 一般人は農工商以下です。 私は一般人ですから講談本などで読む以外には知りません。 弱者に対して情けをかけたり手加減したりすることは日常です。 でも武士の情けではありません。人のやさしさです。
お礼
なるほど。第三者としてやさしくするのは比較的容易かと思いますが、勝負の当事者として勝ち負けから逃れられないという前提では少し違ってくるかなとも思います。
- alterd
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私自身、優位に立った時、それ以上の攻撃を止めたことはあります。 しかし、敵から卑劣なことはされても、手加減されたという記憶はありません。 (ひょっとして、それでも手加減されてたのかもしれませんが) ともあれ、そもそも、武士はほんの数パーセントしか居なかった訳ですから、本物の武士の情けを示す人間はごく稀ではなかったのかと推測します。 ですので、現代社会が独善的言動の横行するグダグダな状況であっても不思議ではないと思います。
お礼
小学校の先生のそれとなくしてくれた気遣いなどが最も武士の情けらしかったのかなとも思います。大人になってからは余裕のない先輩に嫌がらせ的なガッツポーズを示されて尊敬の念が一挙に消失したことがありました。それ以来なるべく勝ち負けの場に立たないように生きています。最近随所で見かけるいわゆる勝者が示すガッツポーズというものは武士の情けに反する、もっとも醜い所作とされていたのではと思います。
- keaget09
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kaitara1さまおはようございます。雨音サーバルです(*´∀`*) 武士の情けかぁ。 よくわかんないや。 と けものフレンズのサーバルちゃんみたいに言ってみますです。 高校3年生のとき 1学期の中間と期末の両方で 古典で赤点をとってしまいました(>_<) その時点で夏休みは補習が決まりました。 『夏休みは毎日学校に行くのか~』としょげていました。 ですが、私が2年生の夏休み中毎日、旧体育倉庫のお掃除を一人でやっていたのを、古典の先生が見ていて知ってらしたらしく。 『まぁ、雨音(←私の名前です)も普段生徒会とかでいそがしいし、補習もあると大変だろ。プリント出しとくから2学期の最初に出してくれればいいから。』と、補習は特別に免除してくださいました。 クラスの男の子たちからは『雨音ずっりーぞ!』と言われてしまいましたけれど(*v.v)。。。
お礼
考えさせてください。
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お礼
心にしみわたるご教示です。そうです。何かの因縁で互いに力を尽くして戦わなければならなくなったが勝敗がついた後はお互いの存在を認め合うというのが武士の情けなのだろうと思います。こういう意味で勝者がいわゆるガッツポーズをとるのも武士ならばできないのではと思います。
補足
政治の世界でのいわゆる忖度は武士の情けが堕落した姿あるいは変質した姿ともいえないでしょうか。企業の(特に大企業の)不祥事 でも同じことが言えるように思います。自分たちの損得だけでなく社会人として本当に人々のために活動することを心がけるのが武士の情けではないでしょうか。