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社会は人殺し
- 社会は仕事ができない人を罵り叩き、心を踏みにじり自殺に追い込む
- 人は一人では生きられず、社会は嫌な思いをさせて笑い者にする
- 仕事ができないからといって周囲を傷つける必要はない、一生懸命やっている人を笑うのは失礼
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質問者が選んだベストアンサー
格差社会という言葉がメディアを賑わせるようになってから、どのぐらい経つだろう。 本来、自由な生き方の選択肢としての派遣法という考え方を、製造業をはじめとする大企業が安価に人を雇う手段として利用し始めて、どのぐらい経つだろう。 今や日本社会は完全に富める者と貧しき者に分断されてしまった。 その構図を創ったものこそ、政治に他ならない。 そして、その後押しをしたのは、まさに国民に他ならないのだ。 これから先の日本は、最も豊かな国でありながら、益々、格差が激しく、住みにくい国へと突き進むだろう。 何せ、権力構造の担い手は、上層に位置する豊かに暮らす人々なのだから。 全く、よくよく悪い国になったものです。
その他の回答 (6)
私の考え方もひねくれているのか分かりませんが、、、あなたほどではないと思ってお話しします。 新卒時はスペックデーターがモノを言いますが(高学歴、高IQ、各種資格、語学力、コミ力等)、就職先はそれなりの人間や実務経験者がいる環境です。 今、国会を騒がしている財務省にしても国家上級合格者600人中、成績上位20名程だそうです。 勿論、皆さん東大卒。 そんなはい超ハイスペックの中でも仕事が出来る人とそうでない人の差が付きます。 失敗もします。 残念なことですが、責任という重圧に負けて自殺者も出してしまいました。 決して良いことではありませんが、低層、中層だけが「無能」「役立たず」と言われているわけではないということです。 其々の置かれた環境で何故必死になるのか? それは、最終的に「自分の為!」が目的ではないからです。 近日、閉幕しましたパラリンピック。 手足が無い!一人で歩くことも出来ない人間のことをいうと仕事として役に立っているのでしょうか? あなたの言葉をそのまま当て嵌めると死んだ方が良いのでしょうか? 放映権の関係で、TV画像にすら映らず予選落ち、敗退していった世界の障がい者の皆さん。 周囲を取り囲む家族や関係者各位、同じ障がいを持つ人々に英知と勇気と情熱を与えただけでも人の価値観は壮大です。 成人して社会で生きるということは何がしらの「社会貢献」に努めて(務めて、勤めて、勉めて)いる人のことをいうのだと思います。 その共通した「社会貢献」を自ら離脱して行く者を家族、夫婦であろうとそうそう面倒を見れるものではありません。 学校や会社や他人が混在する環境では尚更のこと。 この論理を批判した時点で「社会離脱」することになります。
- roadhead
- ベストアンサー率22% (852/3790)
社会は人を殺しません。 人を殺すのは人です。 誰かが失敗をして嘲笑ったり罵るのも人です。 社会などと事を大きくして自分の価値を上げようとしても意味はありません。 結局は目の前の人間関係の問題を世間だとか社会の問題にして自己正当化しても何も解決しません。
- okwavey2
- ベストアンサー率15% (251/1593)
ちょっと言っていることが現実離れしているというか、妄想ではないかと思いました。 仕事か出来ないような人がいると、「無能」「役立たず」と内心は思いますが、その出来ない人を使わなければならないことがほとんどです。 自殺されても面倒ですし、メリットは特にないので追い込む事もしません。 それどころか、相手に役立たずと思っていることを悟られてはさらに使いづらくなってしまうので、そんな素振りは見せずにフォローします。 使えないと思った相手も、たまたま向いていなかったり、やり方を変えるなど努力すれば使い道はあるだろうと考えます。 それでも、無能だの役立たずだのと言われるようなら、よほどその仕事が合っていないのでしょうね。 仕事ができないと判断してしまった相手が一生懸命やったと自負するような内容には、期待してません。 まず見るのは、言ったことが出来ているかどうかです。 上手く行かないときに努力して乗り越える事にも期待していないので、無理に頑張らずに出来ない事をいち早く教えて欲しいです。 何を言われても出来ないと思うなら、転職して自分が出来ることをめざしましょう。 本当に何も出来ないのなら、価値はないです。
- sat000
- ベストアンサー率40% (324/808)
仕事ができない人を叱咤激励することと、社会的に抹殺されることは別の話ですよ。人は一人では生きられないというのは一面真理です。あなたは自給自足で電気もガスも使わず、水も湧水を使って自力だけで生きているわけではありませんよね。公共交通機関を利用するでしょうし、スーパーやデパートで買い物もするでしょうし、病気になれば病院に行くでしょう。それらは、サービスを提供してくれる人たちがいるから成り立っているのです。すなわち、自分以外の誰かが働いてくれているからサービスを受けることができます。だからといってその誰かは他人に奉仕しているわけではありません。自分のために働くことが、結果として人のためになり、社会のためになるのです。それが社会という仕組みです。一人一人が自分の能力の範囲内で社会に貢献しているのです。 そういう社会が嫌なら、山にでも引きこもって誰ともかかわらずに世捨て人として自給自足する以外にありません。といっても、山も誰かの持ち物ですから、勝手に住むわけにはいきませんけれども。 それから、努力や途中経過を見て評価の足しにしてくれるのは高校くらいまでです。それ以降は、結果が全てとは言いませんが、結果が大きなウエートを占めます。プラス、人間性等も関係しますけれど。結果がついてこない社会人は、声に出して文句を言われるかどうかは会社次第ですが、内心では疎まれます。そして徐々に仕事を頼まれなくなります。なぜなら任せると会社に損失をもたらす可能性が高いからです。 だからといって死ぬ必要は全くありません。単に自分の能力と会社が求める能力のミスマッチと考えて、転職した方がお互いのためです。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34532)
質問者さんはひとつ思い違いをされてらっしゃいます。社会から必要とされいない、無価値の人間が死ぬ必要はこれっぽっちもないのです。 社会から必要とされていないことと、だからといって生きていてはいけないというのはまた別の話なのです。 少し厳しい現実のお話をすれば、会社というところは最終的には営利を求めていますので、少なくとも給料分の仕事をしない人は役立たずです。会社の中が役立たずだらけになると会社は倒産し、会社に利益をもたらしていた人までとばっちりを喰らって失業します。だから、役立たずの人は速やかに退職していただいて役に立つ人を雇いたいと思うのが会社の本音であります。 これは、自営業をおやりになれば嫌になるほど痛感させられます。いくら一生懸命やってても失敗する人に仕事を依頼する人は、いません。仕事の依頼がなくなれば、自営業は潰れるしかありません。 百年かそれ以上昔なら、質問者さんのような人は細々とでも自分で作物を育てることができればなんとか生きていくことができました。それができなければ死ぬだけですけれども。 今は都会に生まれてしまえば会社というところに所属しなければ生きていけないのは確かにつらいところではありますね。 でも仮に、質問者さんが無価値の人間だったとしても、死ななきゃいけないってことにはならないですよ。生きてていいのです。ただ、生きる術に関してはご自身で頑張っていただきたいのですけれども。
いろんな人がいて「社会」が成り立っています。 貴方はそれを知らないだけです。
お礼
皆様、ご回答ありがとうございました。