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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:カルマの法則と、侵略行為に関しての質問)

過去の略奪行為とカルマの法則について

このQ&Aのポイント
  • カルマの法則や波動の法則について詳しい方にお尋ねします。カルマの法則は「自分の行いや波動が巡り巡って自分に返ってくる」というものであり、個人だけでなく組織や社会にも影響を及ぼすと言われています。大航海時代のスペインによる南アメリカ大陸の略奪行為や大英帝国の植民地政策、アメリカのインディアン迫害などのカルマは果たして返ってきたのでしょうか。
  • これらのカルマの返報は現在の世界に影響を及ぼしているのか、または時間の経過やタイムラグが関係しているのか、ご意見をお聞かせください。
  • いくつかの考えでは、別の世界で代償を支払っているという説もありますが、この説に納得ができるかどうか検討しています。詳しい方のご意見をお伺いしたく思います。

質問者が選んだベストアンサー

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  • nijjin
  • ベストアンサー率27% (4811/17776)
回答No.4

その悪いことに対して何らかの理由で社会的や法的な制裁がない場合 そういったものは思想や宗教によるものであり化学や物理的な根拠のないものです。 ただ、そういった事をした事で後悔するようなことがあれば 精神的におかしくなったりすることはあるでしょう。 その場合、やっぱりあんなことをしたからか?と思うかもしれません。

その他の回答 (3)

回答No.3

わからんね,カルマ。ストレス社会とは距離置きたくなる。あなたのせいじゃないが困るね。

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.2

そこまで詳しくないので申し訳ないのですが。(波動の法則については、申し訳ありませんが知りません) あくまでも「同等」ですので、同じ経験をするとは限らないということでしょう。 カルマは、断ち切れなければ何度でも生まれ変わって同じことを繰り返すとも聞きますから。 いわば、略奪し・される国、常に命の危険にさらされる国に生まれ変わっていることそのものが、魂レベルで未だ苦しみの最中にいることを強いられているとなるのかもしれません。 物質的に豊かに生まれようとも、略奪されたカルマが癒せない人間は「いつか誰かに財産を奪われるかもしれない」と、戦々恐々とした人生を送る。(精神的には、豊かではない人生) そこから解放されるための学びがなければ、また同じ苦しみを繰り返す。 時には、逆の奪う側になるかもしれませんが、それでも「奪い、奪われる」という人生であることに変わりはありません。 という感じのお話じゃないんでしょうか。 ですから。自分に返ってくるのは、必ずしも「報復」という形をとるわけではないということ。 あくまでもカルマとは、物質的な話ではなく精神的な話なので、物質的な側面だけを見て語るものではないような気がします。

g78o7r6d6ruk9
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 たとえ話、とても分かりやすく、勉強になりました。 >物質的な話ではなく精神的な話なので、物質的な側面だけを見て語るものではないような気がします 物質社会で生きている以上、たとえ違う形であったとしても、同量の物質的な損失が出てしかるべきですし、過去に収奪を行った国家が、未だに先進国として繁栄していることを考えると、やはりカルマの存在を疑わざるを得ないのです。 例えですが、 殺人を犯して金品を奪い、繁栄した見返りとして、来世において、 裕福で家族に恵まれながらも、びくびく怯えた生活をするのであれば、後者の方がマシだと思うのです。 これは、「人間、同様の経験をしないと、同じ感情は得られない」という、自身の経験則にも、基づいています。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6877/20340)
回答No.1

そういったものは なんら科学的根拠のにい屁理屈みたいなものだからです。 天国 地獄 などと同じようなこと。 人は死んだらそれでおしまいだけど 愛する人に先立たれて 悲しみの底から脱却できないでいるときに 「人は死んだらみんな天国に行って穏やかに過ごしている。あなたもいつか生涯を終えればそこにたどり着いて再び会える」 という設定を事実であるかのように慰めることで元気を取り戻す。 また世の中には理不尽なことであふれています。 このごろでは 痴漢冤罪というものがあります。 ある日突然 見知らぬ女性から「この人痴漢」と叫ばれて捕まり 無実を主張しても一切聞き入れられず 仕事も友人も全て失ってしまう。 あちら側の女性は今ものうのうと生きていて あなたはどん底。 でもそれを回復する手段は皆無。 でも神様は全てを見通しているので 冤罪に陥れた人はどこかで罰を受ける などと言われても 実際には 東電の社長は 今も豪邸に暮らし 足利事件で冤罪に陥れられた人は人生の貴重な時間を拘束されて過ごさざるを得なかったのに真犯人は今も自由に暮らしている。 それを因果応報でいつか報いを受けるとか言われても ただの妄想の自己満足にしかならない。 「宇宙に向けてはなったもの」とはいったいなに。 思念とか・・・・そんなものは言葉だけのイメージでしかない まったく実体のないもの。宇宙に向けて放てるわけがない。

g78o7r6d6ruk9
質問者

お礼

回答ありがとう。 あなたと、まったく同感です。